甘え下手
「どうしたい? 家まで送る? それとももっと飲みたいの?」

「……」


――どうしたいか。


ゴクリと喉が鳴る。

用意されたセリフはあった。


――あなたのことをもっと知りたいです。


だけどそれを言ったら、もう引き返せない気がして、意気地なしな私はここまできて、決定的な言葉を口にするのを躊躇した。


唇は言葉を発しようと半開きになっているのに、肝心の音が出てこない。

酔っ払いを相手にしていると思っている櫻井室長は、辛抱強く私がしゃべるのをじっと待っていてくれた。


「……か、顔」

「顔?」

「顔、洗ってきますっ!」


情けない私は言い捨てて立ち上がると、脱兎のごとく洗面所へと駆け込んだ。

洗面台へ手をかけたまま、ヘナヘナと床に座り込む。


阿比留さんが教えてくれた誘惑の仕方は、恋愛初心者の私には少々ハードルが高い。
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