飲み終わったペットボトルに対する積極的考察
本論:相対性概善論に基づくNOPBに対する積極的考察

 このペットボトルは空になって久しいのだが、ほぼ1ヶ月にわたり筆者の机上に置かれたままになっている。筆者は、基本的にこのような「置きっぱなし」は好まない。電気の「つけっぱなし」は良くする。ゴルフの「打ちっぱなし」は行ったことがない。
 話がずれたが、ペットボトルは飲み終わったら中を洗い、ラベルを外して分別ゴミに出すのが基本だ。それなのに、筆者はこのNOPBを、なぜかしばらく捨てずにそのまま置いていた。
 数週間が経過した後、筆者は深い自責の念をこめてNOPBを手に取った。なぜ自分は、この「ゴミ」を机の上に置いたまま放置してしまったのだろうか。いつもはゴミが置いてあると気になって、夜ベッドに入ってからわざわざまた起きて捨てに行ったりしてるくせに。なぜだ、どうしてなんだぁああ!!
 さて、この時点で筆者は、今回の事象「飲み終わったペットボトル」略してNOPBに対して、消極的な一面でしか見ていない。つまり、NOPB=ゴミという面からのみ見ているのだ。この消極的な一面から見ると、NOPBが机に置いてある風景は「ゴミを捨てない怠惰な自分」を表していることに他ならないので、そこからは消極的な感情しか生まれない。
 しかし、ここで思考のパターンを「相対性概善論」に基づき、積極的な一面からの観察に変えてみよう。そうすると、こうなる。
 今自分はNOPBをゴミと決め付けたが、本当にNOPBはゴミなのか?例えば、このNOPBが実はオブジェだったと考えることはできないか?よく見てみればこのNOPBに貼られているラベルは鮮やかなグリーンだ。このグリーンは、色味をできるだけ少なくしている部屋の中で小気味の良いアクセントになっているとも言える。今流行りの北欧風のオブジェだ、と言い張ればそれに見えないこともない。
 そうだ、これは放置していたのではなく、オブジェとして飾っていたのだ!そのように見方を変えると、自分に対する自責の念は消えうせ、逆に自らの美的感覚に対する誇らしささえ生まれてくるのだ。

 そもそも、このペットボトルがここにやって来た過程もまた、特別なものだった。
 1月にスキーに行ったときに買ったのだ。風呂上りに喉が渇いていたので、本当はミネラルウォーターが欲しかったのだが、スーパーで百円程度で売られているものに百六十円もの値段がついていた。俗に言う「観光地価格」って奴だ。全く同じ商品のはずなのに、消費者としては面白くない。スキー場に来る前に寄ったコンビニでどうして買わなかったのかと、また自責の念が自分を襲う。あぁぁああ、なぜだ、なぜ買わなかったんだぁぁあああ!!「まぁ、運送料もかかってるだろうし。仕方ないな」そう思うこともできただろうが、ひねくれ者の筆者はどうしても買いたくない。自分がこれを買うことで、この値段に対する正当性に一票を投じてしまうことになるのではないかと考えたのだ。自分がこれを許すことで悪徳業者が増長し、その結果、百五十円しか持っていない貧乏な人が水を買えずに脱水症状を起こし命の危機に陥ってしまう、という事態は断固阻止しなければならない。
 しかし、喉は渇いた。何か飲みたいし、せっかくの休日なので、何かセレブっぽいものが飲みたい。(筆者の感覚では、ミネラルウォーターはセレブの飲み物だ。だが、百六十円を出し渋るあたり、筆者はやはり庶民でしかないのだが)そう思った筆者の目に、鮮やかな配色が飛び込んできた。
 イエロー、ピンク、グリーンにパープル。どれもビタミンカラーと呼ばれる、いかにも元気が出そうなしかし体に悪そうな色のドリンクが、4、5本展示されている。平地では見たことがなく、筆者はそれに目を奪われた。これだ、これにしよう。値段は一本二百三十円だ。結局、自販機の商品の中で一番高い商品を選んでいるのだが、「物珍しい」という付加価値をつけて脳内で勝手に値段を適正化した。それにこのペットボトル、飲み口が普通のペットボトルよりも広くできている。何かに再利用できそうだし、家に持って帰って「ねぇねぇこんなの見つけたの、見て見て」と土産話がてら見せれば、家族への土産も買わずにごまかせそうだ。
 さて、スキーで疲れたセレブには、どのドリンクがふさわしいか。そのドリンクは種類ごとに、どんなときにお勧めか、というメッセージがご丁寧につけられていた。レッドは、「フルパワーで勝負のときに」と書かれている。いや、勝負(スキー)はもう終わったのでパワーはいらない。ピンクは「心と体をリセットしたいとき」などと書かれている。既に温泉に入ってリセットされているので、さらにリセットされたらもう人ではいられないような気がする。グリーンは「骨太な奴と思われたいときに」。いや、思われたくないし。イエローは「太陽の力が恋しいときに」。もう、意味不明で飲んだらどうなってしまうのか不安だ。少し購買意欲が失せたが、気を取り直して、グリーンの「キウィ&ライム」味というのを選んだ。別に、「骨太な奴」と思われたいわけでは、決してなかったのだが。喉が渇いただけなんだってば!
 ちなみにペットボトルをネタに土産話をしようと思っていたが、スキーから帰った翌日から細菌性胃腸炎を発症した筆者は土産どころではなくなり、NOPBを土産代わりにするという第二の目的が果たされることはなかった。
 ・・・長々と語ってしまったが、このような過程を経て、このペットボトルはスキー場から我が家にやってきたのだ。そう考えると、なんだか愛おしくさえ感じてきてしまう。もともと、小動物をはじめ微細な羽虫にまで感情移入をしてしまう筆者。気をつけていないと、学校の帰りに蹴った小石とか食べたパンの空袋など、無生物にまで感情移入をしてしまうこともある。そんな経緯を思い出すにつれ、このNOPBに対する思いは深まっていく。

 ところで、この「キウィ&ライム」の味覚面についても、少し考察を深めたい。友達に一口味見させると、二人とも「ありがとう、もういいよ」という答えだった。筆者も飲んでみたが、「うん、なるほどね」と納得した。氷の解けたジュースを飲んでいるような印象で、どこが骨太なのか?と疑いたくなる味だ。3人中3人つまり百パーセントの高確率で、味は微妙だという判定だ。商品化する前に、味覚チェックしたのだろうか。
 しかし、この味覚の面においても積極的な考察をしてみると、こうなる。友達が一口で止めたドリンクを、筆者は飲み干したぞ!これで周りから「骨太な奴」と思われたに違いない。このドリンクの意外な効能の現れ方に、筆者は深く感銘を受けた。

 さらに感銘を受けたのが、ラベルを細かく読んで知ったのだが合成着色料不使用という点だ。体に悪そうな色のラベルを貼っておきながら、実に質実剛健だ。体によさそうな成分も、色々と入っているらしい。もっとそういう部分を前面に押し出せばいいものを、ラベルの中で相当のスペースを占めているのは「一昔前のちょっと痛い男子高校生」的な口調で書かれた紹介文だ。一体、どういう客層をターゲットに商品作りを行ったのか全くわからない。
 しかし、ここでも積極的な考察をしてみよう。合成着色料不使用で体に良い成分が入っているなら、普通はそれをメインテーマに据え、値段もそこそこ高いので、ターゲットとなるのは健康志向のセレブと結論するのが普通だろう。そして、デザインもそのようなハイソな人々が手にして様になるような、デザイン性の高いものにするのが定石だ。しかし、この商品はそれをしない。つまり、不器用なのだ。好きな女子の前で、つい意地悪をしてしまう男子のように不器用なのだ。表情筋を持たないネコのように、人に媚びるということができないのだ。あぁ、なんて不器用なしかし愛すべき飲み物なのだろう!
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