猫、みゃあこさん
別に、何もテレビに出てきらびやかな生活を送っている人だとか、名の知れた著名人だとか、そういうわけではない。列記とした一般の市民ながら、ご近所さんならば誰もが知っているとても有名な人がいるのだ。
それが、“猫さん”だ。どうして彼が猫さんと呼ばれるようになったかは、誰も知らない。ただ大人たちが猫さんと呼ぶので、私たちも倣うようにしてそう呼んでいるのだ。
ちょうど私の家と学校を挟むところに、彼の家はある。少し大きめの、小大名が住むような時代錯誤な日本家屋を構えていて、其処にひとり――もしかしたら他にも同居人がいるのかもしれないが、猫さん以外の人を見たことがないのでひとりだということにしておこう――で暮らしている。
だが、猫さんが有名なのはそれが理由なのではない。確かに今時見ないような家で生活をしている彼だが、それだけで頭がおかしい人間なのだと決めつけてしまうほど差別的な思考は持ち合わせていない。
彼は時折庭に出ては誰もいない場所に向かって大きな声で話し掛けているのだ。私も何度かそれを見かけたことはあるが、初めて見たときは身の毛がよだった。
しかし、それ以外は何をするというわけでもないので、ご近所間では少し頭のおかしい人として受け入れられている。特に私たちの父母から上の世代の方々は何故か猫さんに同情的なのだ。彼がおかしくなってしまった理由を知っているのだろう。何度か聞いてみたが決まって「あの人は可哀想な人だから」としか言わない。その内、私たちも諦めて彼はそういうものなのだと受け止めてしまった。
ようやく数学の教科書を机上に出して一息ついたところで彼女に訊ねる。
「それで……、“出る”っていうのは庭に?」
「当たり前じゃない。外に出てきたりなんかしたら、あの人、通報されて捕まっちゃうんじゃないの?」
けらけらと笑ってリコは言う。笑い事じゃない。
「なんなんだろうねー、本当に。やっぱり春になると頭おかしいのが沸くっていうし、猫さんもそういう理由なのかな」
猫さんはいつもいつも庭に出て四六時中虚空に向かって話し掛けているわけではない。季節によって“出る”ときと“出ない”ときがある。春は一番“出る”季節だ。
「タミい、あんた、気を付けなよお? ちょうど帰り途中にあるんだからさあ、“猫屋敷”」
「うん……、気を付ける」
猫屋敷。猫さんが住んでいるお屋敷だから、猫屋敷。「名前通り、猫がたくさん住んでるんだったらまだ可愛げがあるのにね」とふたりで冗談混じりによく話していた。
それが、“猫さん”だ。どうして彼が猫さんと呼ばれるようになったかは、誰も知らない。ただ大人たちが猫さんと呼ぶので、私たちも倣うようにしてそう呼んでいるのだ。
ちょうど私の家と学校を挟むところに、彼の家はある。少し大きめの、小大名が住むような時代錯誤な日本家屋を構えていて、其処にひとり――もしかしたら他にも同居人がいるのかもしれないが、猫さん以外の人を見たことがないのでひとりだということにしておこう――で暮らしている。
だが、猫さんが有名なのはそれが理由なのではない。確かに今時見ないような家で生活をしている彼だが、それだけで頭がおかしい人間なのだと決めつけてしまうほど差別的な思考は持ち合わせていない。
彼は時折庭に出ては誰もいない場所に向かって大きな声で話し掛けているのだ。私も何度かそれを見かけたことはあるが、初めて見たときは身の毛がよだった。
しかし、それ以外は何をするというわけでもないので、ご近所間では少し頭のおかしい人として受け入れられている。特に私たちの父母から上の世代の方々は何故か猫さんに同情的なのだ。彼がおかしくなってしまった理由を知っているのだろう。何度か聞いてみたが決まって「あの人は可哀想な人だから」としか言わない。その内、私たちも諦めて彼はそういうものなのだと受け止めてしまった。
ようやく数学の教科書を机上に出して一息ついたところで彼女に訊ねる。
「それで……、“出る”っていうのは庭に?」
「当たり前じゃない。外に出てきたりなんかしたら、あの人、通報されて捕まっちゃうんじゃないの?」
けらけらと笑ってリコは言う。笑い事じゃない。
「なんなんだろうねー、本当に。やっぱり春になると頭おかしいのが沸くっていうし、猫さんもそういう理由なのかな」
猫さんはいつもいつも庭に出て四六時中虚空に向かって話し掛けているわけではない。季節によって“出る”ときと“出ない”ときがある。春は一番“出る”季節だ。
「タミい、あんた、気を付けなよお? ちょうど帰り途中にあるんだからさあ、“猫屋敷”」
「うん……、気を付ける」
猫屋敷。猫さんが住んでいるお屋敷だから、猫屋敷。「名前通り、猫がたくさん住んでるんだったらまだ可愛げがあるのにね」とふたりで冗談混じりによく話していた。