Over Line~君と出会うために
 その、頃。
 都内某所にある放送局の控え室で、貴樹は携帯を睨んで考え込んでいた。
 ついさっき、ずっと待っていたメールが来たものの、開いて読む勇気がないのだ。
「……何やってるの、貴樹」
「いや、別に……」
「さっきから携帯睨みつけているけど、睨んでいるばかりじゃメールは来ないわよ。それに、もうすぐ本番なんだから、気持ちはちゃんと切り替えてね」
「……はぁい」
 本番を前にして嫌なメールを見て凹んでしまうのはどうかと思ったが、二時間もある生放送の間、メールの内容が気になってそわそわしているというのは、もっとずっと性質が悪い。気合を入れてメールを開いて見ると、それはたいして長いものではなく、内容も、貴樹が恐れていたほど辛辣なものではなかった。
 貴樹はあからさまに安堵の溜め息をつき、早く用意をしろと急かしに来たマネージャーが不思議そうな顔をするのを、笑って誤魔化した。
「よっし、東城貴樹、いざ出陣!」
 無駄に気合の入った声を上げる貴樹に、マネージャーが眉をひそめる。
「……あんまり最初から飛ばさないでよ。二時間もあるんだからね。途中で燃料切れとかしたら、シャレにならないでしょ」
「わかってますよー。でも、今日は絶対大丈夫な気がする」
 これから臨むのは、毎週レギュラーで受け持っている深夜のラジオだ。これから、二時間の生放送。最初から飛ばして行ったら、途中でテンションが落ちてしまうのは目に見えている。これまでの経験でそういう痛い目を見ているから、マネージャーが警戒するのも理解できなくはない。
 普段なら、そんなマネージャーのお小言に少しばかり苛立ちを覚えるところだが、今日は気分がいい。これなら、最初から最後まで高いテンションを保っていられそうな気がする。
 貴樹は所定の位置に座ると、いつも以上に調子よく喋りだした。
「皆さん、こんばんはー! REAL MODEの東城貴樹です! 今夜も都内某所のスタジオから、完全生放送でお送りします。これから二時間、俺のお喋りにお付き合いください。まずは一曲目、REAL MODEで、〝テクニカル・ジョーカー〟をお聴き下さい」
 今現在、世間では大人気のはずのプロデュース・ユニット、REAL MODE。そのメイン・ヴォーカルであり、プロデューサーである天宮順平(あまみやじゅんぺい)を核とした製作集団が世に送り出す楽曲を歌うための、唯一のメンバー。それが、東城貴樹だ。
 時間に追われるばかりの殺人的スケジュールを笑顔でこなし、どんなに突っ込んだインタビューも得意な軽妙なトークではぐらかす、最近のヒットチャートの常連。ここ数年、どんなCDも売れなくなっていると言われているけれど、ライブをすれば即座にチケットはソールドアウトする実力派だ。成人男性としてはやや小柄な部類に入るが、整ったルックスと生まれ持った天性の声の魅力は人々を惹きつける。バラードで甘く囁くような甘い歌声を披露したかと思えば、次のロックナンバーでは叩きつけるような力強いシャウトを聴かせる、魅力溢れるヴォーカリスト。
 しかし。
 彼の実態は、と言えば、あまり大きな声で吹聴できるような代物ではなかった。彼を楽曲やインタビューでしか知らないファンが聞いたとしたら、滂沱の涙を流してイメージを狂わされたと嘆くに違いない。
 彼は、ただのオタクだった。アニメやゲームの二次元の美少女をこよなく愛し、二次元の美少女を『俺の嫁』と公言して憚らない。たまのオフには溜め込んだアニメの録画を見るか、アキバに行ってエロゲやフィギュアを買いあさるような人種である。どこからどう見ても、真性のオタクにしか見えない男だ。見た目はともかく、行動は完全にオタクである。
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