丹後の国の天の川。
 あずみは筒川村の住居地に足を運ぶ。
 住居といっても粗末な木造建ての家が立ち並ぶ、寂しい場所だった。
 そのうちの一軒を探し当て、あずみは言葉をかけた。
「こんばんは。一夜の宿を貸していただけませんか」
 あずみは時代劇ファンで、とっさのセリフが浮かぶのは時代劇のおかげだろうか。
「はい」
 あずみでなくとも若い乙女の胸を締めつけるような、若者らしい声が帰ってきた。
 髪を後ろで束ねていて、麻で織った簡素な前あわせを身に着けていた。
「こんなおそくにお困りでしょう、さあ、中へ」
「どうもありがとう」
 島子はひとりで漁をしながら暮らしており、あずみは島子と向かい合い、いろりで食事をした。
 炎で照らされた島子はオレンジ色に染まり、顔の整った美しい青年であることを強調していた。
 あずみもまた、胸が騒いでいたに違いない。頬に紅がさしていた。
「さ。明日も早いので、寝ましょうか」
「そうですね。そのまえに」
 あずみは荷物から玉手箱を取り出した。
「なんです」
「島子さんのお母さんが渡したかった物だって、亀さんが」
「亀? あなたは亀に言われて、わざわざ、ぼくに会いに来てくれたと言うんですか。あっはっはっは…。笑ったりしてごめん。どうもありがとう、母上のね…」
 島子が玉手箱を開けると、中から筆でしたためられた便箋が出てきて、島子は達筆なその文字を読んでいる。
「母は病気で亡くなったんです。父がこちらで逝去したあと、ぼくもここで暮らすようになったんです。そのことを書いている文ですね」
「そうですか」
「さてと。ぼくはこちらで休むので、あずみさんはそちらの布団でどうぞ」
「板の間じゃないですか。まだ寒いですよ」
「いいですから、お客人に風邪を引かれては申し訳ない。ましてや母の大切な文を持ってきてくれた人。大切にしなければバチが当たります」
「男と女がひとつ屋根の下にいれば、間違いが起こっても不思議ではないのに。律儀な人」
 あずみは心の中でそう言うと、島子に対して特別な感情を湧き上がらせた。
 突如として外が騒がしくなってきた。
「なんですか、あの声」
「皇子様が行幸にいらしているのですよ」
「皇子様ってだれ」
 あずみの質問に島子は顔を引きつらせた。
「え…知らないんですか。皇子様ですよ、日嗣の皇子様ではないけれど、今上天皇の三人目のご嫡男。吉備津彦尊様です」
「きびつひこ…」
「本当に知らないんですね。変わった服だし、あずみさんは外国から来たのですか」 
「あずみでいいよ。外国ってほどでもないんだけど」
「ちがうんですか? でも皇子さまの存在を知らないなんて…」
 島子の呆れたような口調から窺えるのは、間抜けとでも言いたそうなことだ。
「このへんは麻と銅と鉄が豊富で、朝廷がごっそり持っていってしまうんです。武具を調達するには都合のいい土地ですからね」
「まあ、ひどい。私が言ってきてあげようか。迷惑だから他人の物を奪うのはよせって」
「とんでもない! やめてくれ」
 島子は駆け出しそうなあずみの両肩を強くつかんで座りなおした。
「あ…ごめんなさい。でも、気持ちだけでうれしいので、やめてください。よけいなことを言えば、なにをされるか」
「う、うん。島子さんがそういうなら」
 そのうちに戸口が開き、いろりで暖まった部屋に、潮の香りと冷気とが流れ込んできた。
「島子殿。今年も魚を献上してくれて、すまないね」
 にこやかに入ってきた上等の絹服に角髪の少年は、あずみに視線を流すと、じきに島子のほうへ向き直る。
「これは吉備津彦様、いつもお目にかけていただけて光栄にございます」
 吉備津彦にひれ伏す島子。あずみは正座したまま、吉備津彦の顔を長いこと見つめていた。
「いや。あなたはツクヨミさまのご子孫だ。偉大なるアマテラスのいろせ(実の弟)…。朝廷が庇護しなければ神の鉄槌がやってこよう。どうだろう。この間の話は」
「私にはもったいないお話です、皇子様。朝廷に仕えるなど、とても」
「まあ、気持ちが変わったら、わたしを訪ねてまた来てくれ。ところでその娘は」
 吉備津彦はようやく本題に入れるといった表情であずみのことを聞き出した。
「は。私の客人です」
 しかし島子はそれ以上説明しなかったため、吉備津彦も深くは問いたださない。
「そうか。邪魔したな」
 吉備津彦が立ち去ると、島子は大きく息をついた。
「はぁ。やっと帰ってくれた…」
「あの人が吉備津彦さん。ぜんぜんえらそうに見えない」
 島子は口もとを押さえて笑った。それから緊張が解けたのか敬語も使わなくなっていた。
「吉備津彦さまは威張ったりしない。皇子様はね、いつもぼくたち漁師のことを気にかけてくれるんだ」
「ふうん、そうなんだね」
「さて、だいぶ夜も更けた。そろそろ寝ないと明日がツライなぁ」
 大きく腕を伸ばすと、戸口につっかえ棒をはめ、あずみに視線を移した。
 あずみは島子が言葉を発する前から寝息を立てて眠り込んでいた。
「はるばるここまで来られて、疲れたのかな」
 島子は上掛けを運んでくると、あずみに羽織らせ、自分も横になって眠りに落ちる。 
 
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