Secret Lover's Night 【完全版】
駐車場を抜け、右肩に仕事道具の入った鞄を、左手で千彩を引き、晴人はいつもよりも数倍軽い足取りで事務所へと続く階段を上る。
所々開いた窓から吹き込む風に、千彩の長い髪がサラサラと靡いた。
「ちぃの髪はサラサラで綺麗やな」
立ち止まり、キャップを被った頭をもう一度そっと撫でてやる。
すると、俯いた千彩が漸く顔を上げた。
「はる、これ好き?」
「ん?好きやで」
「じゃぁちさ、大事にする」
空いた手で髪を一掬いし、千彩がにっこりと笑う。その笑顔が、あまりにも柔らかで、綺麗で。カメラを構えていないことが悔やまれる。
「かぁわいいなぁ、ちぃは」
思わず漏れた言葉に、千彩が目を丸くした。そして、苦々しげに押し出された言葉。
「ちさは可愛くないよ。猫の目やもん!」
唇を尖らせそっぽを向く千彩に、晴人は思わず頬を緩ませた。
プニっと頬を抓み、高さを合わせて視線を交わらせる。不思議そうに見つめる千彩に、晴人はにっこりと微笑んだ。
「今のまんまで十分や」
照れくさそうに頬を染める千彩ともう一度指を絡め、晴人はご機嫌に事務所の扉を押し開ける。
「おはよーございまーす」
忙しなく動く何人かと挨拶を交わし、背に隠れていた千彩を引き出す。すると、一瞬にしてその場の空気が止まった。
それに驚いた千彩が慌てて背に隠れてしまい、晴人は「あらら?」と苦笑いを零す。一向に顔を出す気配の無い千彩の様子を窺いながら、どうしたものか…と思案していると、小気味よく響いたヒールの音がピタリと目の前で止まった。
「おはよ、HALさん」
「おぉ、沙織ちゃんか。おはよ。今日も綺麗やな」
「ありがと」
口元に手を当て、にっこりと微笑む女。嫌な相手に出くわした…と、出かかった言葉をため息と一緒にゆっくりと呑み込んだ。
「誰?」
「んー?」
「だぁれ?」
「えー…っと」
口ごもる晴人に、事務所内に居る全員の視線が集まる。こうなることは予想していたのだけれど、対策を練るのを失念していた。
いや、正しく言えば、そんな余裕が無かったのだけれど。
「お?あちゃー。やっぱくっ付いて来たか」
そこに救世主とばかりに姿を現したのは、いつも通り軽い調子の恵介で。雑用が済んだのか、はたまたその合間なのか。缶コーヒーを片手に千彩にひらひらと手を振っていた。
「けーちゃん!」
その姿に気付いた千彩が、勢い良く背から飛び出す。
それを受け止めて、「マイエンジェルー!」と朝と変わらぬ調子で頬を緩ませる恵介に思わず頭を抱えたくなったのは、何も晴人だけではない。
「KEI、荷物運びは終ったのか?」
「え?あぁ、もうちょっと?」
「さっさと運べ。HAL、ちょっと」
頼むわな?と口パクで合図した晴人に、恵介がグッと親指を立てて答える。
振り返った千彩が少し不安げな表情を確認して、晴人は上司のデスクの前へと足を進めた。
向かい合った上司は、何とも言い表せないような苦悶の表情をしていて。
女を一人同行させたくらいでそんな顔をするような上司ではないだけに、晴人もその重々しげな空気に息を詰まらせていた。
「あのー、所長?」
「妹だろ?」
「へ?」
「お前…」
そのまま言葉を詰まらせた上司の顔を覗き込むと、どこか哀愁が滲んでいて。いったい何が言いたいのだろうか…と、上司の不可思議な行動に晴人は首を捻る。
「HAL」
「はい?」
「お前の趣味に口を出すつもりはないが…」
「え?あー…なるほど。はい、待って」
その瞬間、察しの良い晴人には、所長の不審な行動の全ての謎が解けた気がした。
「言うときますけどね、中学生ちゃいますよ?」
「え?」
「あれはねぇ、ああ見えて17歳です」
バンッとデスクを叩き念を押すと、その音に再び事務所に静けさが戻った。チラリと振り返ると、笑いを堪えた恵介の姿が真っ先に目に入る。
「お前…今笑える立場か?」
「え?いやー、ははは」
「ははは、ちゃうわ!俺の癒しを返せ!」
ツカツカと歩み寄り、そのまま腕の中に千彩を取り戻す。慣れないヒールのせいかよろけた千彩を抱き留め、とうとう笑い始めた恵介の頭にキツめの一発をくれてやった。
「ったぁ!」
「仕事せぇ、仕事。あぁ、アホらしい。お前らも仕事せぇ!」
一喝する晴人に、止まっていた空気が動き出す。
「はる?」
「ちぃ、お前何歳なんやった?」
「ちさ?17歳」
「なぁ?酷い奴らや」
「誰?けーちゃん?」
「けーちゃんも、や。もー!俺、可哀想!」
デスクに両手を付き項垂れた晴人の頭を、千彩がそっと撫でる。その姿に恵介が再び笑い声を上げ、晴人に怒鳴られるまで数秒。
賑やかな時間が、再び動き始めた。
所々開いた窓から吹き込む風に、千彩の長い髪がサラサラと靡いた。
「ちぃの髪はサラサラで綺麗やな」
立ち止まり、キャップを被った頭をもう一度そっと撫でてやる。
すると、俯いた千彩が漸く顔を上げた。
「はる、これ好き?」
「ん?好きやで」
「じゃぁちさ、大事にする」
空いた手で髪を一掬いし、千彩がにっこりと笑う。その笑顔が、あまりにも柔らかで、綺麗で。カメラを構えていないことが悔やまれる。
「かぁわいいなぁ、ちぃは」
思わず漏れた言葉に、千彩が目を丸くした。そして、苦々しげに押し出された言葉。
「ちさは可愛くないよ。猫の目やもん!」
唇を尖らせそっぽを向く千彩に、晴人は思わず頬を緩ませた。
プニっと頬を抓み、高さを合わせて視線を交わらせる。不思議そうに見つめる千彩に、晴人はにっこりと微笑んだ。
「今のまんまで十分や」
照れくさそうに頬を染める千彩ともう一度指を絡め、晴人はご機嫌に事務所の扉を押し開ける。
「おはよーございまーす」
忙しなく動く何人かと挨拶を交わし、背に隠れていた千彩を引き出す。すると、一瞬にしてその場の空気が止まった。
それに驚いた千彩が慌てて背に隠れてしまい、晴人は「あらら?」と苦笑いを零す。一向に顔を出す気配の無い千彩の様子を窺いながら、どうしたものか…と思案していると、小気味よく響いたヒールの音がピタリと目の前で止まった。
「おはよ、HALさん」
「おぉ、沙織ちゃんか。おはよ。今日も綺麗やな」
「ありがと」
口元に手を当て、にっこりと微笑む女。嫌な相手に出くわした…と、出かかった言葉をため息と一緒にゆっくりと呑み込んだ。
「誰?」
「んー?」
「だぁれ?」
「えー…っと」
口ごもる晴人に、事務所内に居る全員の視線が集まる。こうなることは予想していたのだけれど、対策を練るのを失念していた。
いや、正しく言えば、そんな余裕が無かったのだけれど。
「お?あちゃー。やっぱくっ付いて来たか」
そこに救世主とばかりに姿を現したのは、いつも通り軽い調子の恵介で。雑用が済んだのか、はたまたその合間なのか。缶コーヒーを片手に千彩にひらひらと手を振っていた。
「けーちゃん!」
その姿に気付いた千彩が、勢い良く背から飛び出す。
それを受け止めて、「マイエンジェルー!」と朝と変わらぬ調子で頬を緩ませる恵介に思わず頭を抱えたくなったのは、何も晴人だけではない。
「KEI、荷物運びは終ったのか?」
「え?あぁ、もうちょっと?」
「さっさと運べ。HAL、ちょっと」
頼むわな?と口パクで合図した晴人に、恵介がグッと親指を立てて答える。
振り返った千彩が少し不安げな表情を確認して、晴人は上司のデスクの前へと足を進めた。
向かい合った上司は、何とも言い表せないような苦悶の表情をしていて。
女を一人同行させたくらいでそんな顔をするような上司ではないだけに、晴人もその重々しげな空気に息を詰まらせていた。
「あのー、所長?」
「妹だろ?」
「へ?」
「お前…」
そのまま言葉を詰まらせた上司の顔を覗き込むと、どこか哀愁が滲んでいて。いったい何が言いたいのだろうか…と、上司の不可思議な行動に晴人は首を捻る。
「HAL」
「はい?」
「お前の趣味に口を出すつもりはないが…」
「え?あー…なるほど。はい、待って」
その瞬間、察しの良い晴人には、所長の不審な行動の全ての謎が解けた気がした。
「言うときますけどね、中学生ちゃいますよ?」
「え?」
「あれはねぇ、ああ見えて17歳です」
バンッとデスクを叩き念を押すと、その音に再び事務所に静けさが戻った。チラリと振り返ると、笑いを堪えた恵介の姿が真っ先に目に入る。
「お前…今笑える立場か?」
「え?いやー、ははは」
「ははは、ちゃうわ!俺の癒しを返せ!」
ツカツカと歩み寄り、そのまま腕の中に千彩を取り戻す。慣れないヒールのせいかよろけた千彩を抱き留め、とうとう笑い始めた恵介の頭にキツめの一発をくれてやった。
「ったぁ!」
「仕事せぇ、仕事。あぁ、アホらしい。お前らも仕事せぇ!」
一喝する晴人に、止まっていた空気が動き出す。
「はる?」
「ちぃ、お前何歳なんやった?」
「ちさ?17歳」
「なぁ?酷い奴らや」
「誰?けーちゃん?」
「けーちゃんも、や。もー!俺、可哀想!」
デスクに両手を付き項垂れた晴人の頭を、千彩がそっと撫でる。その姿に恵介が再び笑い声を上げ、晴人に怒鳴られるまで数秒。
賑やかな時間が、再び動き始めた。