Secret Lover's Night 【完全版】
眠さにぐずる千彩を取り敢えずソファに寝かせ、やれやれと一息つく。
冷蔵庫から取り出した缶ビールのフタをプシュッと開けると、一口つける間も無くポケットの携帯が着信を知らせる振動を伝えた。
「あーあ。もう!はい、もしもーし」
どうせ恵介だろう。と、表示を確認せずに通話ボタンを押し、受話器から聞こえてきた甲高い声に思わず携帯を耳から離す。
『やっぱ浮気してたんじゃん!』
こうなることを予想していなかったわけではない。けれど、早くても明日の朝だろうと高を括っていた自分が恨めしい。
「何?」
『何じゃないわよ!沙織から聞いたんだから!』
「だったらもうええんとちゃうの?」
『ちゃんと説明してよ!』
うんざりだ…と、ため息と一緒にビールを流し込む。
「説明しろって…何を?」
『全部!』
「全部…ねぇ」
薄暗い部屋の中に、憂鬱な空気が充満していく気がした。
重苦しく圧し掛かる空気に、息を吸うことさえ億劫になってくる。
「何が聞きたいん?」
『今日連れて来たって女!沙織の撮影キャンセルしてその女撮ったらしいじゃない!』
「あぁ、せやで。てか、そんな喚くことないやん。ちょっと落ち着けば?」
その言葉に、リエは余計に声を荒げる。ほんの数日前ならば、絶対にそんな物言いをしたりはしなかった。それは断言出来る。
軽いノリで、「ごめん」「好きだ」と言えたのだから。
けれど今の晴人には、それはもう不可能に近い。その証拠に、口をついて出てくるのは皮肉ばかりだった。
「俺さ、可愛い女が好きやなんやわ」
『何それ!私が悪いって言うの!?』
「いやいや、俺の好みの話。可愛い女、が好きなんや」
『連れて来た女、ただのガキだったって言ってたわ!』
「ただのガキかもなぁ、リエらからしたら」
『だったら…っ!』
「でも、俺にしたら可愛いんやわ」
よいしょ…と背凭れを乗り越えて缶をテーブルに置き、抱いたぬいぐるみを下敷きにして枕代わりにしている千彩の頭をゆっくりと撫で、電話を離さぬまま声を掛ける。
「ちぃ、くま潰れてまうで?」
「…うぅん」
「はははっ。くまがぶちゅーってなってるわ。可哀想やで」
千彩に触れていると、心に刺さった棘が徐々に抜かれていくようで心地好い。
ゴソゴソと動き始めた千彩の脇に手を差し込み、自分の元へと抱き上げた。
「重いわー、ちぃ」
「んー・・・はるぅ」
「はいはい。何ですかー?」
耳元からは、止むこと無く罵声が浴びせられていて。何でそんなガキが良いんだ!とか、何で家に入れてるんだ!とか、私には家の場所さえ教えてくれなかったのに!とか。
煩わしいのだ。と、ため息を吐く代わりに、首元に擦り寄る千彩の長い髪を梳く。
『ねぇ!ハル!』
「はいはい?何ですか、リエさん」
『聞いてたのっ?』
「いーや。全く」
『何なのよっ!』
「だから昨日も言うたやん?気持ち離れたって」
『その女の…せいなの?』
「さぁなぁ…」
途端に弱々しくなったリエの声に、晴人も言葉の棘を和らげる。
けれど、どこかにあったはずだった「気持ち」は、もう完全に冷め切っていた。
「リエは、俺やなくてもええやろ?」
『そんなことっ!』
「この子には俺しかおらんねん」
『私だって!』
「言い切れるか?家族も友達も仕事も、俺がおったら何も要らんって」
『それは…だってそれはっ!』
「お前には無理や。でも、この子は違う。この子は、俺がおったら何も要らん」
『おかしいんじゃない?ただのロリコンじゃん!』
またその台詞か…と、サラサラと流れる艶やかな黒を撫ぜながら、耐え兼ねたため息が漏れた。
「それなぁ、もう聞き飽きた」
『だってそうでしょ?ただのガキだったって沙織は言ってたもの!』
「はいはい。ガキなことに変わりないから否定はしませんよ」
『その子…ハルの何なの?』
「俺の?せやなぁ…」
ふと考え、言葉を呑み込む。
そうしているうちに、薄く瞼を持ち上げた千彩が問い掛けた。
「はるぅ…誰と話してるん?けーちゃん?」
「けーちゃんちゃうで。彼女」
「カノジョ?」
「そー。彼女、やった女の人」
「ふぅん」
納得したのか、していないのか。スリスリと擦り寄って来る千彩を、晴人はギュッと抱き締める。
「なぁ、リエ?」
『なっ…何?』
「もうええかな?十分説明したと思うんやけど」
『ホントに…別れるの?』
「ごめん。もう無理」
『私…ハルのこと好きだった』
「ん?知ってるよ?」
『いっぱい我が儘言ってごめんなさい』
「ん。ほなな」
啜り泣く声と共に、恋人だった女が最後にいい女を取り繕う。散々喚き散らした後だというのに。
相変わらずだ…と、用済みの携帯を手放そうとして、再び震えたそれにため息を吐く。
「何?もう別れ話は終わったんちゃうかったん?」
『嫌よっ!私別れないから!ってか?』
笑い混じりに聞こえたのは、当初電話口から聞こえるはずだった声で。ふぅーっと息を吐き、晴人はわざと無言を貫いた。
『あれ?もしもーし?』
「・・・」
『ごめんってー。晴人さーん?』
「・・・」
『んー。取り敢えず玄関開けてくれる?ちーちゃんのプリン買って来たんやけどー』
うつらうつらとしていた千彩が、その声にガバッと体を起こす。聞こえていたのか。と、思わず噴き出した。
「けーちゃん?」
「そー」
「ちさが開ける!」
「どうぞー」
走り出した千彩の背を見送りながら、温くなりかけたビールを喉の奥に流し込む。
どうにも呑み込めない気持ちと、靄がかかったような思考に、晴人はこっそりと深いため息を吐いた。
冷蔵庫から取り出した缶ビールのフタをプシュッと開けると、一口つける間も無くポケットの携帯が着信を知らせる振動を伝えた。
「あーあ。もう!はい、もしもーし」
どうせ恵介だろう。と、表示を確認せずに通話ボタンを押し、受話器から聞こえてきた甲高い声に思わず携帯を耳から離す。
『やっぱ浮気してたんじゃん!』
こうなることを予想していなかったわけではない。けれど、早くても明日の朝だろうと高を括っていた自分が恨めしい。
「何?」
『何じゃないわよ!沙織から聞いたんだから!』
「だったらもうええんとちゃうの?」
『ちゃんと説明してよ!』
うんざりだ…と、ため息と一緒にビールを流し込む。
「説明しろって…何を?」
『全部!』
「全部…ねぇ」
薄暗い部屋の中に、憂鬱な空気が充満していく気がした。
重苦しく圧し掛かる空気に、息を吸うことさえ億劫になってくる。
「何が聞きたいん?」
『今日連れて来たって女!沙織の撮影キャンセルしてその女撮ったらしいじゃない!』
「あぁ、せやで。てか、そんな喚くことないやん。ちょっと落ち着けば?」
その言葉に、リエは余計に声を荒げる。ほんの数日前ならば、絶対にそんな物言いをしたりはしなかった。それは断言出来る。
軽いノリで、「ごめん」「好きだ」と言えたのだから。
けれど今の晴人には、それはもう不可能に近い。その証拠に、口をついて出てくるのは皮肉ばかりだった。
「俺さ、可愛い女が好きやなんやわ」
『何それ!私が悪いって言うの!?』
「いやいや、俺の好みの話。可愛い女、が好きなんや」
『連れて来た女、ただのガキだったって言ってたわ!』
「ただのガキかもなぁ、リエらからしたら」
『だったら…っ!』
「でも、俺にしたら可愛いんやわ」
よいしょ…と背凭れを乗り越えて缶をテーブルに置き、抱いたぬいぐるみを下敷きにして枕代わりにしている千彩の頭をゆっくりと撫で、電話を離さぬまま声を掛ける。
「ちぃ、くま潰れてまうで?」
「…うぅん」
「はははっ。くまがぶちゅーってなってるわ。可哀想やで」
千彩に触れていると、心に刺さった棘が徐々に抜かれていくようで心地好い。
ゴソゴソと動き始めた千彩の脇に手を差し込み、自分の元へと抱き上げた。
「重いわー、ちぃ」
「んー・・・はるぅ」
「はいはい。何ですかー?」
耳元からは、止むこと無く罵声が浴びせられていて。何でそんなガキが良いんだ!とか、何で家に入れてるんだ!とか、私には家の場所さえ教えてくれなかったのに!とか。
煩わしいのだ。と、ため息を吐く代わりに、首元に擦り寄る千彩の長い髪を梳く。
『ねぇ!ハル!』
「はいはい?何ですか、リエさん」
『聞いてたのっ?』
「いーや。全く」
『何なのよっ!』
「だから昨日も言うたやん?気持ち離れたって」
『その女の…せいなの?』
「さぁなぁ…」
途端に弱々しくなったリエの声に、晴人も言葉の棘を和らげる。
けれど、どこかにあったはずだった「気持ち」は、もう完全に冷め切っていた。
「リエは、俺やなくてもええやろ?」
『そんなことっ!』
「この子には俺しかおらんねん」
『私だって!』
「言い切れるか?家族も友達も仕事も、俺がおったら何も要らんって」
『それは…だってそれはっ!』
「お前には無理や。でも、この子は違う。この子は、俺がおったら何も要らん」
『おかしいんじゃない?ただのロリコンじゃん!』
またその台詞か…と、サラサラと流れる艶やかな黒を撫ぜながら、耐え兼ねたため息が漏れた。
「それなぁ、もう聞き飽きた」
『だってそうでしょ?ただのガキだったって沙織は言ってたもの!』
「はいはい。ガキなことに変わりないから否定はしませんよ」
『その子…ハルの何なの?』
「俺の?せやなぁ…」
ふと考え、言葉を呑み込む。
そうしているうちに、薄く瞼を持ち上げた千彩が問い掛けた。
「はるぅ…誰と話してるん?けーちゃん?」
「けーちゃんちゃうで。彼女」
「カノジョ?」
「そー。彼女、やった女の人」
「ふぅん」
納得したのか、していないのか。スリスリと擦り寄って来る千彩を、晴人はギュッと抱き締める。
「なぁ、リエ?」
『なっ…何?』
「もうええかな?十分説明したと思うんやけど」
『ホントに…別れるの?』
「ごめん。もう無理」
『私…ハルのこと好きだった』
「ん?知ってるよ?」
『いっぱい我が儘言ってごめんなさい』
「ん。ほなな」
啜り泣く声と共に、恋人だった女が最後にいい女を取り繕う。散々喚き散らした後だというのに。
相変わらずだ…と、用済みの携帯を手放そうとして、再び震えたそれにため息を吐く。
「何?もう別れ話は終わったんちゃうかったん?」
『嫌よっ!私別れないから!ってか?』
笑い混じりに聞こえたのは、当初電話口から聞こえるはずだった声で。ふぅーっと息を吐き、晴人はわざと無言を貫いた。
『あれ?もしもーし?』
「・・・」
『ごめんってー。晴人さーん?』
「・・・」
『んー。取り敢えず玄関開けてくれる?ちーちゃんのプリン買って来たんやけどー』
うつらうつらとしていた千彩が、その声にガバッと体を起こす。聞こえていたのか。と、思わず噴き出した。
「けーちゃん?」
「そー」
「ちさが開ける!」
「どうぞー」
走り出した千彩の背を見送りながら、温くなりかけたビールを喉の奥に流し込む。
どうにも呑み込めない気持ちと、靄がかかったような思考に、晴人はこっそりと深いため息を吐いた。