Secret Lover's Night 【完全版】
バスルームから出て来た千彩が、ドライヤーを片手にペタペタと歩み寄って来る。
「はるー、髪してー?」
「んー。今日はけーちゃんにしてもろて?俺酔っ払ってるから」
この二日間ですっかり自分の役目となったそれを恵介に押し付け、何本目かになった空の缶をテーブルに投げ置く。
「はるぅ…」
「ちぃ、いい子やから。な?」
「おいで、ちーちゃん。どこで乾かすんや?」
「ん…あっち」
「ほら、これ。くま持って行き。おやすみ、ちぃ」
「…おやすみなさい」
「おやすみ、姫」
「おやすみ、めーしー」
擦り寄ろうとした千彩を手で制し、代わりにぬいぐるみを渡してやる。
名残惜しそうに去って行く千彩に罪悪感は感じるものの、敢えて遠ざける道を選んでその背中を見送った。
ヨロヨロと立ち上がり、冷蔵庫から姿を消した缶ビールの代わりに戸棚からブランデーの瓶を取り出す。
封を切ってグラスに注ぎ一気に煽ると、独特の香りが咥内に充満して、思わず晴人は嗚咽を漏らす。
「あーあ。何やってんの…俺」
そう自嘲するものの、グラスの中身を煽る手は止まらなくて。ボトルが三分の一ほど減った時に、恵介がスッとガラス扉を滑らせる音が聞こえた。
「おーおー。今度はそっち?何?ブランデーかー」
「思春期なんだってさ、王子は」
「思春期?はぁ?」
「飲むか?」
「ん?俺は遠慮する」
「…珍しい」
「明日はちゃんと起きて、ちーちゃんの朝メシ作ってやらなあかんからな。お前の代わりに」
「せやなー。メーシーは?」
「いただく。って言いたいとこだけど、俺バイクなんだ。泊まるわけにいかないし、今日は遠慮しておく」
「そっか」
座り込んで苦笑いを零す晴人の頭を、恵介がそっと撫でる。普段ならば気持ち悪い!とばかりに払い退けるその手も、今日ばかりは素直に受け取った。
「仕事、もう片付いてるんやろ?」
「おぉ。おかげさまで」
「明日、ちーちゃんは俺が連れてくわ」
「せやなぁ…」
千彩が負担なわけではない。寧ろ癒しだと思っている。
けれど、それだけでは解せない痞えたままの「ナニカ」が苦しい。
「なぁ、晴人」
「んー?」
「ちーちゃんどうする気なん?」
服を持って来てもらう際に、恵介にはどういった経緯で家に連れて来たかを話した。けれど、この先どうするかは話していなくて。
実際晴人も決めていないのだから、話すも何もないのだけれど。
「どうするんやろな、俺」
「家族とかおらんの?」
「おらん…と、思う」
少なくともこっちにはな。と付け足し、瓶に手を伸ばす。それを制され、代わりにミネラルウォーターの入ったペットボトルを渡された。
「ちょっと休憩しようや」
「…ん」
体を起こされ、グラリと目の前が揺れる。相当体の中を回っているだろうアルコールに、普段ならば感じる心地好さは微塵も感じなかった。
「なぁ、晴人」
「んー?」
「ちーちゃん、泣いてたで」
「おぉ、やろうな」
酔って回転の鈍くなった頭でも、それは容易に想像がつく。甘えん坊の千彩のことだから、恵介に髪を乾かされながらさぞぐずったことだろう。
そんなことを思いながらドサッと背凭れに身を預けると、早々に隣に陣取っていたメーシーが晴人の顔を覗き込む。
「王子?」
「んー?」
「あの子、ここに住んでんの?」
「おぉ。ちょっと事情があって…」
ふぅん。とさしたる興味もなさげに流すメーシーは、くるりとリビングを見回しながら一通りの様子を窺った。
女の子と一緒に住んでるわりには愛想の欠片も無い部屋だな。と思い、あぁ、二晩って言ってたっけ…と思い直す。
「それにしても可愛いよね、姫」
「せやからメーシー、ちーちゃんは晴人のやって…」
「わかってるっつってんじゃん。そうゆうのじゃなくてさ」
「メーシー怖いからなぁ」
特別前科があるわけではないのだけれど、メーシーのフェミニスト具合はモデルにも抜群の人気を誇っていて。相手が「晴人大好きの千彩」だけに考え難いけれど、恵介にはどうにもそれが不安でならなかった。
「俺はてっきり、王子はリエちゃんみたいな綺麗系が好きなのかと思ってた」
「リエ…なぁ」
「まっ、王子は来る者拒まずだしねー」
あははっ。と笑うメーシーに、眉根を寄せたのは恵介で。電話でのやり取りから、ついさっき別れ話を済ませただろうことを悟っていた恵介は気が気ではなかった。
こんな風に荒れている理由も、恐らくはそこにあるのだから。
「別れたんだって?姫がいるから?」
「さぁ…どうやろ」
「あの子、王子の何?」
「そうやなぁ…」
言いかけて、そこで言葉が詰まる。あの時もそうだった。
あの時呑み込んだはずの言葉が喉元に痞えたまま、その苦しさ耐え兼ね、こうして散々酒を煽っている。
「お前さ、ちーちゃんどうすんの?」
「いや、だから…」
「そうやなくてさ。俺のもんや言うてたけど、ほんまにそうする気なん?」
改めて問われると、どうとも返事がし難い。曖昧なままで過ごせるならば、是非ともそうしたいところだ。
大人の卑怯な判断かもしれないけれど。
「俺のもんってさ、もう姫とヤッちゃったってこと?」
「いやいや、メーシー。晴人やで?考えたらわかるやん」
「どうゆう意味や、それは」
持っていたペットボトルでバシンと頭を叩き、それを大袈裟に痛がる恵介の頬を抓る。
「手なんか出してないわ、阿呆めが」
「うわっ。ますます意外」
「どうゆう意味や、メーシー」
声に怒気を含ませるも、あははと笑うメーシーにかわされて。酷い奴らだ!と言いたくもなるけれど、今まで自分がやってきたことを思えばそれを言えないのが事実。
来る者拒まずの晴人は、求められれば簡単に「恋人」という肩書を与えてやった。
誰もそれを咎めはしなかったし、晴人自身も「二股をかけないだけまだマシだ」と、自分の軽薄さを正当化させていた。
「王子って、何か…もっとかるーいイメージなわけ、俺の中では」
「失礼な」
「あれだけ女コロコロ変えてたら、そりゃ言われるだろ?」
「まぁ…そうかもなぁ」
「いやいや、晴人。そこは否定しようや」
「んー?別にええよ。事実やし」
反対側に陣取った恵介に、空になったペットボトルを押し付ける。
それを受け取った恵介が、ごそごそと袋を漁って新しいペットボトルを手渡してくれるけれど、もう飲ませない!と言わんばかりに、新たに手渡されたものもミネラルウォーターだった。
「本気ってこと?」
「何が?」
「姫のこと」
ズバリと核心をつかれ、思わず飲みかけた水を喉に詰まらせた。ゲホゲホと苦しそうに噎せる晴人の背を摩りながら、恵介が笑う。
「何焦ってんの?らしくない」
「いやっ…だって…な」
「遊びだったら、俺は王子に幻滅するかな。ああゆう子、玩ぶもんじゃないよ?」
「いや、遊びとか、玩ぶとか…そうゆうんやなくてやな」
「なくて?」
「いや…、何て言うか…」
助けを求めようとチラリと恵介を見遣るも、助けてくれるはずの恵介までもニヤニヤと嫌な笑みを見せていて。勘弁してくれ…と、額に手を乗せて薄暗い天井を見上げた。
「所長も喜んでたよ?これで王子が落ち着くんじゃないかって」
「はぁ…」
「でもさ、ああゆう「いかにも純粋です!」って子は、軽い王子にはちょっと扱い難いかもね。ケイ坊もそう思うだろ?」
「いやぁ…どうやろ。でも晴人、高校時代は何人かああゆう子と付き合うてたよな?」
「せやったっけ?忘れたわ、そんな昔のこと」
初めての恋人の顔はきっちりと思い出せるのに、その後の記憶が曖昧過ぎて否定も肯定も出来ない。
「ヤダねー、汚れた大人」
「よぉ言うわ。自分かてそうやろ?」
「いやいや。軽薄プリンスと一緒にしないでよ」
「はいはい。そりゃ悪ぅございました」
ガシガシと頭を掻き、もうどうにでもしてくれ…と、投げ遣りになってくる。それを引き留めるように、メーシーが真面目な顔を作ってみせた。
「大事にしてやんなよ?好きなんだったら」
「好き…なぁ」
「俺や所長の目からは、王子が姫に惚れ込んでるように見えたけど?あっ、ケイ坊も?」
「まぁ…俺にもそう見えんことは…ないけど」
「何や、揃いも揃って…」
惚れるとか惚れないとか、ここ何年もそんなことを考えたことが無かった。恋愛はしていたつもりだったけれど、それもどこか冷めた目で見ている自分がいて。
本気で相手を好きになるとか、惚れ込むとか、そんな面倒くさいこと…と、どこか避けていた節がある。
「いいねー、恋。王子がこの先どうなるか楽しみだ」
はははっ。と笑うメーシーに釣られ、恵介も笑いを零している。それが何だか心地好くて。
胸に痞えた何かがスッと消え去った気がした。
「はるー、髪してー?」
「んー。今日はけーちゃんにしてもろて?俺酔っ払ってるから」
この二日間ですっかり自分の役目となったそれを恵介に押し付け、何本目かになった空の缶をテーブルに投げ置く。
「はるぅ…」
「ちぃ、いい子やから。な?」
「おいで、ちーちゃん。どこで乾かすんや?」
「ん…あっち」
「ほら、これ。くま持って行き。おやすみ、ちぃ」
「…おやすみなさい」
「おやすみ、姫」
「おやすみ、めーしー」
擦り寄ろうとした千彩を手で制し、代わりにぬいぐるみを渡してやる。
名残惜しそうに去って行く千彩に罪悪感は感じるものの、敢えて遠ざける道を選んでその背中を見送った。
ヨロヨロと立ち上がり、冷蔵庫から姿を消した缶ビールの代わりに戸棚からブランデーの瓶を取り出す。
封を切ってグラスに注ぎ一気に煽ると、独特の香りが咥内に充満して、思わず晴人は嗚咽を漏らす。
「あーあ。何やってんの…俺」
そう自嘲するものの、グラスの中身を煽る手は止まらなくて。ボトルが三分の一ほど減った時に、恵介がスッとガラス扉を滑らせる音が聞こえた。
「おーおー。今度はそっち?何?ブランデーかー」
「思春期なんだってさ、王子は」
「思春期?はぁ?」
「飲むか?」
「ん?俺は遠慮する」
「…珍しい」
「明日はちゃんと起きて、ちーちゃんの朝メシ作ってやらなあかんからな。お前の代わりに」
「せやなー。メーシーは?」
「いただく。って言いたいとこだけど、俺バイクなんだ。泊まるわけにいかないし、今日は遠慮しておく」
「そっか」
座り込んで苦笑いを零す晴人の頭を、恵介がそっと撫でる。普段ならば気持ち悪い!とばかりに払い退けるその手も、今日ばかりは素直に受け取った。
「仕事、もう片付いてるんやろ?」
「おぉ。おかげさまで」
「明日、ちーちゃんは俺が連れてくわ」
「せやなぁ…」
千彩が負担なわけではない。寧ろ癒しだと思っている。
けれど、それだけでは解せない痞えたままの「ナニカ」が苦しい。
「なぁ、晴人」
「んー?」
「ちーちゃんどうする気なん?」
服を持って来てもらう際に、恵介にはどういった経緯で家に連れて来たかを話した。けれど、この先どうするかは話していなくて。
実際晴人も決めていないのだから、話すも何もないのだけれど。
「どうするんやろな、俺」
「家族とかおらんの?」
「おらん…と、思う」
少なくともこっちにはな。と付け足し、瓶に手を伸ばす。それを制され、代わりにミネラルウォーターの入ったペットボトルを渡された。
「ちょっと休憩しようや」
「…ん」
体を起こされ、グラリと目の前が揺れる。相当体の中を回っているだろうアルコールに、普段ならば感じる心地好さは微塵も感じなかった。
「なぁ、晴人」
「んー?」
「ちーちゃん、泣いてたで」
「おぉ、やろうな」
酔って回転の鈍くなった頭でも、それは容易に想像がつく。甘えん坊の千彩のことだから、恵介に髪を乾かされながらさぞぐずったことだろう。
そんなことを思いながらドサッと背凭れに身を預けると、早々に隣に陣取っていたメーシーが晴人の顔を覗き込む。
「王子?」
「んー?」
「あの子、ここに住んでんの?」
「おぉ。ちょっと事情があって…」
ふぅん。とさしたる興味もなさげに流すメーシーは、くるりとリビングを見回しながら一通りの様子を窺った。
女の子と一緒に住んでるわりには愛想の欠片も無い部屋だな。と思い、あぁ、二晩って言ってたっけ…と思い直す。
「それにしても可愛いよね、姫」
「せやからメーシー、ちーちゃんは晴人のやって…」
「わかってるっつってんじゃん。そうゆうのじゃなくてさ」
「メーシー怖いからなぁ」
特別前科があるわけではないのだけれど、メーシーのフェミニスト具合はモデルにも抜群の人気を誇っていて。相手が「晴人大好きの千彩」だけに考え難いけれど、恵介にはどうにもそれが不安でならなかった。
「俺はてっきり、王子はリエちゃんみたいな綺麗系が好きなのかと思ってた」
「リエ…なぁ」
「まっ、王子は来る者拒まずだしねー」
あははっ。と笑うメーシーに、眉根を寄せたのは恵介で。電話でのやり取りから、ついさっき別れ話を済ませただろうことを悟っていた恵介は気が気ではなかった。
こんな風に荒れている理由も、恐らくはそこにあるのだから。
「別れたんだって?姫がいるから?」
「さぁ…どうやろ」
「あの子、王子の何?」
「そうやなぁ…」
言いかけて、そこで言葉が詰まる。あの時もそうだった。
あの時呑み込んだはずの言葉が喉元に痞えたまま、その苦しさ耐え兼ね、こうして散々酒を煽っている。
「お前さ、ちーちゃんどうすんの?」
「いや、だから…」
「そうやなくてさ。俺のもんや言うてたけど、ほんまにそうする気なん?」
改めて問われると、どうとも返事がし難い。曖昧なままで過ごせるならば、是非ともそうしたいところだ。
大人の卑怯な判断かもしれないけれど。
「俺のもんってさ、もう姫とヤッちゃったってこと?」
「いやいや、メーシー。晴人やで?考えたらわかるやん」
「どうゆう意味や、それは」
持っていたペットボトルでバシンと頭を叩き、それを大袈裟に痛がる恵介の頬を抓る。
「手なんか出してないわ、阿呆めが」
「うわっ。ますます意外」
「どうゆう意味や、メーシー」
声に怒気を含ませるも、あははと笑うメーシーにかわされて。酷い奴らだ!と言いたくもなるけれど、今まで自分がやってきたことを思えばそれを言えないのが事実。
来る者拒まずの晴人は、求められれば簡単に「恋人」という肩書を与えてやった。
誰もそれを咎めはしなかったし、晴人自身も「二股をかけないだけまだマシだ」と、自分の軽薄さを正当化させていた。
「王子って、何か…もっとかるーいイメージなわけ、俺の中では」
「失礼な」
「あれだけ女コロコロ変えてたら、そりゃ言われるだろ?」
「まぁ…そうかもなぁ」
「いやいや、晴人。そこは否定しようや」
「んー?別にええよ。事実やし」
反対側に陣取った恵介に、空になったペットボトルを押し付ける。
それを受け取った恵介が、ごそごそと袋を漁って新しいペットボトルを手渡してくれるけれど、もう飲ませない!と言わんばかりに、新たに手渡されたものもミネラルウォーターだった。
「本気ってこと?」
「何が?」
「姫のこと」
ズバリと核心をつかれ、思わず飲みかけた水を喉に詰まらせた。ゲホゲホと苦しそうに噎せる晴人の背を摩りながら、恵介が笑う。
「何焦ってんの?らしくない」
「いやっ…だって…な」
「遊びだったら、俺は王子に幻滅するかな。ああゆう子、玩ぶもんじゃないよ?」
「いや、遊びとか、玩ぶとか…そうゆうんやなくてやな」
「なくて?」
「いや…、何て言うか…」
助けを求めようとチラリと恵介を見遣るも、助けてくれるはずの恵介までもニヤニヤと嫌な笑みを見せていて。勘弁してくれ…と、額に手を乗せて薄暗い天井を見上げた。
「所長も喜んでたよ?これで王子が落ち着くんじゃないかって」
「はぁ…」
「でもさ、ああゆう「いかにも純粋です!」って子は、軽い王子にはちょっと扱い難いかもね。ケイ坊もそう思うだろ?」
「いやぁ…どうやろ。でも晴人、高校時代は何人かああゆう子と付き合うてたよな?」
「せやったっけ?忘れたわ、そんな昔のこと」
初めての恋人の顔はきっちりと思い出せるのに、その後の記憶が曖昧過ぎて否定も肯定も出来ない。
「ヤダねー、汚れた大人」
「よぉ言うわ。自分かてそうやろ?」
「いやいや。軽薄プリンスと一緒にしないでよ」
「はいはい。そりゃ悪ぅございました」
ガシガシと頭を掻き、もうどうにでもしてくれ…と、投げ遣りになってくる。それを引き留めるように、メーシーが真面目な顔を作ってみせた。
「大事にしてやんなよ?好きなんだったら」
「好き…なぁ」
「俺や所長の目からは、王子が姫に惚れ込んでるように見えたけど?あっ、ケイ坊も?」
「まぁ…俺にもそう見えんことは…ないけど」
「何や、揃いも揃って…」
惚れるとか惚れないとか、ここ何年もそんなことを考えたことが無かった。恋愛はしていたつもりだったけれど、それもどこか冷めた目で見ている自分がいて。
本気で相手を好きになるとか、惚れ込むとか、そんな面倒くさいこと…と、どこか避けていた節がある。
「いいねー、恋。王子がこの先どうなるか楽しみだ」
はははっ。と笑うメーシーに釣られ、恵介も笑いを零している。それが何だか心地好くて。
胸に痞えた何かがスッと消え去った気がした。