Secret Lover's Night 【完全版】
最後の夜だ。そう思うと、どうにも離し難い。明日必ず時間までに駅まで送り届けると約束し、部屋へと連れ帰った。
夕食は皆で済ませ、帰って早々にシャワーを交代で浴びた。長い髪を乾かしながらふと思う。これを手入れするのは大変なのではないだろうか…と。
「ちぃ、髪切ろか?」
「えー?なにー?」
ドライヤーの音でハッキリと届かなかったのだろう。首を傾げた千彩が振り返る。
相変わらず薄暗い部屋の中、ベッドの上で二人きり。ふと胸を突き上げてくる欲望を、晴人は必死に抑え込んだ。
淡く色付いた、穏やかな毎日。
千彩が待っていると思えば、早く仕事を済ませて帰ろうと自然と思えた。
女からの誘いも全て断り、ただただ甘えん坊の千彩のために時間を費やしてきた。
それを苦痛に思ったことはない。寧ろ、それが幸せだと思えた。
変わった。
そう改めて自覚すると、何だかとてもくすぐったい。半乾きの長い髪を梳きながら、はにかんだ顔を見られないように頬を寄せた。
「はる、さっき何て言ったん?」
「ん?あぁ、髪切ろか?って」
「なんで?はるはこれが好きなんでしょ?」
「まぁ…せやけど。一人で手入れすんの大変やで」
「うーん…」
「髪はまた伸ばせばええから、明日メーシーに切ってもらおか」
「はる、これ切ってもちさのこと嫌いにならへん?」
うるっと瞳を潤まされ、抑えていたはずの欲望がまた暴れ出す。
「参ったなぁ…」
「ん?なに?」
「いや、こっちの話」
「誰?誰と話してるん?」
「いや、そうやなくて」
もう笑って誤魔化すしか術はない。それに首を傾げる千彩が、何とも可愛い。
何とか欲望を誤魔化すために再度ドライヤーにスイッチを入れ、ふわりと長い髪を遊ばせた。
カチリとスイッチを切った晴人の手を取り、千彩がじっと何かを訴えるように見つめた。
「ん?どした?」
「はる…ちさがいないと寂しい?」
「え?おぉ。寂しいよ」
「悲しい?」
「せやなぁ…悲しくは…ないかな。だって、また帰って来るやろ?」
嘘は吐いていない。寂しいけれど、悲しくはない。少しの間離れて暮らすだけなのだから。
「だから、寂しいけど悲しくはないな」
「…そっか」
「ちぃは悲しいんか?」
「悲しい」
「何で?誕生日過ぎたらまた一緒に暮らせるやん」
しゅんと肩を落とす千彩の頭をゆっくりと撫で、少し声音を優しくする。最後の夜に泣かせたくはない。そんな想いが、晴人の気持ちを少し柔らかくした。
「ちさ…はると一緒におりたい」
「ちぃ。メーシーもお兄様も言うてたやろ?大人には大人のルールがあるんやって」
「どんなルール?ちさにはわからへん」
「んー…」
さて、何と説明しようか。
極力簡単な言葉を選んで考えながら、晴人はゆっくりと千彩の肩を抱いた。
「ちぃはまだ17歳やろ?」
「うん」
「ちぃと同じ年の子らは学校行ってる子が多いんや」
「学校?」
「そう。俺も恵介もちぃの年の時は学校行ってたし、メーシーだって行ってたはずやわ」
「ふぅん」
学校という場所に興味が無いのか、千彩は「通っていた」という事実だけを納得したようで。「だから?」と、次の言葉を急かす。
「学校行ってる子らはな、親と一緒に住んでる子が多いんや」
「みんな?」
「皆…ではないけど、そうゆう子の方が多い」
「だから?ちさは学校行ってないよ?」
「行ってないけど、行っててもおかしくない年やろ?」
「うーん」
「高校卒業するのが18歳やから、だからそれまで待ってってお兄様は言うたんちゃうかな?」
「そうなん?」
「ハッキリそうやとは言えんけど、多分そうやと思う。帰ったらお兄様に訊いてみたらええわ」
「…うん」
寂しげに瞳を伏せる千彩は、どうやら拒絶の言葉を懸命に探しているようで。うーんと唸り、ゆっくりと首を横に振った。
「ちさにはわからへん」
「そっか…」
たとえわからないと言われたとて、ここに居させるわけにはいかない。約束したのだから。
けれど、出来れば納得した状態で行かせてやりたい。それが誠意だと思うから。
そっと引き寄せ、しゅんと項垂れる千彩を腕の中に収める。じわりと温まって行く腕の中と、じんと疼く胸の奥が調和された気がした。
「俺な、ちぃのこと大好きやで」
「ちさも…ちさもはるのこと大好き」
漸く顔を上げた千彩の腕が伸びて来る。あぁ…この瞬間が堪らなく幸せだ。と、淡く色付く想いを噛み締める。
「初めて会った日、お前泣いてたやろ?」
「…うん」
「俺な、正直どうしてええかわからんかったんや」
「どうゆうこと?」
「まぁ、聞けって。一緒に暮らして、いっぱい色んなことしたやろ?」
「うん」
「これが幸せって言うんやろなって思ったんや」
「幸せ?」
「そう。幸せ」
「幸せって嬉しい?」
「おぉ。嬉しいし、楽しいし、大事なもんや」
「じゃあちさも幸せ!」
パッと千彩の表情が明るくなる。それが晴人にはとても嬉しくて。ちゅっと頬に口付け、顔にかかる髪を避けて言葉を続ける。
「幸せはな、すぐに壊れてしまうんや」
「壊れるん?」
「そう。ため息吐いたら逃げるやろ?それ同じや。だからな、大事に大事に守っていかなあかん」
「どうやって?」
「俺とお前がちゃんとルール守って、これからもずっと幸せでおれるように守ろう?」
「そしたら、ちさはずっとはると一緒におれる?」
「おぉ。ずっとずっと一緒や」
「じゃぁちさ…約束守る」
わかってくれたか!と思わず喜んだものの、どうやらそうではないらしい。少し首を傾げながら、千彩は複雑な笑みを見せた。
「ちさは…あほやから難しいことはわからへんけど、はるがそう言うならそうする。だってちさ、はるのこと大好きやから。ずっとはると一緒におりたい」
「千彩…」
「ちさが約束守っていい子にして、それでここに帰って来たら、ちさははるのカノジョになれる?」
「彼女?」
「ちさ、はるのカノジョになりたい。はるが一番愛してる人になりたい。なれる?」
嗚呼…どうしよう。
幸せ過ぎて涙が出そうだ。
プリンやぬいぐるみやエプロンなど、そんな小さな物しか強請らなかった千彩の最大のおねだりに、晴人は思わず言葉を詰まらせた。じわりと涙が溢れて来るのがわかる。
頭も、心も、体も、「幸せだ!」と訴えている。
「あほやなぁ。彼女が俺の一番愛してる人なんやったら、千彩はもう俺の彼女やろ?お前は俺の中で一番やで」
しっかりと両頬を挟んで言い聞かせるように言うと、勢い良く千彩の目から涙が溢れた。綺麗な涙だ…と、どこか遠くでそんなことを思いながら、そっと口付ける。
「寂しかったらいつでも電話しておいで」
「…うん」
「恵介が作ってくれたエプロン持ってくか?お兄様の手伝いするやろ?」
「…うん」
「くまは?」
「持ってく…」
「よし。ほな荷物に入れとこな?」
「…うん」
「それから…」
言いかけた晴人の手を取り、千彩は「はると…」と小さく名を呼んだ。
「お前は特別や。俺の名前を「晴人」って呼ぶ女なんか家族くらいやからな」
「…うん」
「大丈夫や。心配せんでもちゃんと迎えに行く」
「…うん」
「俺はお前を捨てたりせん。約束や」
そっと頬から手を離し、改めて千彩の手を取る。そして、ギュッと小指を絡めた。
「二人で幸せ守ってこうな」
再び泣きはじめた千彩を抱き締め、晴人は思う。このまま、この瞬間が永遠に続けばいいのに…と。
夕食は皆で済ませ、帰って早々にシャワーを交代で浴びた。長い髪を乾かしながらふと思う。これを手入れするのは大変なのではないだろうか…と。
「ちぃ、髪切ろか?」
「えー?なにー?」
ドライヤーの音でハッキリと届かなかったのだろう。首を傾げた千彩が振り返る。
相変わらず薄暗い部屋の中、ベッドの上で二人きり。ふと胸を突き上げてくる欲望を、晴人は必死に抑え込んだ。
淡く色付いた、穏やかな毎日。
千彩が待っていると思えば、早く仕事を済ませて帰ろうと自然と思えた。
女からの誘いも全て断り、ただただ甘えん坊の千彩のために時間を費やしてきた。
それを苦痛に思ったことはない。寧ろ、それが幸せだと思えた。
変わった。
そう改めて自覚すると、何だかとてもくすぐったい。半乾きの長い髪を梳きながら、はにかんだ顔を見られないように頬を寄せた。
「はる、さっき何て言ったん?」
「ん?あぁ、髪切ろか?って」
「なんで?はるはこれが好きなんでしょ?」
「まぁ…せやけど。一人で手入れすんの大変やで」
「うーん…」
「髪はまた伸ばせばええから、明日メーシーに切ってもらおか」
「はる、これ切ってもちさのこと嫌いにならへん?」
うるっと瞳を潤まされ、抑えていたはずの欲望がまた暴れ出す。
「参ったなぁ…」
「ん?なに?」
「いや、こっちの話」
「誰?誰と話してるん?」
「いや、そうやなくて」
もう笑って誤魔化すしか術はない。それに首を傾げる千彩が、何とも可愛い。
何とか欲望を誤魔化すために再度ドライヤーにスイッチを入れ、ふわりと長い髪を遊ばせた。
カチリとスイッチを切った晴人の手を取り、千彩がじっと何かを訴えるように見つめた。
「ん?どした?」
「はる…ちさがいないと寂しい?」
「え?おぉ。寂しいよ」
「悲しい?」
「せやなぁ…悲しくは…ないかな。だって、また帰って来るやろ?」
嘘は吐いていない。寂しいけれど、悲しくはない。少しの間離れて暮らすだけなのだから。
「だから、寂しいけど悲しくはないな」
「…そっか」
「ちぃは悲しいんか?」
「悲しい」
「何で?誕生日過ぎたらまた一緒に暮らせるやん」
しゅんと肩を落とす千彩の頭をゆっくりと撫で、少し声音を優しくする。最後の夜に泣かせたくはない。そんな想いが、晴人の気持ちを少し柔らかくした。
「ちさ…はると一緒におりたい」
「ちぃ。メーシーもお兄様も言うてたやろ?大人には大人のルールがあるんやって」
「どんなルール?ちさにはわからへん」
「んー…」
さて、何と説明しようか。
極力簡単な言葉を選んで考えながら、晴人はゆっくりと千彩の肩を抱いた。
「ちぃはまだ17歳やろ?」
「うん」
「ちぃと同じ年の子らは学校行ってる子が多いんや」
「学校?」
「そう。俺も恵介もちぃの年の時は学校行ってたし、メーシーだって行ってたはずやわ」
「ふぅん」
学校という場所に興味が無いのか、千彩は「通っていた」という事実だけを納得したようで。「だから?」と、次の言葉を急かす。
「学校行ってる子らはな、親と一緒に住んでる子が多いんや」
「みんな?」
「皆…ではないけど、そうゆう子の方が多い」
「だから?ちさは学校行ってないよ?」
「行ってないけど、行っててもおかしくない年やろ?」
「うーん」
「高校卒業するのが18歳やから、だからそれまで待ってってお兄様は言うたんちゃうかな?」
「そうなん?」
「ハッキリそうやとは言えんけど、多分そうやと思う。帰ったらお兄様に訊いてみたらええわ」
「…うん」
寂しげに瞳を伏せる千彩は、どうやら拒絶の言葉を懸命に探しているようで。うーんと唸り、ゆっくりと首を横に振った。
「ちさにはわからへん」
「そっか…」
たとえわからないと言われたとて、ここに居させるわけにはいかない。約束したのだから。
けれど、出来れば納得した状態で行かせてやりたい。それが誠意だと思うから。
そっと引き寄せ、しゅんと項垂れる千彩を腕の中に収める。じわりと温まって行く腕の中と、じんと疼く胸の奥が調和された気がした。
「俺な、ちぃのこと大好きやで」
「ちさも…ちさもはるのこと大好き」
漸く顔を上げた千彩の腕が伸びて来る。あぁ…この瞬間が堪らなく幸せだ。と、淡く色付く想いを噛み締める。
「初めて会った日、お前泣いてたやろ?」
「…うん」
「俺な、正直どうしてええかわからんかったんや」
「どうゆうこと?」
「まぁ、聞けって。一緒に暮らして、いっぱい色んなことしたやろ?」
「うん」
「これが幸せって言うんやろなって思ったんや」
「幸せ?」
「そう。幸せ」
「幸せって嬉しい?」
「おぉ。嬉しいし、楽しいし、大事なもんや」
「じゃあちさも幸せ!」
パッと千彩の表情が明るくなる。それが晴人にはとても嬉しくて。ちゅっと頬に口付け、顔にかかる髪を避けて言葉を続ける。
「幸せはな、すぐに壊れてしまうんや」
「壊れるん?」
「そう。ため息吐いたら逃げるやろ?それ同じや。だからな、大事に大事に守っていかなあかん」
「どうやって?」
「俺とお前がちゃんとルール守って、これからもずっと幸せでおれるように守ろう?」
「そしたら、ちさはずっとはると一緒におれる?」
「おぉ。ずっとずっと一緒や」
「じゃぁちさ…約束守る」
わかってくれたか!と思わず喜んだものの、どうやらそうではないらしい。少し首を傾げながら、千彩は複雑な笑みを見せた。
「ちさは…あほやから難しいことはわからへんけど、はるがそう言うならそうする。だってちさ、はるのこと大好きやから。ずっとはると一緒におりたい」
「千彩…」
「ちさが約束守っていい子にして、それでここに帰って来たら、ちさははるのカノジョになれる?」
「彼女?」
「ちさ、はるのカノジョになりたい。はるが一番愛してる人になりたい。なれる?」
嗚呼…どうしよう。
幸せ過ぎて涙が出そうだ。
プリンやぬいぐるみやエプロンなど、そんな小さな物しか強請らなかった千彩の最大のおねだりに、晴人は思わず言葉を詰まらせた。じわりと涙が溢れて来るのがわかる。
頭も、心も、体も、「幸せだ!」と訴えている。
「あほやなぁ。彼女が俺の一番愛してる人なんやったら、千彩はもう俺の彼女やろ?お前は俺の中で一番やで」
しっかりと両頬を挟んで言い聞かせるように言うと、勢い良く千彩の目から涙が溢れた。綺麗な涙だ…と、どこか遠くでそんなことを思いながら、そっと口付ける。
「寂しかったらいつでも電話しておいで」
「…うん」
「恵介が作ってくれたエプロン持ってくか?お兄様の手伝いするやろ?」
「…うん」
「くまは?」
「持ってく…」
「よし。ほな荷物に入れとこな?」
「…うん」
「それから…」
言いかけた晴人の手を取り、千彩は「はると…」と小さく名を呼んだ。
「お前は特別や。俺の名前を「晴人」って呼ぶ女なんか家族くらいやからな」
「…うん」
「大丈夫や。心配せんでもちゃんと迎えに行く」
「…うん」
「俺はお前を捨てたりせん。約束や」
そっと頬から手を離し、改めて千彩の手を取る。そして、ギュッと小指を絡めた。
「二人で幸せ守ってこうな」
再び泣きはじめた千彩を抱き締め、晴人は思う。このまま、この瞬間が永遠に続けばいいのに…と。