Secret Lover's Night 【完全版】
プラットホームに見える後姿に、ズキンと胸が痛む。千彩も思うことは同じなのか、なかなかその後姿に声を掛けようとはしなかった。

喧騒の中で、二人だけ取り残された気さえする。大きな荷物を片手に、晴人はあと数歩が踏み出せない。
そのうちにその人物が振り返り、二人の姿を捕らえ目を見開いた。

「ちー坊!どないしたんやその髪!」
「めーしーが切ってくれた」
「あーあ。もったいない…」

心底残念そうに言う吉村に、晴人は苦々しい表情で謝る。

「すみません。こいつ自分で髪乾かすん嫌がるから、離れてる間苦労するかと思って」

やはり男親はその辺りに無頓着なようで。驚きながらも「へぇー」と感嘆の声を漏らしている。

「今日もまた可愛らしい服着さしてもろて」
「これはねー、けーちゃんがくれた」
「また買うてもろたんかいな。えらいすんません…」
「いや、いいんです。もうそれがあいつの趣味みたいになってますから。」

自分を含め、恵介にせよメーシーにせよ、千彩にかけるお金を惜しんだことはない。

「皆さんに可愛がってもぉて…ホンマちー坊は幸せもんやな」
「うん!ちさ幸せ!」

皆、千彩が可愛くて仕方ないのだ。それぞれがそれぞれで可愛がりたくて、甘やかしたくて仕方がない。

「服、足りんやろうし送るわな?」
「いいよー」
「何で?可愛い服着たいやろ?」
「ちさなんでもいいの」

へへっ。と笑う千彩の言葉を聞いて、元は関心が薄かったことを思い出す。ここ数日着飾っていたから、そんなことはすっかり頭の隅に追いやってしまっていたけれど。

「服やら何やらは俺が色々買い足しますわ。皆さんみたいにこんなシャレたもんは着せてやれんやろうけど…」
「いえいえ。これは僕達の趣味ですから。千彩自身は、もっと楽な恰好の方が好きやと思います」
「そう言うてもろたら気が楽になりますわ」

はははっ。と軽い調子で笑う吉村が、スッと千彩に手を差し出す。それを見て俯いてしまった千彩の頭を帽子の上から一撫でし、晴人はうんと優しい声色で言葉を紡ぐ。

「約束したやろ?」
「…うん」
「大丈夫や。俺は絶対にお前を捨てたりせん。な?」
「…うん」

正直、もう少しぐずると思っていた。道路状況が読めなかったせいもあるけれど、早めに出発した理由はそれが大半を締めていた。

予想外に早くぐずぐずを切り上げた千彩が、潔くパッと吉村の手を取る。それを止めて引き戻したくなったのは、晴人で。
思わず手が伸びかけ、慌ててギュッと拳を握ることで何とか抑えた。

「これ、俺の実家の住所です。取り敢えずはここに住むんで渡しときます」
「はい。ありがとうございます」

携帯番号を貰った時と同じ乱雑な字の並びを、晴人はただただじっと見つめる。そんな晴人の様子を少し気にしながら、千彩は首を傾げた。

「じっか?どこ?」
「じーちゃまとばーちゃまのおる家や」
「えー!ちさばーちゃま怖い…」
「ちょっとだけやから。すぐ二人で暮らせるようにするがな」
「んー…」

この文字の並びは見覚えがある…と、ぼんやりとそんなことを思う。そして、再度それを文字として認識するように、脳を叩き起こした。

「あ…」
「どないしはりました?ハルさん」
「吉村さん。新しく借りる家もこの近くにするおつもりですか?」
「え?あぁ、そのつもりです。仕事で遅なったりするかもしれへんので、実家の近くがええんちゃうか思うて。それがどないかしましたんか?」
「ここ…うちの実家の近くです」
「えっ?そんな近くに住んではるんですか?どこです?」
「隣町です。うわ…びっくりした」
「ホンマえらい偶然ですなぁ」
「もし隣町でもええなら、僕の親に話しておきますけど…」
「え?」
「うちの父、不動産屋なんです。すぐ手配出来ると思います」
「それはええこと聞いた!ほな是非お願いします!」

確かに親に頼めばすぐに手配は出来るだろうけれど、そうするにはきちんと事情を説明しなければならない。「お願いします」「了承しました」で事務的に事が済む人物でないことは、息子である自分が一番よくわかっている。

これはいよいよ覚悟を決める時かもしれない。と、晴人はゆっくりと言葉を押し出した。

「吉村さん、あの…」
「はい?」
「ちょっと…これから仕事が詰まってるんですぐには無理なんですけど…」
「いやいや。そない急ぎませんので、ハルさんの都合のええ時でええですよ」
「いや、そうではなくて…お盆…そう、お盆くらいに僕そっち行きますんで、その時に千彩を二、三日連れて行っても良いですか?」
「そりゃええですけど…どこに?」

一度深呼吸をし、未だ躊躇う想いを叱咤する。この先千彩を手放す気は無いのだろう?と。
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