Secret Lover's Night 【完全版】
風呂上がりの千彩をベッドへ座らせ、ドライヤーを手に持った晴が楽しげにその長い髪で遊ぶ。緩やかに伝わる熱に、足の間の千彩もまた満足げに目を細めていた。
灯された間接照明の仄かな明るさが、疲れ切った千彩を夢の淵へと誘うのは必至。一歩、また一歩とそこへ近付くその様子に気付き、騒音を止めた晴はゆっくりと揺らぐその体をそっと抱き寄せた。
「ん…」
「寝るんか?」
「んん」
もう完全に瞼を下ろしてしまっている千彩が、寄り掛かったまま自分の足元へとゆっくりと手を伸ばす。膝の裏に腕を差し込んで横抱きの状態で引き寄せると、真っ赤になった足の裏が見えた。
「ごめん。歩かせたから痛かったな」
「んん…」
もう八割方夢に落ちてしまっている千彩には、まともに返答をすることすら叶わない。そのまま完全に落ちてしまうのも時間の問題だった。
「千彩」
名を呼ばれ、少しだけ意識が引き戻される。それが千彩には億劫で。少しだけ瞼を持ち上げ、ゆるりと腕が伸ばされた。
「は・・・る」
名を呼び、甘えるように胸元へと擦り寄る千彩。そんな千彩を一度ギュッと抱き締めてからゆっくりとベッドに倒し、晴は柔らかく甘い声で囁く。
「おやすみ」
「ん…」
小さく返事をした頭をひと撫でし、前髪越しに額へと口付ける。完全に意識を手放してしまった千彩は、静かに寝息を立て始めていた。
「無防備な顔して。困った子やな」
別段「ナニカ」をする目的で連れて来たわけではないのだけれど、男として少しの落胆は否めない。
「まぁ、ええけど」
ドロドロに崩れ落ちたメイクを落とした顔は想像していたよりも幼く、それが晴の心に驚きと僅かな安堵感を生んだ。どこにでもいそうな「普通の女の子」なのだ、と。
ぷにっと頬を突くも、千彩が瞼を持ち上げる気配は無い。これなら大丈夫か。と、出来る限りゆっくりと体を起こし、足元に畳んであったブランケットを手繰り寄せた。
「風邪引きませんよーに」
手繰り寄せたそれをそっと千彩に被せ、自分はそのまま足元へと移動をかける。音も立てずに床に降り立ち、薄暗い照明を頼りに扉まで行き着いたのは数歩後。
「おやすみ」
一度振り返り、小さくそう呟く。一人暮らしが長い晴にとって、それはとてもくすぐったく、けれど、胸の奥がじわりと温かくなる瞬間だった。
千彩が眠りに就き、晴も軽くシャワーを済ませ缶ビールを片手に薄暗い部屋を彷徨う。それはもう手慣れたもので。
1LDKのその部屋は、部屋全体の電球の色温度が低く、おまけに主照明からは電球が取り外されている。
改めて考えれば、恋人さえも招き入れたことがない部屋はここが初めてだった。
「あぁ…電話」
思考の中の、「恋人」という単語に引っ掛かる。ソファの上に転がしたままだった携帯を開くと、着信が5件。全て「後で電話するから」と言って切った恋人からだった。
時刻は、午前1時を少し回ったところ。最終の着信が0時過ぎになっていることを考えると、もう眠ってしまっているかもしれない。
そう思って携帯を閉じかけた時、タイミングよくチカチカとランプが光る。ため息混じりに再び開き直して通話ボタンを押すと、晴は先程までとは一転して低めの声を押し出した。
「ごめん、仕事してた」
『やっと出た。もう終わった?』
「終わったで。でも、今日は会えんわ。ごめん」
彼女が言い出す前にそう告げると、不服そうな声が受話器から聞こえてくる。重苦しいため息は、いつでも彼女が吐かせてくれた。
「疲れてんねん。ごめん」
『最近ずっとゴメンばっかじゃん』
「ごめん」
『もういいよ。晴なんて大嫌い!』
「そっか」
普段ならば「そんなこと言うなよ」と宥めるのだけれど、今日に限ってはそんな気分には到底なれなかった。
その返事を訝しんだ彼女が、電話口で泣き出すまでに数秒。その声を聞きながら、ソファに寝転んで喉にビールを流し込む。
面倒くさい女…と、声に出来なかった言葉を一緒に流し込んだ晴の視界から、柔らかな灯りが奪われた。
「は・・・る?」
「うわぁ!げほっげほっ」
『何!?どうしたの?』
「ごめん、リエ。また電話する」
『何それ!』
「ごめん、またな」
そのまま電源を落とし、取り敢えず乱れた呼吸を整える。
「ごめん、ごめん。どした?」
「起きた」
体を起こし、背凭れを挟んで自分を見下ろしている千彩の手を取る。さっきまで眠っていたはずのその手が、随分とひんやりしていて。頬に寄せると、くすぐったそうに千彩が笑う。
「こっちおいで?」
「うん」
メランコリックな気分も、こんな穏やかなやり取りに影を潜めていく。意外だ…と、晴自身が一番そう思っていた。
灯された間接照明の仄かな明るさが、疲れ切った千彩を夢の淵へと誘うのは必至。一歩、また一歩とそこへ近付くその様子に気付き、騒音を止めた晴はゆっくりと揺らぐその体をそっと抱き寄せた。
「ん…」
「寝るんか?」
「んん」
もう完全に瞼を下ろしてしまっている千彩が、寄り掛かったまま自分の足元へとゆっくりと手を伸ばす。膝の裏に腕を差し込んで横抱きの状態で引き寄せると、真っ赤になった足の裏が見えた。
「ごめん。歩かせたから痛かったな」
「んん…」
もう八割方夢に落ちてしまっている千彩には、まともに返答をすることすら叶わない。そのまま完全に落ちてしまうのも時間の問題だった。
「千彩」
名を呼ばれ、少しだけ意識が引き戻される。それが千彩には億劫で。少しだけ瞼を持ち上げ、ゆるりと腕が伸ばされた。
「は・・・る」
名を呼び、甘えるように胸元へと擦り寄る千彩。そんな千彩を一度ギュッと抱き締めてからゆっくりとベッドに倒し、晴は柔らかく甘い声で囁く。
「おやすみ」
「ん…」
小さく返事をした頭をひと撫でし、前髪越しに額へと口付ける。完全に意識を手放してしまった千彩は、静かに寝息を立て始めていた。
「無防備な顔して。困った子やな」
別段「ナニカ」をする目的で連れて来たわけではないのだけれど、男として少しの落胆は否めない。
「まぁ、ええけど」
ドロドロに崩れ落ちたメイクを落とした顔は想像していたよりも幼く、それが晴の心に驚きと僅かな安堵感を生んだ。どこにでもいそうな「普通の女の子」なのだ、と。
ぷにっと頬を突くも、千彩が瞼を持ち上げる気配は無い。これなら大丈夫か。と、出来る限りゆっくりと体を起こし、足元に畳んであったブランケットを手繰り寄せた。
「風邪引きませんよーに」
手繰り寄せたそれをそっと千彩に被せ、自分はそのまま足元へと移動をかける。音も立てずに床に降り立ち、薄暗い照明を頼りに扉まで行き着いたのは数歩後。
「おやすみ」
一度振り返り、小さくそう呟く。一人暮らしが長い晴にとって、それはとてもくすぐったく、けれど、胸の奥がじわりと温かくなる瞬間だった。
千彩が眠りに就き、晴も軽くシャワーを済ませ缶ビールを片手に薄暗い部屋を彷徨う。それはもう手慣れたもので。
1LDKのその部屋は、部屋全体の電球の色温度が低く、おまけに主照明からは電球が取り外されている。
改めて考えれば、恋人さえも招き入れたことがない部屋はここが初めてだった。
「あぁ…電話」
思考の中の、「恋人」という単語に引っ掛かる。ソファの上に転がしたままだった携帯を開くと、着信が5件。全て「後で電話するから」と言って切った恋人からだった。
時刻は、午前1時を少し回ったところ。最終の着信が0時過ぎになっていることを考えると、もう眠ってしまっているかもしれない。
そう思って携帯を閉じかけた時、タイミングよくチカチカとランプが光る。ため息混じりに再び開き直して通話ボタンを押すと、晴は先程までとは一転して低めの声を押し出した。
「ごめん、仕事してた」
『やっと出た。もう終わった?』
「終わったで。でも、今日は会えんわ。ごめん」
彼女が言い出す前にそう告げると、不服そうな声が受話器から聞こえてくる。重苦しいため息は、いつでも彼女が吐かせてくれた。
「疲れてんねん。ごめん」
『最近ずっとゴメンばっかじゃん』
「ごめん」
『もういいよ。晴なんて大嫌い!』
「そっか」
普段ならば「そんなこと言うなよ」と宥めるのだけれど、今日に限ってはそんな気分には到底なれなかった。
その返事を訝しんだ彼女が、電話口で泣き出すまでに数秒。その声を聞きながら、ソファに寝転んで喉にビールを流し込む。
面倒くさい女…と、声に出来なかった言葉を一緒に流し込んだ晴の視界から、柔らかな灯りが奪われた。
「は・・・る?」
「うわぁ!げほっげほっ」
『何!?どうしたの?』
「ごめん、リエ。また電話する」
『何それ!』
「ごめん、またな」
そのまま電源を落とし、取り敢えず乱れた呼吸を整える。
「ごめん、ごめん。どした?」
「起きた」
体を起こし、背凭れを挟んで自分を見下ろしている千彩の手を取る。さっきまで眠っていたはずのその手が、随分とひんやりしていて。頬に寄せると、くすぐったそうに千彩が笑う。
「こっちおいで?」
「うん」
メランコリックな気分も、こんな穏やかなやり取りに影を潜めていく。意外だ…と、晴自身が一番そう思っていた。