黒猫のアリア
「どうして俺が予告上にケシの花を添えるのか、まだ話したことなかったよね」
唐突な話に眉が寄る。
「別に聞きたくないわ」
私が言い放つと、顔は見えなくてもモルペウスが苦笑したのがわかった。
「まあちょっとだけ聞いてよ。俺がケシの花を予告状に添えるのはさ、モルペウスがケシに囲まれて眠るとされているからなんだ」
私が居る場所とは反対の方を向いたまま彼は冷静な声で言った。
「モルペウスって……」
「知らなかった? ギリシア神話に出てくる神様の名前だよ。俺の名前はそこからとったの」
知らなかった。ギリシア神話の神様……。ロマンチストの彼らしくはある。
「モルペウスはね、夢の神なんだよ。俺はこの仕事で夢を運ぶ人間になりたかった。だから彼から名前をもらった」
向こうを向いているから彼がどんな顔をしているかはわからない。でも、抑揚のない淡々とした口調になぜか胸が痛んだ。
(夢の神……)
知っていた。彼がこの仕事で稼いだお金を全額寄付していること。孤児院、スラム街、お金を必要としている、立場の弱い人々に。
彼は私なんかよりずっと稼いでいた。仕事の回数が多ければ多いほど、捕まるリスクは高まる。危険な場面も多々あったことだろう。命が危なくなったこともあるはずだ。それでも彼は盗み続けた。強い信念がそこにあるのだと、私はそう感じていた。
「どうしてモルは……、何のためにモルは、"黒猫"で居続けるの?」
多大なリスクを犯してまで、なぜ。
他人のことを言えた義理ではないのだが、問いが口を突いて出てしまっていた。
モルペウスが静かに振り向いた。青い瞳は、暗く淀んでいた。
「金持ちが、憎いんだ」
いつも柔らかく笑っているモルペウスの口から発せられたと思えないほど、深い闇を含んだ声色だった。