月宮天子―がっくうてんし―
今回のことで愛子は変わった。

ことなかれ主義を返上したのだ。無益で有害な友人ごっこは卒業して、ノーと言える人間になりたいと頑張っている。


人生に、豹と鷲とトラとヒグマに囲まれて「喰うぞ」と言われる以上に恐ろしい経験があるだろうか。

愛子は氷月に、角材一本で殴りかかった。あの勇気があれば、恐れるものなんて何もない。


塾の帰り、綾辺第一小学校の横を通りながら愛子は思い出していた。

小学校の横も、駐在所の前も平気で通れる。なぜなら、愛子は連続殺人事件が終わったことを知っている数少ないひとりだからだ。


ここで海に腕を掴まれたんだっけ……そんなことを思い出していた。

ちなみに、あのとき愛子を追いかけて来たのは、言い方は変だが“普通のチカン”だったらしい。つい先日捕まって、自白したという。北案寺の事件の夜だったのでよく覚えていたそうだ。

あの戒厳令寸前の中、命懸けでチカン行為なんて、その根性は別の方向に向けるべきだろう。

そんなことを思い出しながら、愛子は小学校の壁に貼ってある『チカン出没注意!』のポスターに目を止めた。

その瞬間――なんと愛子は左腕を掴まれた!


「この変態野郎! 思い知れっ」


叫ぶと同時に、愛子は躊躇せず右手に持ったカバンを振り上げた。そのまま、思いっ切りチカンの横っ面を張り倒す。


「ちょ……」

「くたばれっ! チカン!」


勢いをつけ、愛子はチカンの股間を蹴り上げる。


「……あい、あい……」


なんと、目の前で両脚飛びをしていたのは……愛子のヒーロー、海だった。


< 172 / 175 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop