丹後の国のすばる星
あかねさす
「いかないでくれ…弓矢…弓矢」
 吉備津彦は鼻をすすり、あふれ出た涙を袖で拭うと、あたりを見回した。
 蜜柑色に染まった夕焼けが部屋全体にさしこんで、外ではヒグラシが寂しげに鳴き出して、島子の家はいつもよりも広く思われた。
 戸口の向こう側から、あずみと島子の楽しげなやりとりを聞いている吉備津彦。
 疲れが取りきれないのか、顔を押さえて苦しそうに息をついていた。
「あかねさす、あかねさす。なんだっけ」
「あかねさす 日の暮れゆけば すべをなみ ちたびなげきて 恋つつぞをる。だよ」 
「そうそうそれ。やっぱいいよね、短歌って。あ、皇子さま、起きたの」
 たきぎと食材を運んでくるあずみは、吉備津彦に明るく声をかけた。
「楽しそうだな…」
 落胆していることが一目でわかるほど、吉備津彦は疲れていた様子だった。
「皇子さまも早く元気になってよね。私も島子さんも感謝してるの。皇子さまがいたから私たち、一緒にいられるんだって。弓矢さんのことも本当は救えたはずなのに、それだけが心残りで」
「いうな」
 吉備津彦は自分でも驚くほどに大声を張り上げていたため、あずみと島子の仰天した顔を見て、思わず引きつった笑みを漏らす。
「すまない…。どうかしとった。そうじゃ、島子が助かったんじゃもん。オレもうれしいよ」
 ふらつく足取りで戸口に向かう吉備津彦に、あずみは気遣いの言葉をむけた。
「だいじょうぶなの、泊まっていけばいいのに」
「帰る。新婚の邪魔をするほど野暮じゃないけえ」
 横目であずみに、悪戯をする子供のような視線を投げかけた。
「皇子さま。もう、ふざけてばっかりなんだから」
 拍手を打ち、白さぎに姿を変え大空へ舞う吉備津彦。
「いってしまわれた?」
 あずみは島子に頷いた。
「見せつけてたのかな…」
「そんなことないんじゃない。皇子さま、かわいそうだけど」
「悪いことしたかな。皇子さまに」
「なんで、島子さん悪くないよ。朝廷が悪いんでしょ。謝ることない」
 島子とあずみの姿は窓から差しこむ山吹色の夕焼けで照らされ、全身その色に染まっていく。
「ありがとう、あずみ。皇子さまも尽力してくれた結果やけど、ぼくはやっぱり、いややな…誰かが死んでしまうのだけは、もう」
「私だっていやだ。弓矢さんは最後まで皇子さまを」
「ぼくたちは、ずっと生きてこう。ふたりでこれから先もずっと。約束してたものな、あずみをひとりにせえへんて」
「うん」
 恋人たちはひしと抱き合い、まだ見ぬ未来を心に描き出している。

 夜空に一番星が輝く頃、吉備津彦は上空で弧を描いていた。
 遠い黄泉へと旅立ってしまった、弓矢のことを想いながら。


 完   
 
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