月夜の桜
数十年邸に閉じこもって人との関わりを避けて来た桜にとって、その行為はあまりにも刺激が強すぎて彼女は硬直した。






その昔。彼女がまだ父の言葉を純粋に感じとっていた頃。






この邸には数人の女房と、一人の少年がいた。






確か、その少年は桜の腹ちがいの兄だとか言っていたような気がする。






彼はことあるごとに桜を抱きしめる人だった。





始めこそ戸惑っていた桜だったがいつしかそれが当たり前になり、それから数年後。





彼は婿に行き邸を出て、以来抱きしめられることがなくなった。





兄が邸を出てから数年。彼女は異性に一度も抱きしめられたことはない。





だからだろうか。桜の心臓はこれ以上ないほど激しく鼓動を刻んでいるのは。





息苦しいそれに桜は激しく狼狽した。







「あ、あの……」






僅かに身じろぎをすると、桜は威月の胸板を軽く押し返す。






力任せに押さなかったのは、彼に失礼だと思ったからだ。





威月は不思議そうな表情をしていたが、桜の薄らと赤くなった頬を見て目を見開くと慌てて彼女から身体を離す。





その表情は心なしか赤かった。







「も、申し訳ございません! 大変無礼なふるまいを――っ!」

「い、いえ。無礼だなんてそんな。お気になさらず」







謝り倒さんばかりの彼の勢いに気押されつつ、桜は苦笑を浮かべる。






これは夢だ。世間に疎い桜には抱きしめられたことはかなりの刺激だったが、そんなに謝られることのほどでもない。









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