EVER BLUE
智人が戻り10分も経たないうちに、玄関の扉が再び開いた。千彩とのおしゃべりに花を咲かせていた女二人に代わり、晴人と智人が迎えに出る。
「おかえり」
「おかえり、父さん」
「何や…揃って珍しい。母さんは?」
「あっちで俺の彼女と喋ってる」
ほぅ…と嬉しそうにした父がそのままでいてくれることを願いつつ、晴人は再びリビングへと続く扉に手をかけた。そして、引く前に一度父を振り返る。
「親父さぁ…」
「何や」
「俺にはよ結婚せぇ言うてたよな?」
「おぉ。結婚相手連れて来たんちゃうんか?」
「せやで。せやから…」
訝しむ父を見上げ、「一つだけ…」と言葉を押し出した。
「頼むからいきなり怒鳴ったりせんといてな?」
「怒鳴られるような女連れて来たんか」
「ちゃうけど…殴るんはやめてな?相手のお父さん来てるけど」
「そらええ心掛けや」
ふんっと鼻を鳴らした父が、ギュッとネクタイを締め直す。普通は挨拶に行く方だろうに…と思いながら、義兄が挨拶に来た日を思い出し、ずんと気分が重くなる。
あの日は、それはそれは大変だった。スポーツ選手の義兄は、見るからに「好青年」だったにもかかわらず何かと突っ掛かり、遂には殴ってしまうという一悶着があったのだ。結局怒って泣き喚いた有紀が押し切り結婚を認めさせたけれど、二人が帰った後の父の荒れた姿は今思い出しても頭痛がする。
「はよ開けんか」
「…頼むで?」
「わかっとる」
父に急かされ扉を開くと、キャッキャと楽しそうな笑い声が聞こえてくる。一緒になって吉村も談笑していたのだけれど、扉が開く気配に慌てて立ち上がり深々と頭を下げた。その様子を見て、千彩も不思議そうな顔をしながら立ち上がり、同じように頭を下げた。それが晴人にはどうにもおかしくて。クッと笑いを噛み殺し、父に二人を紹介する。
「俺の彼女の千彩と、父親代わりの吉村さん」
「初めまして。吉村と申します」
しんと静まり返ったリビングに、吉村の太く低い声が響く。それに、鼻にかかった柔らかな声が続いた。
「ちさです。こんにちわ」
顔を上げた二人に、やはり父も固まった。その表情は、実に苦々しい。
「取り敢えず…座れば?」
そう促すと、そのままの表情で黙ってソファへ腰を落ち着ける。さっとテーブルに移動した有紀が、チラリと横目で様子を窺っていた。
「吉村さんもどうぞ座ってください」
「いや…でも…」
「大丈夫ですから。ね?」
晴人に促され、吉村も渋々腰を下ろす。この一家に歓迎されていないということは、嫌でもわかってしまう。それは自分か、千彩か、はたまた両方か。出来れば自分だけであって欲しいと願うのは親心だ。
「ちぃ、おいで?」
心細そうに小さくなって座る千彩を引き寄せ、ピタリと体を寄せる。つい数十秒前までとの空気の違いに、戸惑った千彩がしゅんと眉尻を下げた。
「そんな顔せんの」
「だって…」
「大丈夫や。俺の親父やから…ちぃのパパやな」
「パパ?ちさのパパ?」
「せや。一気に家族が増えて嬉しいな」
「うん!」
にっこりと笑う千彩に釣られ、晴人の頬も緩む。そこに、ゴホンと一つ咳払いが投げられた。
「ちゃんと説明せぇ、晴人」
「ちゃんと説明って…俺この子と結婚するから」
「阿呆言うな!」
「ちょっ…せやから怒鳴んなって!」
案の定上げられた怒鳴り声に、千彩がビクンと体を跳ねさせる。怯える肩を抱いて、ゆっくりと上下に腕を擦ってやった。
「大丈夫や」
「はるのパパ怒ってる…」
「大丈夫やから。な?」
潤んだ瞳に、チクリと胸の奥が痛む。恵介との言い合いでさえも嫌うのだ。怯えてしまって当然なのだけれど、今ここで席を外させるわけにはいかない。少し酷だけれど、ゆっくりと頭を撫でて腰に手を回し、膝に置いた手をギュッと握り締めることで耐えてもらうことにした。
「俺にはよ結婚せぇ言うてたんは親父やろ」
「相手によるやろが!そんな…お前はいくつの子を連れて来てそんなこと言うてんねや!」
「17や」
「この馬鹿息子がっ!そんな子供と結婚してどないすんねや!」
「何も知らんと言うなやこの頑固親父!」
思わず声を荒げた晴人に、ギュッと千彩がしがみ付く。やめてくれ、と限界まで涙を溜めた瞳が訴えていた。
「はるぅ…怒ったら嫌」
「ごめん、ごめん。怖かったな」
握った手に再度ギュッと力を込め、見上げる額に頬を寄せる。このままでは泣いてしまう。それは避けたいのだけれど。
「どうせ引くに引けんなったんやろが!ちゃんとした親連れて来んかい!」
攻撃の矛先が吉村に向けられ、母と有紀、それから智人が同時に息を呑む音が聞こえた。吉村はそんなことで怒るようなタイプではない。寧ろ「申し訳ない…」と頭を下げるタイプだ。それを晴人は知っている。
「すんません、親父さん。千彩には親が両方おらんのですわ。せやから私が育てました」
「ほんなら尚のことあかん!俺は認めん!」
バンッとテーブルを叩いて立ち上がった父の腕を、晴人がしっかりと掴んで引き留める。腰を浮かせた状態で無言のままじっと見上げ、唇を噛み締めた。そんな晴人の背に手を遣り、吉村が小さく言葉を押し出す。
「ハルさん、やっぱり…」
「そうはいきません」
「せやかて…」
「何を言われようが、俺は引く気はありません」
完全に怯えきった千彩が、ギュッと晴人の背にしがみ付く。もう限界か…と、テーブルに頬杖を付きながら眺めていた有紀を呼び寄せた。
「有紀、悪いんやけど千彩頼めるかな」
「あぁ…うん」
「ちぃ、姉ちゃんと二階行っとき。俺の部屋おったらええから」
「イヤ!ちさはると居る!」
「連れて行って。適当に興味ありそうなもんで遊ばせてたええから」
「わかった。ちーちゃん行こう?」
「イヤ!はるーっ!」
「智、担げ。絶対こっち来さすなよ」
「おぉ、わかった」
「イヤー!はると居るー!」
智人にひょいと担がれジタバタと抵抗する千彩を見送り、晴人は扉が完全に閉まってからゆっくりと息を吸い直した。そして、強めの声で父に語る。
「手は出してない。結婚するまで出すつもりもない。せやから吉村さんに強制されたわけやない。取り敢えず話聞いてや。頼むわ」
それに圧された父が、再びゆっくりと腰を下ろした。それを見届け、不安げに眉尻を下げる吉村の肩をポンッと叩く。
「大丈夫です。俺は引く気無いんで」
「そない言うたかて、ご両親も何や…その…」
「あいつは文句つけられるような女やないです。吉村さんが可愛がって育てたんですから」
「そりゃ…まぁ…でも、俺が育てたから余計に…やっぱり俺の仕事が…」
「関係ないです」
キッパリと言い切り、晴人は父を見据える。どこかバツが悪そうに視線を逸らした父に、一気に捲し立てるように今までの経緯を話した。無言でそれを聞く父と、所々「あらっ」や「まぁ!」などと相槌を打つ母。いつもながらに対照的な二人が、晴人を「息子」へと戻した。
「あいつが二十歳になったら結婚する。俺は千彩に家族を作るんや。それは譲られへん。わかってや。頼むわ、父さん、母さん」
深々と頭を下げた晴人の震える声を聞き、折れたのは母の方だった。
母から見ても晴人はどうにも掴み所の無い子供で。幼い頃から我が儘の一つも言わず、姉弟とは違って自己主張も少ない子供だった。高校も自分達の選んだところへ行き、自由気ままに遊んでいるようで成績は三人の子供の中で一番だった。友達と一緒に入った専門学校も優秀な成績で卒業し、その後始めたカメラでも疎い自分達でもわかるくらいに有名になった。器用に何でもこなしてきた息子の一番不器用な場面を見た気がして、母は母なりに嬉しかったのだ。
「お父さん、晴人がここまで言うのは滅多に無いよ?」
「…せやけどな、」
「可愛らしい子やないの、ちーちゃん」
「俺は…知らん」
「お父さんも話してみたら?晴人が選んだ人やもん。ええ人よ、きっと」
母の目から大粒の涙が零れ落ちる。とうとう泣き始めた母に圧され、遂に父も折れる。やはりいくつになっても、男は女の涙に弱いのだ。
「仕事は…何してんのや」
「は?」
「その…彼女のお父さん、や」
「あぁ…」
見たらわかりそうなものだが、敢えて訊くのだからそれなりに考えがあるのだろう。そう思い、そっと吉村の背を押した。
「あのっ…末広組の…幹部やらしてもろてます。すんません」
「謝るような仕事なんか」
「いや…やっぱり一般の方からしたら…まぁ…」
「汚いことはしとらへんのやろな」
「それはしとりません!誓って!」
吉村がピンッと背筋を伸ばすと、今まで堅い表情をしていた父からふっと笑い声が洩れた。
「ほなええ。どうゆう関係なんや?あの子とは」
「はい。惚れた女の忘れ形見でして。父親はおりませんので、母親が亡くなってから私が引き取って育てました」
「そうか…それは苦労したやろな」
「はい…いや、でも仕事が忙しゅうてちゃんとした教育もしてやれんで…あの通り17にもなってあの調子で。ハルさんにはホンマに申し訳ないと思うてます」
情けなく眉尻を下げたままの吉村に、父はニカッと笑った。吉村には、それが晴人にとてもよく似て見えて。釣られて笑うと、バシンと肩を叩かれる。
「男一人でよぉ頑張った!酷いこと言うてすまんかったな。あとはうちの嫁さんに任せといたらええ」
「え?親父?」
あまりの変わりぶりに、戸惑ったのは息子である晴人の方で。何がどうなったのかいまいち状況が呑み込めず、父と母に交互に視線を遣る。
「お父さん、ええって」
「え?ええの?」
「何や。わかってくれ言うて泣いたんはお前やないか」
「泣いてないけどな」
ぶすっと膨れた晴人に、母が笑い声を洩らす。そんな時、二階からバタバタと降りて来る足音と、有紀が千彩を呼ぶ声が入り混じって聞こえて来た。
「おかえり」
「おかえり、父さん」
「何や…揃って珍しい。母さんは?」
「あっちで俺の彼女と喋ってる」
ほぅ…と嬉しそうにした父がそのままでいてくれることを願いつつ、晴人は再びリビングへと続く扉に手をかけた。そして、引く前に一度父を振り返る。
「親父さぁ…」
「何や」
「俺にはよ結婚せぇ言うてたよな?」
「おぉ。結婚相手連れて来たんちゃうんか?」
「せやで。せやから…」
訝しむ父を見上げ、「一つだけ…」と言葉を押し出した。
「頼むからいきなり怒鳴ったりせんといてな?」
「怒鳴られるような女連れて来たんか」
「ちゃうけど…殴るんはやめてな?相手のお父さん来てるけど」
「そらええ心掛けや」
ふんっと鼻を鳴らした父が、ギュッとネクタイを締め直す。普通は挨拶に行く方だろうに…と思いながら、義兄が挨拶に来た日を思い出し、ずんと気分が重くなる。
あの日は、それはそれは大変だった。スポーツ選手の義兄は、見るからに「好青年」だったにもかかわらず何かと突っ掛かり、遂には殴ってしまうという一悶着があったのだ。結局怒って泣き喚いた有紀が押し切り結婚を認めさせたけれど、二人が帰った後の父の荒れた姿は今思い出しても頭痛がする。
「はよ開けんか」
「…頼むで?」
「わかっとる」
父に急かされ扉を開くと、キャッキャと楽しそうな笑い声が聞こえてくる。一緒になって吉村も談笑していたのだけれど、扉が開く気配に慌てて立ち上がり深々と頭を下げた。その様子を見て、千彩も不思議そうな顔をしながら立ち上がり、同じように頭を下げた。それが晴人にはどうにもおかしくて。クッと笑いを噛み殺し、父に二人を紹介する。
「俺の彼女の千彩と、父親代わりの吉村さん」
「初めまして。吉村と申します」
しんと静まり返ったリビングに、吉村の太く低い声が響く。それに、鼻にかかった柔らかな声が続いた。
「ちさです。こんにちわ」
顔を上げた二人に、やはり父も固まった。その表情は、実に苦々しい。
「取り敢えず…座れば?」
そう促すと、そのままの表情で黙ってソファへ腰を落ち着ける。さっとテーブルに移動した有紀が、チラリと横目で様子を窺っていた。
「吉村さんもどうぞ座ってください」
「いや…でも…」
「大丈夫ですから。ね?」
晴人に促され、吉村も渋々腰を下ろす。この一家に歓迎されていないということは、嫌でもわかってしまう。それは自分か、千彩か、はたまた両方か。出来れば自分だけであって欲しいと願うのは親心だ。
「ちぃ、おいで?」
心細そうに小さくなって座る千彩を引き寄せ、ピタリと体を寄せる。つい数十秒前までとの空気の違いに、戸惑った千彩がしゅんと眉尻を下げた。
「そんな顔せんの」
「だって…」
「大丈夫や。俺の親父やから…ちぃのパパやな」
「パパ?ちさのパパ?」
「せや。一気に家族が増えて嬉しいな」
「うん!」
にっこりと笑う千彩に釣られ、晴人の頬も緩む。そこに、ゴホンと一つ咳払いが投げられた。
「ちゃんと説明せぇ、晴人」
「ちゃんと説明って…俺この子と結婚するから」
「阿呆言うな!」
「ちょっ…せやから怒鳴んなって!」
案の定上げられた怒鳴り声に、千彩がビクンと体を跳ねさせる。怯える肩を抱いて、ゆっくりと上下に腕を擦ってやった。
「大丈夫や」
「はるのパパ怒ってる…」
「大丈夫やから。な?」
潤んだ瞳に、チクリと胸の奥が痛む。恵介との言い合いでさえも嫌うのだ。怯えてしまって当然なのだけれど、今ここで席を外させるわけにはいかない。少し酷だけれど、ゆっくりと頭を撫でて腰に手を回し、膝に置いた手をギュッと握り締めることで耐えてもらうことにした。
「俺にはよ結婚せぇ言うてたんは親父やろ」
「相手によるやろが!そんな…お前はいくつの子を連れて来てそんなこと言うてんねや!」
「17や」
「この馬鹿息子がっ!そんな子供と結婚してどないすんねや!」
「何も知らんと言うなやこの頑固親父!」
思わず声を荒げた晴人に、ギュッと千彩がしがみ付く。やめてくれ、と限界まで涙を溜めた瞳が訴えていた。
「はるぅ…怒ったら嫌」
「ごめん、ごめん。怖かったな」
握った手に再度ギュッと力を込め、見上げる額に頬を寄せる。このままでは泣いてしまう。それは避けたいのだけれど。
「どうせ引くに引けんなったんやろが!ちゃんとした親連れて来んかい!」
攻撃の矛先が吉村に向けられ、母と有紀、それから智人が同時に息を呑む音が聞こえた。吉村はそんなことで怒るようなタイプではない。寧ろ「申し訳ない…」と頭を下げるタイプだ。それを晴人は知っている。
「すんません、親父さん。千彩には親が両方おらんのですわ。せやから私が育てました」
「ほんなら尚のことあかん!俺は認めん!」
バンッとテーブルを叩いて立ち上がった父の腕を、晴人がしっかりと掴んで引き留める。腰を浮かせた状態で無言のままじっと見上げ、唇を噛み締めた。そんな晴人の背に手を遣り、吉村が小さく言葉を押し出す。
「ハルさん、やっぱり…」
「そうはいきません」
「せやかて…」
「何を言われようが、俺は引く気はありません」
完全に怯えきった千彩が、ギュッと晴人の背にしがみ付く。もう限界か…と、テーブルに頬杖を付きながら眺めていた有紀を呼び寄せた。
「有紀、悪いんやけど千彩頼めるかな」
「あぁ…うん」
「ちぃ、姉ちゃんと二階行っとき。俺の部屋おったらええから」
「イヤ!ちさはると居る!」
「連れて行って。適当に興味ありそうなもんで遊ばせてたええから」
「わかった。ちーちゃん行こう?」
「イヤ!はるーっ!」
「智、担げ。絶対こっち来さすなよ」
「おぉ、わかった」
「イヤー!はると居るー!」
智人にひょいと担がれジタバタと抵抗する千彩を見送り、晴人は扉が完全に閉まってからゆっくりと息を吸い直した。そして、強めの声で父に語る。
「手は出してない。結婚するまで出すつもりもない。せやから吉村さんに強制されたわけやない。取り敢えず話聞いてや。頼むわ」
それに圧された父が、再びゆっくりと腰を下ろした。それを見届け、不安げに眉尻を下げる吉村の肩をポンッと叩く。
「大丈夫です。俺は引く気無いんで」
「そない言うたかて、ご両親も何や…その…」
「あいつは文句つけられるような女やないです。吉村さんが可愛がって育てたんですから」
「そりゃ…まぁ…でも、俺が育てたから余計に…やっぱり俺の仕事が…」
「関係ないです」
キッパリと言い切り、晴人は父を見据える。どこかバツが悪そうに視線を逸らした父に、一気に捲し立てるように今までの経緯を話した。無言でそれを聞く父と、所々「あらっ」や「まぁ!」などと相槌を打つ母。いつもながらに対照的な二人が、晴人を「息子」へと戻した。
「あいつが二十歳になったら結婚する。俺は千彩に家族を作るんや。それは譲られへん。わかってや。頼むわ、父さん、母さん」
深々と頭を下げた晴人の震える声を聞き、折れたのは母の方だった。
母から見ても晴人はどうにも掴み所の無い子供で。幼い頃から我が儘の一つも言わず、姉弟とは違って自己主張も少ない子供だった。高校も自分達の選んだところへ行き、自由気ままに遊んでいるようで成績は三人の子供の中で一番だった。友達と一緒に入った専門学校も優秀な成績で卒業し、その後始めたカメラでも疎い自分達でもわかるくらいに有名になった。器用に何でもこなしてきた息子の一番不器用な場面を見た気がして、母は母なりに嬉しかったのだ。
「お父さん、晴人がここまで言うのは滅多に無いよ?」
「…せやけどな、」
「可愛らしい子やないの、ちーちゃん」
「俺は…知らん」
「お父さんも話してみたら?晴人が選んだ人やもん。ええ人よ、きっと」
母の目から大粒の涙が零れ落ちる。とうとう泣き始めた母に圧され、遂に父も折れる。やはりいくつになっても、男は女の涙に弱いのだ。
「仕事は…何してんのや」
「は?」
「その…彼女のお父さん、や」
「あぁ…」
見たらわかりそうなものだが、敢えて訊くのだからそれなりに考えがあるのだろう。そう思い、そっと吉村の背を押した。
「あのっ…末広組の…幹部やらしてもろてます。すんません」
「謝るような仕事なんか」
「いや…やっぱり一般の方からしたら…まぁ…」
「汚いことはしとらへんのやろな」
「それはしとりません!誓って!」
吉村がピンッと背筋を伸ばすと、今まで堅い表情をしていた父からふっと笑い声が洩れた。
「ほなええ。どうゆう関係なんや?あの子とは」
「はい。惚れた女の忘れ形見でして。父親はおりませんので、母親が亡くなってから私が引き取って育てました」
「そうか…それは苦労したやろな」
「はい…いや、でも仕事が忙しゅうてちゃんとした教育もしてやれんで…あの通り17にもなってあの調子で。ハルさんにはホンマに申し訳ないと思うてます」
情けなく眉尻を下げたままの吉村に、父はニカッと笑った。吉村には、それが晴人にとてもよく似て見えて。釣られて笑うと、バシンと肩を叩かれる。
「男一人でよぉ頑張った!酷いこと言うてすまんかったな。あとはうちの嫁さんに任せといたらええ」
「え?親父?」
あまりの変わりぶりに、戸惑ったのは息子である晴人の方で。何がどうなったのかいまいち状況が呑み込めず、父と母に交互に視線を遣る。
「お父さん、ええって」
「え?ええの?」
「何や。わかってくれ言うて泣いたんはお前やないか」
「泣いてないけどな」
ぶすっと膨れた晴人に、母が笑い声を洩らす。そんな時、二階からバタバタと降りて来る足音と、有紀が千彩を呼ぶ声が入り混じって聞こえて来た。