EVER BLUE
晴人とマリの微妙な友情
千彩が吉村の元へ戻って二週間。毎日メールや電話をするものの、それでは埋めきれない寂しさに晴人は心が折れそうになっていた。いい年齢をして…とは思うものの、どうにもこうにも遣りきれない寂しさがある。
一緒に居たのはたったの一週間。けれど、その一週間が晴人にとっては人生の転機とも言えるべき時間だったのだ。
「はよ帰って来んかなぁ…」
窓から空を眺めながらぼやく晴人の背後から、カツカツとヒールの音が近付いて来た。
「何腑抜けてるのよ」
長い巻き髪を掻き上げ、呆れたようにマリが笑う。
「腑抜けてへんわ。休憩や、休憩」
「ふふっ。嘘まで下手になっちゃって」
「喧しい」
ツンとマリの額を弾くように押すと、晴人はそのまま窓に背を向けてしゃがみ込んだ。
「なぁ」
「何?」
長身のマリを見上げ、晴人は問う。
「お前さ、俺のこと好き?」
「は?」
きょとんと目を丸くするマリに、晴人は再び問い直した。
「俺のこと、好き?」
何を言ってるのかわからない。とでも言いたげに、マリはふぅっと息を吐いて両手を広げた。
「何やねん」
「アンタこそ何なのよ。変な男ね」
そう言ったものの、退こうとしない晴人にマリはため息を吐いた。
「好きよ。抱かせてあげるくらいは」
「ふぅん」
「何なの?」
いや…と、珍しく晴人が口ごもる。本当に変わってしまったのだ。と、マリは改めて実感した。
「言いたいことがあるなら言いなさいよ。晴らしくないわね」
「んー」
「ウジウジと気持ち悪い!」
バシンッと頭を叩かれ、晴人はうっと呻き声を漏らす。そのままくしゃくしゃと頭を掻き、再びマリを見上げた。
「俺がリエに乗り替えた時、何で何も言わんかったん?」
「え?」
「俺、お前のこと結構好きやってんよなー」
立ち上がり、おそらくメーシーの手で作られただろう綺麗なカールを指先に絡める。毎日熱を加えているわりに、マリの髪には痛んでいる箇所が無い。それが晴人のお気に入りの一つだった。
「何なの?今更」
「お前が止めたら、リエと付き合うん止めたかも」
「何でアタシがそんなことしなきゃなんないのよ」
わけがわからない。と、マリはそっと晴人の手を振り払った。
「引き留める理由がないわ」
「うわっ…きっつ」
「好きなようにすればいいじゃない。晴の人生なんだから」
コツンと肩に拳を当てられ、晴人はジッとマリを見つめた。
「何?」
「やっぱ綺麗な、お前は」
「さっきから何なのよ。どうかしちゃったんじゃないの?」
「かもなー」
あはは。と渇いた笑い声を零す晴人に、マリは「ふぅん」と一言置いてニヤリと笑った。
「寂しいんでしょ。honeyが帰っちゃったから」
図星を突かれ、晴人は思わず言葉を詰まらせた。
寂しい。
確かに寂しいのだけれど、それを素直に口に出してしまえるほど若くはない。
苦々しい表情を浮かべる晴人の頭を、マリの綺麗な手がそっと撫でる。
「いい子にしてなさい」
「ガキか、俺は」
「寂しいからってこんなことするのはガキよ」
「まだ何もしてへんがな」
そっと手を取り、ジリジリと間を詰める。ふっと笑い声を洩らすマリを抱き寄せ、晴人は耳元でぼそりと呟いた。
「好きって…何やろな」
改めて考えてみると、それはとても不思議なもので。
若い頃は、恋人を思考の中心に持って行くことを嫌だと思っていた。いつか失ってしまった時に、何も残らないような気がして。
けれど今は、思考の中心にはいつだって千彩が居る。千彩が居なければ、思考が成り立たない気さえする。
それが「好き」というものだとしたら、今までの「好き」は何だったのか。「好き」だと思っていたけれど、実は違うものだったのか。
色々と考えてみても、答えは出なかった。
「俺、お前のこと好きやった。手放したない思うてた」
「他の女にアッサリと乗り換えた男が言うセリフじゃないわね」
「そうやねんけどな」
キッパリとそう言われてしまえば、晴人には返す言葉がない。手放したくないと思っていたわりに、乗り換えたのは自分だったのだから。
「飲みに行くくらいなら付き合ってあげるわ。飲んだら帰るけど」
「俺ん家来る?」
「珍しい…でも嫌よ」
「何でやねん」
食い下がる晴人に、マリはとうとう本気で呆れた。グッと押し返し、ふぅっと大きく息を吐く。
「アタシにだって大切な人がいるのよ。アンタにだっているじゃない。フラれて泣いても知らないわよ」
ピンッと額を弾かれ、晴人はそれを摩りながらため息をつく。
「お前、変わったな」
「アンタに言われたくないわよ」
「それもそうか」
くだらなさすぎて、自分でも笑えてくる。
わかっていたのだ。マリならばノッてこない。それどころか、軽くあしらってくれる、と。
「結婚、するんでしょ?」
「メーシーに聞いたんか?」
「まぁね」
「しゃべりやなぁ、あの男は」
「心配してんのよ、ああ見えて」
にっこりと笑うマリは、とても優しげで。今まで見たことのない表情に、晴人は何だか嬉しくなった。
「お前は?」
「え?」
「結婚せんのか?」
「さぁ、どうかしら」
ふふふっと笑うマリがとても綺麗に見えたのは、差し込む夕日のせいだけではなかったかもしれない。上手くいっているのか。と、敢えて確かめることはせずに、晴人は一人そう納得した。
「早く帰って来るといいわね、honey」
「せやな」
「帰って来たら皆でpartyしましょうね」
「言うとくわ」
時計の針が、もうすぐ19時を指す頃。茜色に染まった事務所で、晴人はとても穏やかな気分になった。千彩が手元から離れて以来初めてのことだ。
「ありがとうな」
「アタシは何もしてないわ」
「ええ女やな、お前は」
「今更気付いたの?遅いわね」
見つめ合い、どちらからともなく噴き出す。こんな関係も良い。
千彩に感じる想いとは違うけれど、マリのことも素直に「好き」だと思える。今の晴人にとっては、それだけで十分だ。
一緒に居たのはたったの一週間。けれど、その一週間が晴人にとっては人生の転機とも言えるべき時間だったのだ。
「はよ帰って来んかなぁ…」
窓から空を眺めながらぼやく晴人の背後から、カツカツとヒールの音が近付いて来た。
「何腑抜けてるのよ」
長い巻き髪を掻き上げ、呆れたようにマリが笑う。
「腑抜けてへんわ。休憩や、休憩」
「ふふっ。嘘まで下手になっちゃって」
「喧しい」
ツンとマリの額を弾くように押すと、晴人はそのまま窓に背を向けてしゃがみ込んだ。
「なぁ」
「何?」
長身のマリを見上げ、晴人は問う。
「お前さ、俺のこと好き?」
「は?」
きょとんと目を丸くするマリに、晴人は再び問い直した。
「俺のこと、好き?」
何を言ってるのかわからない。とでも言いたげに、マリはふぅっと息を吐いて両手を広げた。
「何やねん」
「アンタこそ何なのよ。変な男ね」
そう言ったものの、退こうとしない晴人にマリはため息を吐いた。
「好きよ。抱かせてあげるくらいは」
「ふぅん」
「何なの?」
いや…と、珍しく晴人が口ごもる。本当に変わってしまったのだ。と、マリは改めて実感した。
「言いたいことがあるなら言いなさいよ。晴らしくないわね」
「んー」
「ウジウジと気持ち悪い!」
バシンッと頭を叩かれ、晴人はうっと呻き声を漏らす。そのままくしゃくしゃと頭を掻き、再びマリを見上げた。
「俺がリエに乗り替えた時、何で何も言わんかったん?」
「え?」
「俺、お前のこと結構好きやってんよなー」
立ち上がり、おそらくメーシーの手で作られただろう綺麗なカールを指先に絡める。毎日熱を加えているわりに、マリの髪には痛んでいる箇所が無い。それが晴人のお気に入りの一つだった。
「何なの?今更」
「お前が止めたら、リエと付き合うん止めたかも」
「何でアタシがそんなことしなきゃなんないのよ」
わけがわからない。と、マリはそっと晴人の手を振り払った。
「引き留める理由がないわ」
「うわっ…きっつ」
「好きなようにすればいいじゃない。晴の人生なんだから」
コツンと肩に拳を当てられ、晴人はジッとマリを見つめた。
「何?」
「やっぱ綺麗な、お前は」
「さっきから何なのよ。どうかしちゃったんじゃないの?」
「かもなー」
あはは。と渇いた笑い声を零す晴人に、マリは「ふぅん」と一言置いてニヤリと笑った。
「寂しいんでしょ。honeyが帰っちゃったから」
図星を突かれ、晴人は思わず言葉を詰まらせた。
寂しい。
確かに寂しいのだけれど、それを素直に口に出してしまえるほど若くはない。
苦々しい表情を浮かべる晴人の頭を、マリの綺麗な手がそっと撫でる。
「いい子にしてなさい」
「ガキか、俺は」
「寂しいからってこんなことするのはガキよ」
「まだ何もしてへんがな」
そっと手を取り、ジリジリと間を詰める。ふっと笑い声を洩らすマリを抱き寄せ、晴人は耳元でぼそりと呟いた。
「好きって…何やろな」
改めて考えてみると、それはとても不思議なもので。
若い頃は、恋人を思考の中心に持って行くことを嫌だと思っていた。いつか失ってしまった時に、何も残らないような気がして。
けれど今は、思考の中心にはいつだって千彩が居る。千彩が居なければ、思考が成り立たない気さえする。
それが「好き」というものだとしたら、今までの「好き」は何だったのか。「好き」だと思っていたけれど、実は違うものだったのか。
色々と考えてみても、答えは出なかった。
「俺、お前のこと好きやった。手放したない思うてた」
「他の女にアッサリと乗り換えた男が言うセリフじゃないわね」
「そうやねんけどな」
キッパリとそう言われてしまえば、晴人には返す言葉がない。手放したくないと思っていたわりに、乗り換えたのは自分だったのだから。
「飲みに行くくらいなら付き合ってあげるわ。飲んだら帰るけど」
「俺ん家来る?」
「珍しい…でも嫌よ」
「何でやねん」
食い下がる晴人に、マリはとうとう本気で呆れた。グッと押し返し、ふぅっと大きく息を吐く。
「アタシにだって大切な人がいるのよ。アンタにだっているじゃない。フラれて泣いても知らないわよ」
ピンッと額を弾かれ、晴人はそれを摩りながらため息をつく。
「お前、変わったな」
「アンタに言われたくないわよ」
「それもそうか」
くだらなさすぎて、自分でも笑えてくる。
わかっていたのだ。マリならばノッてこない。それどころか、軽くあしらってくれる、と。
「結婚、するんでしょ?」
「メーシーに聞いたんか?」
「まぁね」
「しゃべりやなぁ、あの男は」
「心配してんのよ、ああ見えて」
にっこりと笑うマリは、とても優しげで。今まで見たことのない表情に、晴人は何だか嬉しくなった。
「お前は?」
「え?」
「結婚せんのか?」
「さぁ、どうかしら」
ふふふっと笑うマリがとても綺麗に見えたのは、差し込む夕日のせいだけではなかったかもしれない。上手くいっているのか。と、敢えて確かめることはせずに、晴人は一人そう納得した。
「早く帰って来るといいわね、honey」
「せやな」
「帰って来たら皆でpartyしましょうね」
「言うとくわ」
時計の針が、もうすぐ19時を指す頃。茜色に染まった事務所で、晴人はとても穏やかな気分になった。千彩が手元から離れて以来初めてのことだ。
「ありがとうな」
「アタシは何もしてないわ」
「ええ女やな、お前は」
「今更気付いたの?遅いわね」
見つめ合い、どちらからともなく噴き出す。こんな関係も良い。
千彩に感じる想いとは違うけれど、マリのことも素直に「好き」だと思える。今の晴人にとっては、それだけで十分だ。