EVER BLUE

新婚旅行は蜜の味


青い空に青い海、初めての旅行に元気一杯の笑顔ではしゃぐ千彩。
撮影で何度も訪れたことのある場所でも、千彩と一緒だとまた違った感覚が味わえる。


はずだった。

「さっさと来なさいよ!男共!」
「ちょっと…麻理子!そんなお腹で走らないで!」

目の前には、大きなお腹を抱えて上機嫌に小走りをするマリと、長男のマナを抱えてその後を追うメーシー。

「けーちゃん早くー!」
「ちーちゃん、待って!待ってー」

千彩に急かされ、慌てて後を追う恵介。
その二組の後姿を見ながら、晴人は思わず頭を抱えた。

何がどうしてこうなったのか。
新婚期間は過ぎてしまったけれど、行けなかった新婚旅行代わりに来たはずの旅行に、いつものメンバーが付属している。しかも、晴人は当日の朝までそれを知らなかったのだ。

どうなってるのだ!と問い質す暇も無く、浮かれた奴らと共に白浜に辿り着いた。そしてこの現状。


「うちの事務所大丈夫やろか…」


ぼそりと晴人が洩らすのも無理はない。いくら自分の撮影が無いからと言えど、恵介とメーシーには他にも仕事があるはずで。ここにこの三人が揃っているということは、今青山の事務所は殆ど機能していないも同然。所長は今頃頭を抱えていることだろう。と、晴人は申し訳なさでいっぱいだった。

「ちー坊!」
「おにーさまー!」

東京から白浜までは、結構な距離がある。乗り換えた電車の中でぐずっていた千彩も、到着してみればいつも通り元気いっぱいだった。

「いらっしゃい!皆さん!」
「すいみません、何か人数が…」
「ちー坊から聞いとったんで大丈夫ですよ!」
「やっぱり…」

吉村の言葉に、「やはり犯人は千彩だったか」と晴人はガックリと肩を落とす。

仕事の関係で手に入れたという白浜のペンションに、吉村から千彩を通して誘いがあった。安易に承諾したものの、今考えてみればおかしいことだらけだ。

やはり幸せボケか…と、晴人は再びため息をついた。

「はるぅ?」
「ホンマお前はー」
「怒ってるん?何で?」
「怒ってへんけどやなぁ…」

せっかくだから二人でのんびりしたかった。

そう言いたいのはやまやまなのだけれど、それを言ったところで千彩に理解が出来るとは到底思えない。

「ちー!」
「あっ、マナ。おいでー」

よたよたと寄って来るマナを抱き上げ、千彩は頬を擦り寄せた。
幸せそうに笑う姿を見ると、「まぁいいか」と思ってしまう。そんな風に変わった自分が、晴人は結構好きだった。

「ねー、はる。あっちでマナと遊んできてもいい?」
「ええけど、水まだ冷たいから海入ったあかんぞ?」
「わかったー。行こう!マナ」

遠く行くなよー。と二人を見送りながら、父親気分さながらだ。そんな晴人に、荷物を置き終えた恵介が出てきて声を掛けた。

「ちーちゃんは?」
「愛斗とあっち行ったわ」
「何してんねん!二人で行かした危ないやん!」
「大丈夫や」
「何かあったらどうすんねん!俺行ってくるから!」

走って二人の後を追う恵介を見ながら、晴人は思う。買出しの荷物は誰が持つんや、と。


「いつもとさして変わらんやないか」


そうぼやきながら、晴人はペンションの扉を開けた。大きな広間には、メーシーとマリ、そして吉村の姿がある。

「ハルさん、ちー坊は?」
「大きな子供同伴で海の方行きました」
「マナも一緒?」
「おぉ。おたくの息子は、うちの嫁さんのことが相当好きらしいな」
「アタシにはちっとも懐かないくせに!」
「ほら、そんな風に言わないの。お腹の子がビックリするよ?」

少し声を荒げたマリの大きなお腹をゆっくりと摩りながら、メーシーが宥める。その様子を横目で見ながら、吉村は晴人に問い掛けた。


「ハルさん、孫の予定は?」


思わず固まった晴人を見て、メーシーとマリがプッと噴き出す。笑い声を上げたのは、マリの方だった。

「あははは!何よ、晴ったら!」
「何笑うてんねん。相変わらず失礼な女やな、お前は」
「だって!その顔鏡で見てごらんなさいよ!あー、おかしい!」

指摘されて思わず窓ガラスに映った自分の姿を見たものの、さしていつもと変わりは無い。目の具合でも悪くなったのではないだろうか。と、晴人はケラケラと笑い続けるマリを訝しげに見つめた。それに気付いたメーシーが、ポンッと晴人の肩を叩く。

「すっかり丸くなっちゃって」
「こんなもんやろ」
「わかってないとこが丸くなった証拠だっつってんの」

義理の父親の前で余計なことは言ってくれるなよ。と、晴人はジトリとメーシーを睨みつける。けれど、それは当然マリには通じなかった。

「hey,Mr.babyの顔はまだまだ見れそうにないわよ」
「そりゃどうゆう…」
「マリ!」


「痛がるもんだから、可哀相で抱けないんですって」


このヤロウ…と、晴人は奥歯をギリギリと噛み締める。これは夫婦の連帯責任だ。と、「あちゃー」と苦笑いするメーシーの肩をガツンと拳で殴りつけた。

「あはは」
「あははちゃうわ。何とかせぇ、おたくの嫁さん」
「ねー、ホント困ったちゃんだ」

相変わらずマリに甘いメーシーは、さして怒る様子も見せずゆっくりとマリに近付いてそっと頭を撫でる。

「言っちゃダメじゃないか、麻理子」
「どうして?」
「夫婦の問題だろ?それに、吉村さんは姫のお父さんなんだから」
「dadyには秘密なの?」
「秘密にしたいこともあるんだよ」

わけがわからないわ!と言うマリに、晴人は深いため息をついた。

どうしてメーシーはこんな女を選んだのだろうか。メーシーならば、もっといい女をより取り見取りだったはずなのに。と、十数年後にこの夫婦の長男が思うことと同じことを、ここで先に晴人が思う。

「ハルさん…」

複雑そうな表情をした吉村の声に、晴人は居心地の悪さを感じる。別に悪いことをしているわけではないのだけれど、吉村としては早く孫の顔が見たいに違いない。それがわかっているだけに、何だか申し訳なかった。

「すみません」
「いや、謝らんといてください。ちー坊があないなばっかりに苦労かけて…すんません」

謝り合う義理の父と息子。
その異様な光景に、マリが再び笑い声を上げる。

「あはははっ!どうしちゃったのよ!」
「こらこら、麻理子」
「ビックリよね。昔はあんなにcrazyだったくせに。女なら誰でも良かったのにねー」
「マリっ!」

昔の晴人を知らない吉村にとっては、マリのその発言自体がビックリだ。
これ以上何も言わせるなよ!と、晴人はグッと目に力を込めてメーシーを威圧する。それを感じ取ったメーシーが、「少し外に出てみようか」とマリを連れ出した。


気まずい空気の中、義理の父と息子が二人きり。
とは言え、千彩との年齢より、吉村との年齢の方が近い。吉村にしてもそうだ。

ふぅ…と、二人分の重いため息が広間に響く。沈黙を破ったのは、父だった。


「ホンマに…良かったんでっか?千彩で。何なら離婚してもろても…」


泣く泣く愛する娘を手放したのだ。そんなこと良いはずは無いのだけれど、晴人のことを考えれば不憫にもなってくる。自分にとって千彩は娘でも、晴人にとっては違う。自分に接するように千彩が晴人に接しているのだとしたら…そう考えると、可哀相過ぎる。

そんな吉村の気遣いを、晴人はふっと笑って受け流した。

「離婚なんかしませんよ。俺は千彩がええんです」
「せやかて…」
「昔遊び過ぎたんです。ホンマ、crazyや言われてもおかしないくらい。あいつはよぉ知ってるんです。一時期俺の女やったんで」

捕まえきれなかったけれど。と、言葉には出さず、晴人は苦笑いをした。そんな晴人に、吉村がはははっと豪快に笑う。

「俺もねぇ、昔は相当なワルでしたわ。美奈と、千彩の母親と出会うまでは、よぉさん女泣かしましてね」
「そうだったんですか」
「女で変われるっちゅーこと、俺は一番よぉ知ってるんで」
「そうですね」
「でも…」

遠慮がちに見つめる吉村に、晴人は緩く首を傾げる。申し訳なさそうに下がった眉が、何だかとても頼りなく見えた。

「辛いようやったら、無理やりでもヤってもうてください」
「はぃ?」
「夫婦なんやし、犯罪にはならんでしょ?」
「いや、まぁ…そりゃそうですけど」

それが父親の言葉か!と、思わず言いかけて、晴人は慌てて呑み込んだ。

自分を気遣ってくれるのは嬉しいのだけれど、それでは千彩があまりにも可哀相だ。それに、あんな風に苦痛に歪む千彩の表情を、晴人自身も見たいとは思わない。

いくら慣れだと言えど、あの表情は晴人の胸を酷く痛める。

「ええんです。俺ら、夫婦なんで」
「せやかて…」
「孫の顔は、もうちょっと待ってください。今はまだ二人がええんで」

愛おしそうに微笑む晴人を前に、吉村はそれ以上何も言えなくなった。夫婦の問題にこれ以上口を挟むわけにはいかず、「待ってますわ」とにっこり笑う。前途多難な先行きだ。と、そっち方面も教えておけば良かった…と吉村は心底思った。


その夜、マリに要らぬことを吹き込まれた千彩がわんわんと泣き、結局それを宥めるために晴人は千彩を抱いた。何もこんなところで…と思ったものの、嬉しかったのは事実だ。
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