EVER BLUE
special friend
扉が開くと、紺色のプリーツスカートがふわりと揺れた。それを押さえながら、「おかえり!」と笑う制服姿の鈴音。
「ただいま。何回も言うとるけどな、スカートの丈直せ」
「えー!だってー」
「だってちゃうわ」
「可愛いのにー」
頬を膨らせた鈴音の肩を抱き、晴人はプラットホームを後にした。
春から専門学校に進んだ晴人と、もう一年高校生活が残っている鈴音。高校時代一言も交わしたことがなかった先輩・後輩が、恋人としての関係をスタートさせて半年が過ぎた。
会う度に制服のスカートの丈が短くなっていく鈴音に、これが五度目の注意になる。
「お前、俺の話聞いとる?」
「聞いてるー」
「先生に目つけられても知らんぞ」
「大丈夫。りんそんな悪い子ちゃうもん」
階段を下りながら、鈴音はゴソゴソと鞄を漁って数字の並ぶ横長の紙を晴人に差し出した。
「ね?」
「中の中、まさしく平均値やな」
「もう!頑張ったんやからちょっとは褒めてよ!」
プイッと顔を背けた鈴音に、晴人はふっと短く息を吐いた。
「あれで頑張った言うたら、ホンマに頑張った人に失礼や」
「もう!」
「学生は勉強せえ」
一つ年上なだけなのに、晴人はいつでもこうして大人ぶる。軽くあしらわれているような感じさえして、鈴音はそれが酷く嫌だった。
「せーとはいっつもそうや」
「んー?」
先に改札を通った晴人が、ぼやく鈴音を振り返る。スッと手を伸ばすと、膨れっ面のまま手を取った鈴音がギュッと腕にしがみついた。
「ちょっとは褒めてくれたらええのに」
「またな」
「いつよ」
「いつかまた」
「もう!せーとのあほ!」
とうとうヘソを曲げた鈴音の頭をくしゃくしゃと撫で、晴人は笑う。
「拗ねんなよ」
「ごまかされへん!」
「これでも?」
言い終わるか終わらないかのタイミングで、晴人はジーンズのポケットから抜き出した財布を鈴音に手渡す。
「そこ、ええもん入ってんやけど」
二つ折りのそれを開くと、ひらりと何かが舞った。慌ててそれを拾い上げ、鈴音はじっと止まって晴人を見上げる。
「やるわ。二枚あるやろ」
「明日行こう!」
「俺は無理やから友達とでも行ってきぃや」
「何であかんの?」
「週末は課題ある言うとるやん。夏休みに十分遊んだやろ」
話題の映画のチケットを手に、鈴音はシュンと肩を落とす。
確かにこの映画を観たいとは言ったけれど、「晴人と一緒に」という思いがあった。それを拒絶されたような気がして、何だか悲しくなる。
「りん?」
「恵介先輩、誘っていい?」
「恵介?あいつも課題あるから無理やろ」
「誘っていい?」
「まぁ…ええけど」
晴人と鈴音が先輩・後輩の関係だったということは、必然的に同じ学校の卒業生の恵介ともそういう関係になる。自分と同じ専門学校に通っているのだから、当然恵介にも同じ課題が課せられているわけで。それでも強引に恵介を誘おうとする鈴音に、晴人は一つ大きなため息を吐いた。
「邪魔したあかんぞ?」
「わかってる」
携帯を片手にカチカチとメールを打ち始めた鈴音は、頬を膨らせたまま晴人に財布を押し返した。
「せーとと一緒に観たかった」
「夏休みにちゃうの観たやん」
「これもせーとと観たかった」
「またな」
ポンポンと頭を撫でる晴人の手を取り、鈴音は「もうええわ」と笑った。
「せーとはりんのことなんか好きちゃうんや」
「んー?」
拗ねる度に鈴音が口にするこの台詞に、正直晴人はうんざりしていた。けれどここで怒ってしまえば、数秒後に鈴音が泣き出すのは必至。
低くなった空を見上げ、晴人は呟いた。
「もう秋やなぁ」
「またごまかして!」
「好きや」
「もう!あ、え?」
「好きや。言うたら満足か?」
言葉が足りていないという自覚は、晴人自身にもある。けれど、どうにもこうにも苦手なのだ。
ベッドの中でくらいしかそうそう口に出すことがないその言葉を道端で催促されたところで、スッと素直に口に出せるはずがない。
「何でそんな言い方すんのよ!」
「もうええがな」
「良くないわ!」
「怒んなや。好きや言うてるやろ」
腕を引き、よろけた鈴音をギュッと抱きしめる。少し涼しくなった風が、晴人の羽織るシャツの裾を揺らした。
「許してや」
「明日…一緒に映画行って」
「来週じゃあかん?」
「明日」
「わかった」
頑固な鈴音に、こうして晴人が折れる。それはいつものことだった。
「ほな、今日はこのまま送るで?」
「えー!」
「明日映画行くんやろ?」
どこか妥協してくれ。と、週末の予定を組み替えなければならなくなった晴人は唸る。
「一緒におりたい」
「我が儘言うな」
「ねー、せーと」
「あかん。俺は今から帰って課題するんや」
服飾の専門学校に進学した晴人は、毎週末課題を持ち帰る。夏休みも何度かそれでデートをキャンセルされただけに、鈴音は「課題」が大嫌いだった。
「そんなに課題が大事なん?」
「当たり前やろ」
「りんより?」
「比べる次元がちゃうわ」
そこで「お前の方が…」と一言言ってやれば満足するのはわかっているのだけれど、それも晴人は譲れない。
嫌いなのだ。
そんな風に何もかもを恋人中心にしてしまえば、失ってしまったら自分には何も残らない気がして。
「何でりんと付き合ったん?」
「は?付き合うてくれ言うたん自分やん」
「でもせーとだってええよ言うたやん」
その時にたまたま彼女がいなくて、告白され続けて疲れきっていたから。
そんなことを素直に口にした日には、泣き崩れるどころか発狂してしまうのではないだろうか…とさえ思う。
本当に「たまたま」だったのだけれど、それはバレンタインという高校生乙女にとっては重要なイベントの日で。それをすっかり忘れていた晴人は、朝から呼び出しの嵐にうんざりしていた。
鈴音が晴人に告白したのは、もう下校間際だった頃。すっかり断ることに疲れきってしまっていた晴人は、名前も知らない後輩の告白についつい「ええよ」と応えてしまった。
そんな悲しいオチだ。
「何で?」
改めて問う鈴音に、晴人は苦笑いで返すしか術がない。
恵介に「それは絶対言うたあかん!」と堅く口止めされているだけに言いはしないけれど、他に上手い言葉も見当たらない。
困り果てた晴人は、少し腰を屈めて軽くキスをした。
「お前がええと思ったから。はい。この話は終わり」
こうして逃げるのは、晴人の常套手段だ。それにまだ慣れない鈴音は、すっかりその甘い手中に酔っている。
「帰るぞ、りん」
足を進めたものの、鈴音は固まってしまったままで。数歩戻って手を差し出すと、勢い良く胸に飛び込んで来た。
「大好き!」
満面の笑みでそう言う鈴音を受け止め、何とかやり過ごせたことに晴人は安堵の笑みを浮かべる。
鈴音に対して何の情も持っていないわけではない。
こうして毎日学校帰りに待っていたり、断られることがわかっていて遊びに誘ったりと、なかなか健気で可愛いと思っている。
けれど鈴音と晴人では、想いの深さが格段に違うのだ。
それがたった半年を過ぎた程度で埋められるはずもなく、結果的にいつも晴人が合わせたフリをしている。
好きか嫌いかと問われれば好き。
望めば出来る範囲で構ってやるし、抱きもする。
けれど、それ以上の想いにはまだならない。そんな関係だった。
「ただいま。何回も言うとるけどな、スカートの丈直せ」
「えー!だってー」
「だってちゃうわ」
「可愛いのにー」
頬を膨らせた鈴音の肩を抱き、晴人はプラットホームを後にした。
春から専門学校に進んだ晴人と、もう一年高校生活が残っている鈴音。高校時代一言も交わしたことがなかった先輩・後輩が、恋人としての関係をスタートさせて半年が過ぎた。
会う度に制服のスカートの丈が短くなっていく鈴音に、これが五度目の注意になる。
「お前、俺の話聞いとる?」
「聞いてるー」
「先生に目つけられても知らんぞ」
「大丈夫。りんそんな悪い子ちゃうもん」
階段を下りながら、鈴音はゴソゴソと鞄を漁って数字の並ぶ横長の紙を晴人に差し出した。
「ね?」
「中の中、まさしく平均値やな」
「もう!頑張ったんやからちょっとは褒めてよ!」
プイッと顔を背けた鈴音に、晴人はふっと短く息を吐いた。
「あれで頑張った言うたら、ホンマに頑張った人に失礼や」
「もう!」
「学生は勉強せえ」
一つ年上なだけなのに、晴人はいつでもこうして大人ぶる。軽くあしらわれているような感じさえして、鈴音はそれが酷く嫌だった。
「せーとはいっつもそうや」
「んー?」
先に改札を通った晴人が、ぼやく鈴音を振り返る。スッと手を伸ばすと、膨れっ面のまま手を取った鈴音がギュッと腕にしがみついた。
「ちょっとは褒めてくれたらええのに」
「またな」
「いつよ」
「いつかまた」
「もう!せーとのあほ!」
とうとうヘソを曲げた鈴音の頭をくしゃくしゃと撫で、晴人は笑う。
「拗ねんなよ」
「ごまかされへん!」
「これでも?」
言い終わるか終わらないかのタイミングで、晴人はジーンズのポケットから抜き出した財布を鈴音に手渡す。
「そこ、ええもん入ってんやけど」
二つ折りのそれを開くと、ひらりと何かが舞った。慌ててそれを拾い上げ、鈴音はじっと止まって晴人を見上げる。
「やるわ。二枚あるやろ」
「明日行こう!」
「俺は無理やから友達とでも行ってきぃや」
「何であかんの?」
「週末は課題ある言うとるやん。夏休みに十分遊んだやろ」
話題の映画のチケットを手に、鈴音はシュンと肩を落とす。
確かにこの映画を観たいとは言ったけれど、「晴人と一緒に」という思いがあった。それを拒絶されたような気がして、何だか悲しくなる。
「りん?」
「恵介先輩、誘っていい?」
「恵介?あいつも課題あるから無理やろ」
「誘っていい?」
「まぁ…ええけど」
晴人と鈴音が先輩・後輩の関係だったということは、必然的に同じ学校の卒業生の恵介ともそういう関係になる。自分と同じ専門学校に通っているのだから、当然恵介にも同じ課題が課せられているわけで。それでも強引に恵介を誘おうとする鈴音に、晴人は一つ大きなため息を吐いた。
「邪魔したあかんぞ?」
「わかってる」
携帯を片手にカチカチとメールを打ち始めた鈴音は、頬を膨らせたまま晴人に財布を押し返した。
「せーとと一緒に観たかった」
「夏休みにちゃうの観たやん」
「これもせーとと観たかった」
「またな」
ポンポンと頭を撫でる晴人の手を取り、鈴音は「もうええわ」と笑った。
「せーとはりんのことなんか好きちゃうんや」
「んー?」
拗ねる度に鈴音が口にするこの台詞に、正直晴人はうんざりしていた。けれどここで怒ってしまえば、数秒後に鈴音が泣き出すのは必至。
低くなった空を見上げ、晴人は呟いた。
「もう秋やなぁ」
「またごまかして!」
「好きや」
「もう!あ、え?」
「好きや。言うたら満足か?」
言葉が足りていないという自覚は、晴人自身にもある。けれど、どうにもこうにも苦手なのだ。
ベッドの中でくらいしかそうそう口に出すことがないその言葉を道端で催促されたところで、スッと素直に口に出せるはずがない。
「何でそんな言い方すんのよ!」
「もうええがな」
「良くないわ!」
「怒んなや。好きや言うてるやろ」
腕を引き、よろけた鈴音をギュッと抱きしめる。少し涼しくなった風が、晴人の羽織るシャツの裾を揺らした。
「許してや」
「明日…一緒に映画行って」
「来週じゃあかん?」
「明日」
「わかった」
頑固な鈴音に、こうして晴人が折れる。それはいつものことだった。
「ほな、今日はこのまま送るで?」
「えー!」
「明日映画行くんやろ?」
どこか妥協してくれ。と、週末の予定を組み替えなければならなくなった晴人は唸る。
「一緒におりたい」
「我が儘言うな」
「ねー、せーと」
「あかん。俺は今から帰って課題するんや」
服飾の専門学校に進学した晴人は、毎週末課題を持ち帰る。夏休みも何度かそれでデートをキャンセルされただけに、鈴音は「課題」が大嫌いだった。
「そんなに課題が大事なん?」
「当たり前やろ」
「りんより?」
「比べる次元がちゃうわ」
そこで「お前の方が…」と一言言ってやれば満足するのはわかっているのだけれど、それも晴人は譲れない。
嫌いなのだ。
そんな風に何もかもを恋人中心にしてしまえば、失ってしまったら自分には何も残らない気がして。
「何でりんと付き合ったん?」
「は?付き合うてくれ言うたん自分やん」
「でもせーとだってええよ言うたやん」
その時にたまたま彼女がいなくて、告白され続けて疲れきっていたから。
そんなことを素直に口にした日には、泣き崩れるどころか発狂してしまうのではないだろうか…とさえ思う。
本当に「たまたま」だったのだけれど、それはバレンタインという高校生乙女にとっては重要なイベントの日で。それをすっかり忘れていた晴人は、朝から呼び出しの嵐にうんざりしていた。
鈴音が晴人に告白したのは、もう下校間際だった頃。すっかり断ることに疲れきってしまっていた晴人は、名前も知らない後輩の告白についつい「ええよ」と応えてしまった。
そんな悲しいオチだ。
「何で?」
改めて問う鈴音に、晴人は苦笑いで返すしか術がない。
恵介に「それは絶対言うたあかん!」と堅く口止めされているだけに言いはしないけれど、他に上手い言葉も見当たらない。
困り果てた晴人は、少し腰を屈めて軽くキスをした。
「お前がええと思ったから。はい。この話は終わり」
こうして逃げるのは、晴人の常套手段だ。それにまだ慣れない鈴音は、すっかりその甘い手中に酔っている。
「帰るぞ、りん」
足を進めたものの、鈴音は固まってしまったままで。数歩戻って手を差し出すと、勢い良く胸に飛び込んで来た。
「大好き!」
満面の笑みでそう言う鈴音を受け止め、何とかやり過ごせたことに晴人は安堵の笑みを浮かべる。
鈴音に対して何の情も持っていないわけではない。
こうして毎日学校帰りに待っていたり、断られることがわかっていて遊びに誘ったりと、なかなか健気で可愛いと思っている。
けれど鈴音と晴人では、想いの深さが格段に違うのだ。
それがたった半年を過ぎた程度で埋められるはずもなく、結果的にいつも晴人が合わせたフリをしている。
好きか嫌いかと問われれば好き。
望めば出来る範囲で構ってやるし、抱きもする。
けれど、それ以上の想いにはまだならない。そんな関係だった。