EVER BLUE
眠りに就いた千彩を看護師に任せ、晴人は一度マンションに戻った。手早く必要な物を纏め、小脇に千彩のお気に入りのクマを抱えて車に乗り込む。

「もしもーし。今大丈夫?」
『ちょうど空いたとこ。どうだった?姫』
「やっぱ妊娠しとった。11週やって」
『そっか。おめでとう』

ありがとうと応えるものの、どうにも晴人の気分は晴れない。それを察したメーシーが、電話口で心配そうに言葉を続けた。

『悪阻、酷いって?』
「おぉ。今日から暫く入院することなった」
『そんなに!?』
「他に色々検査するんやて」
『検査?姫、どこか悪いの?』
「何か…産めるか微妙っぽい」

そこで言葉を切り、一度事務所に寄ると告げて車を走らせた。

全開にした窓から、夏の風が勢い良く吹き込む。こんな時は恵介に会うに限る。と、親友がいつものように笑ってくれるのを願って車を急がせた。


「おはよーございまーす」


扉を開くと、そこにはスタッフが勢揃いしていて。所長を初め皆が口々に祝いの言葉をくれるものだから、晴人も笑顔でそれに応じるしかなかった。

「おはよう、パパ」
「おぉ。ごめんな、撮影。無理言うて」
「麻理子のワガママに比べたらお安いご用さ」

ふふっと笑いながら缶コーヒーを手渡すメーシーに軽く頭を下げ、タバコを咥えたまま晴人はふぅっと息を吐く。

「どした?浮かない顔して」
「まだ早かったかなぁ思うてな」
「病院で何か言われた?」

父親の先輩として、メーシーには相談しておくべきだろう。そう判断し、医師に告げられた事をそのまま伝えた。途中で「おめでとう!」と割って入ってきた恵介の笑顔は、話が終わる頃には完全に消え去っていた。

「そんな顔すんな」
「だって…ちーちゃん…」
「お前が何とかなる言うてくれな、俺はどないしたらええねん」

それを期待して来たのに。と、頭を抱えた晴人の肩をポンッと叩いたのは、父親の先輩であるメーシーだった。


「心配要らないよ。麻理子にだって産めたんだ。しかも二人も。姫は強い子だよ。麻理子なんかより数倍。しっかりしろよ。パパになるんだろ?」


そう喝を入れられゆっくりと顔を上げると、待ち望んでいた親友の笑顔が見えた。


「何とかなるわー。俺らもしっかり協力するから。せやからそんな顔すんな!」


あははーと笑う恵介が、無理をしていることは十分にわかっている。自分と同じように、千彩に愛情を注いできたのだ。恵介にとって千彩は可愛い妹。いや、それ以上の存在かもしれない。そんな千彩に無理をさせてまで子供を産ませたいなどと思うはずがない。

「ありがと」
「お前はほんまグルーミーな奴やなぁ。しんどいのはちーちゃんやろ?お前がそんな顔してたらちーちゃんが不安がるやないか!」
「さっきまで同じような顔しとったくせによぉ言うわ」
「俺はお前と違うてポジティブやからな!大丈夫やんなー?メーシー」
「うん。俺も協力は惜しまない。まぁ、うちには手の掛かる子達がいるから、あんまり力になれないかもしれないけど」

ふぅっと息を吐き、メーシーがやれやれと両手を広げる。

「メーシーんとこはどないなんや?」
「うち?」
「次はもう考えてへんのか?」
「次!?勘弁してよ。俺の身がもたないって。既に戦場だからね、我が家は」

それもそうか。と、漸く晴人に笑顔が戻った。

何かとやたらに手の掛かるマリに加え、幼い子供が二人。こうして職場に居る時以外は、メーシーは完全に子育てに追われている状態だった。育メンの代表とも言えるべき人物だろう。

「大変やなぁ、佐野家は」
「レイはまだ生まれたばかりだから、麻理子がどうしても付きっきりになっちゃうしね。マナのことは俺がしてやらないと」

長男の愛斗は、比較的育て易い子供だと言っていた。初めての子供だから比べようも無いとは思うのだけれど、父親が言うのならばそうなのだろう。

確かに、愛斗は晴人から見てもそう思う。無駄に癇癪を起こしたりはしないし、いつでもにこにことご機嫌に千彩に懐いている。二人目の出産の時に暫く預かっていたけれど、その時も千彩の方が手が掛かると思ったくらいだ。

「良かったなぁ、マリに似んで」
「ホントそれだよ。どうもレイは麻理子に似てるっぽいからね。俺の味方も一人くらいはいないと」

この頃大人達はまだ知らない。
幼いながらも、愛斗が「空気を読む」という素晴らしい技を取得していたということを。

そして成長した愛斗の内面が、マリどころか血の繋がりの一切無いはずの晴人とそっくりになるということを。

それはまた、別のお話だけれど。

「あーあ、これでまた俺の結婚が遠退くわー」

すっかりいつもの笑顔が戻った恵介が、ため息混じりにそう言った。

「相手もおらんくせによぉ言うわ」
「俺はわざとやねん!ちーちゃんの面倒も見なあかんし、メーシーんとこの子育ても手伝わなあかんしな!」

「誰も頼んでないけどな」
「うん。遠慮せずに結婚してよ?」

あははっと笑う二人に、恵介は抗議の言葉を呑み込む。こうして皆で笑っていられるのが一番良い。自分の結婚など、周りが全部落ち着いてからで良い、と。

「俺もこれで三人の子持ちかー。ん?ちーちゃん入れたら四人か」
「こらこら。うちの子供達を頭数に入れんじゃねーよ」
「えー?そんなん言うなやー」
「待て、待て。いつからちぃがお前の子供になったんや」
「ええやんか!俺も仲間に入れてや!」
「はよ結婚せぇ、結婚」
「相手おらんもーん」

いないわけではないのだけれど、そこまでは考えていない。それが正直なところだ。

恵介にしてみれば、今は恋人と過ごす時間よりも友人達と過ごす時間の方が楽しい。
毎日晴人のマンションに寄り夕食をご馳走になる代わりに、千彩に色々と物を買い与える。服は殆ど自分が作って着させている。あ!マタニティを作り始めなければ!と、一気に表情が嬉々とした。

それをこの二人が見逃すはずはない。

「まぁたロクでもないこと考えとるぞ、こいつは」
「そんな感じだね」
「服はもっと腹が出てからでええからなー」
「あ、バレた?」
「ケイ坊はホント姫の服のことしか頭に無いね」

朝の不安はどこへやら。
完全にいつもの調子に戻った晴人は、友人二人に感謝した。
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