EVER BLUE
疲れ切った晴人に、少し眠って体力を戻した恵介がコーヒーを差し出す。それを受け取るも、お礼の言葉を押し出すことさえ晴人には億劫だった。
こんな時笑ってくれれば…と思うものの、運ばれて丸一日が経っても千彩は目覚める気配が無い。
「せいな、言うんか?名前」
「おぉ」
「どんな漢字や?」
「聖なる夜の「聖」に、奈良の「奈」や」
「聖奈…か。ええ名前や。俺が服作る楽しみがまた増えた。ありがとうな、ちーちゃん。女の子産んでくれて」
ニカッと笑う恵介に寄り掛かり、晴人は声を押し殺して泣く。
そんな晴人の背を上下に摩りながら、恵介はただ黙って晴人を抱き締めた。
親友として、痛みを分かち合いたかった。
「大丈夫や。何とかなるわ」
お決まりの言葉も、涙声ではいまいち説得力に欠ける。
元々何の根拠も無いその言葉なのだけれど、それは晴人にとって呪文のようなものだった。何とかなる。何とかする。そう自分に言い聞かせるために、恵介から貰う魔法の呪文。
「なぁ、恵介。千彩が死んでもうたら俺…どないしたええんやろな」
「そんなこと言うな。ちーちゃん頑張ってんやから」
「聖奈が助かって、千彩がおらんようなってもたら…」
「大丈夫や。心配すんな。な?」
ガッシリと両肩を掴まれ、俯いたまま晴人は涙を零し続ける。そんな晴人を改めて抱き締め、恵介は何度も言った。
「何とかなる。何とかなるから」
そんな男同士の友情にこっそりと涙を零したのは、ちょうど差し入れを持って来たマリだった。
「hey!差し入れ持って来たわよ」
「マリちゃん」
涙を隠そうともしない晴人に苦笑いを零しながらバスケットをグイッと押し付け、マリはガラス越しの千彩に語り掛ける。
「ねぇ、今baby見て来たわよ。princessに似て、とっても可愛い子だったわ。まだ目は開いてなかったけど、きっとprincessと同じ真っ黒な瞳よ。羨ましいわ」
珍しくストレートのまま下ろされた髪を掻き上げ、マリは更に言葉を続けた。
「泣いてるわよ、おたくのprince。みっともないったりゃありゃしないわね。早く目を覚まして笑ってやんなさい」
マリが振り返ると、サラリと長い髪が揺れる。
随分と落ち着いたものだ。と、二人は改めて思った。
「聖奈って言うんですってね、名前」
「おぉ」
「うちはマナとレイだから、聖奈はセナね」
「せやな」
「きっといいfriendになれるわ。アタシ達みたいに」
ギュッと抱き付かれ、晴人は改めてマリの想いを知る。
こんなにも皆に愛されて、千彩は幸せ者だ。だから目覚めないはずがない。そう信じることでしか、遣り切れない思いを消化することが出来なかった。
バタバタと騒がしくなったのは、明け方に近い時間だった。
何人もの医師と看護師が千彩を囲み、姿を確認することさえ叶わない。
中に入れろ!と騒ぐ吉村を止めていた恵介が跳ね退けられたその時だった。出産を担当した医師が、晴人に駆け寄って来る。
「目が覚めましたよ!ご主人!」
その言葉にぶわっと涙を零したのは、勿論その場に居た全員で。
連れて行け!と離れないマナを抱き、晴人は慌てて千彩の元へと向かった。
「千彩…千彩、わかるか?」
「は…る」
「よぉ寝てたなぁ。寝過ぎやぞ、お前。皆心配しとるわ」
「せい…なは?」
「無事や。ちゃんと無事に産まれてきた。ありがとうな、千彩」
「よかっ…た」
「頑張ってくれてありがとう。ありがとうな」
伸ばされた手を取り、何度もそう言葉を掛ける。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。
何よりも千彩が自分の元へと戻って来たことが嬉しくて。晴人は大粒の涙を零し続けた。
「ちー」
「マナ…ちさ頑張ったよ」
「ぐっじょーちー」
「ありがとう」
「ちー!らびゅー!」
擦り寄ろうとするマナを慌てて抱き直し、晴人は一度涙を拭いて千彩の頭をゆっくりと撫でた。
「よぉ頑張ったな」
「はる…ちさママになったよ」
「おぉ。産んでくれてありがとう」
「へへっ。どういたしまして」
嬉しそうに笑う千彩の額に、口づけを一つ。
まだ顔色は良くないものの、もう心配無いと聞かされ、漸く晴人の気持ちにも余裕が出た。
「皆待ってるから、はよ元気になろな?」
「うん」
「恵介がなぁ、もう泣いて泣いてして大変なんやわ」
「ほんまやー。あー、おにーさまも泣いてる」
「大変やったんやで、あの人らは」
一番泣いていたのは間違いなく自分なのだけれど、それは何だかカッコ悪いので伏せておく。
「聖奈どこにおるん?」
「セナは専用の部屋におるで」
「セナ?」
「おぉ。マリがつけよったんや。うちの子はマナとレイだから、そっちはセナねって」
「マリちゃんも来てるん?」
「いや、マリは朝になったらまた来るって」
「うん」
愛おしい。と、改めてそう思う。
早く元気になって抱き締めさせてくれ。願うはそればかりだ。
「ちさねー、このまま死ぬかなーって思ってん」
「あほか。生まれたばっかの娘置いて死ぬ母親がどこにおるんや」
「ちさ、ママがいなくなって寂しかったから…ちさが死んだらきっと聖奈も寂しいんやろなーって思って」
「おぉ」
「おにーさまいっぱい泣いてたから、きっとはるも泣くんやろなーって思って」
「泣くなぁ」
照れくさそうに視線を逸らす晴人に、千彩がゆっくりと手を伸ばす。その手を取ってやると、にっこりと微笑んでこう言った。
「約束したでしょ?ずっと一緒におるって。だからちさ、約束守るよ」
ギュッと手を握り返し、晴人は改めて言う。
「これからもずっと一緒や」
永久に共に。と、左手の薬指に嵌められた指輪にそっと口づけた。
これが、新たな恋物語の始まりの物語。
こんな時笑ってくれれば…と思うものの、運ばれて丸一日が経っても千彩は目覚める気配が無い。
「せいな、言うんか?名前」
「おぉ」
「どんな漢字や?」
「聖なる夜の「聖」に、奈良の「奈」や」
「聖奈…か。ええ名前や。俺が服作る楽しみがまた増えた。ありがとうな、ちーちゃん。女の子産んでくれて」
ニカッと笑う恵介に寄り掛かり、晴人は声を押し殺して泣く。
そんな晴人の背を上下に摩りながら、恵介はただ黙って晴人を抱き締めた。
親友として、痛みを分かち合いたかった。
「大丈夫や。何とかなるわ」
お決まりの言葉も、涙声ではいまいち説得力に欠ける。
元々何の根拠も無いその言葉なのだけれど、それは晴人にとって呪文のようなものだった。何とかなる。何とかする。そう自分に言い聞かせるために、恵介から貰う魔法の呪文。
「なぁ、恵介。千彩が死んでもうたら俺…どないしたええんやろな」
「そんなこと言うな。ちーちゃん頑張ってんやから」
「聖奈が助かって、千彩がおらんようなってもたら…」
「大丈夫や。心配すんな。な?」
ガッシリと両肩を掴まれ、俯いたまま晴人は涙を零し続ける。そんな晴人を改めて抱き締め、恵介は何度も言った。
「何とかなる。何とかなるから」
そんな男同士の友情にこっそりと涙を零したのは、ちょうど差し入れを持って来たマリだった。
「hey!差し入れ持って来たわよ」
「マリちゃん」
涙を隠そうともしない晴人に苦笑いを零しながらバスケットをグイッと押し付け、マリはガラス越しの千彩に語り掛ける。
「ねぇ、今baby見て来たわよ。princessに似て、とっても可愛い子だったわ。まだ目は開いてなかったけど、きっとprincessと同じ真っ黒な瞳よ。羨ましいわ」
珍しくストレートのまま下ろされた髪を掻き上げ、マリは更に言葉を続けた。
「泣いてるわよ、おたくのprince。みっともないったりゃありゃしないわね。早く目を覚まして笑ってやんなさい」
マリが振り返ると、サラリと長い髪が揺れる。
随分と落ち着いたものだ。と、二人は改めて思った。
「聖奈って言うんですってね、名前」
「おぉ」
「うちはマナとレイだから、聖奈はセナね」
「せやな」
「きっといいfriendになれるわ。アタシ達みたいに」
ギュッと抱き付かれ、晴人は改めてマリの想いを知る。
こんなにも皆に愛されて、千彩は幸せ者だ。だから目覚めないはずがない。そう信じることでしか、遣り切れない思いを消化することが出来なかった。
バタバタと騒がしくなったのは、明け方に近い時間だった。
何人もの医師と看護師が千彩を囲み、姿を確認することさえ叶わない。
中に入れろ!と騒ぐ吉村を止めていた恵介が跳ね退けられたその時だった。出産を担当した医師が、晴人に駆け寄って来る。
「目が覚めましたよ!ご主人!」
その言葉にぶわっと涙を零したのは、勿論その場に居た全員で。
連れて行け!と離れないマナを抱き、晴人は慌てて千彩の元へと向かった。
「千彩…千彩、わかるか?」
「は…る」
「よぉ寝てたなぁ。寝過ぎやぞ、お前。皆心配しとるわ」
「せい…なは?」
「無事や。ちゃんと無事に産まれてきた。ありがとうな、千彩」
「よかっ…た」
「頑張ってくれてありがとう。ありがとうな」
伸ばされた手を取り、何度もそう言葉を掛ける。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。
何よりも千彩が自分の元へと戻って来たことが嬉しくて。晴人は大粒の涙を零し続けた。
「ちー」
「マナ…ちさ頑張ったよ」
「ぐっじょーちー」
「ありがとう」
「ちー!らびゅー!」
擦り寄ろうとするマナを慌てて抱き直し、晴人は一度涙を拭いて千彩の頭をゆっくりと撫でた。
「よぉ頑張ったな」
「はる…ちさママになったよ」
「おぉ。産んでくれてありがとう」
「へへっ。どういたしまして」
嬉しそうに笑う千彩の額に、口づけを一つ。
まだ顔色は良くないものの、もう心配無いと聞かされ、漸く晴人の気持ちにも余裕が出た。
「皆待ってるから、はよ元気になろな?」
「うん」
「恵介がなぁ、もう泣いて泣いてして大変なんやわ」
「ほんまやー。あー、おにーさまも泣いてる」
「大変やったんやで、あの人らは」
一番泣いていたのは間違いなく自分なのだけれど、それは何だかカッコ悪いので伏せておく。
「聖奈どこにおるん?」
「セナは専用の部屋におるで」
「セナ?」
「おぉ。マリがつけよったんや。うちの子はマナとレイだから、そっちはセナねって」
「マリちゃんも来てるん?」
「いや、マリは朝になったらまた来るって」
「うん」
愛おしい。と、改めてそう思う。
早く元気になって抱き締めさせてくれ。願うはそればかりだ。
「ちさねー、このまま死ぬかなーって思ってん」
「あほか。生まれたばっかの娘置いて死ぬ母親がどこにおるんや」
「ちさ、ママがいなくなって寂しかったから…ちさが死んだらきっと聖奈も寂しいんやろなーって思って」
「おぉ」
「おにーさまいっぱい泣いてたから、きっとはるも泣くんやろなーって思って」
「泣くなぁ」
照れくさそうに視線を逸らす晴人に、千彩がゆっくりと手を伸ばす。その手を取ってやると、にっこりと微笑んでこう言った。
「約束したでしょ?ずっと一緒におるって。だからちさ、約束守るよ」
ギュッと手を握り返し、晴人は改めて言う。
「これからもずっと一緒や」
永久に共に。と、左手の薬指に嵌められた指輪にそっと口づけた。
これが、新たな恋物語の始まりの物語。