ソバカス隊長と暗闇の蜜蜂
ソバカス隊長と暗闇の蜜蜂
「やあ、こんにちは。初めましてじゃなくて、いいよね?」
彼の鼻の頭に浮いているのは──ソバカス。鶯みたいな暖かな緑の瞳は、にっこりと細められている。
「隊長……さん?」
そんな男を目の前に置いて、彼女はきょとんと首を傾げた。
※
ノルディは、神殿の小間使いだった。
七つの時に、母と二人で王都の神殿に世話になることになったのだ。
働き手だった父が亡くなり、手に職もなかった母が娘と共に生きるためには、そう多くの方法はなかった。父に操を立てた母は、田舎を出て王都の大きな神殿の慈悲にすがることにしたのだ。
母の遠い親戚が、神殿でそれなりの立場にあったおかげで、親子は日々のささやかな生活を手に入れることが出来た。ノルディも、子供ながらに厨房で働いた。
田舎暮らしとは違い、いろいろ大変なことはあったが、厨房の仕事に掃除にと、働き者として認められるべく、彼女は頑張っていた。
養蜂の盛んな遠い田舎から来た、蜂蜜色の髪をした少女は、周囲の神官たちに蜂(ビーネ)という愛称で呼ばれた。瞳の黒と合わせて、蜜蜂のような色具合だったのが、周囲にそういう印象を与えたのだろうが、ノルディという名が呼びにくかったのが、最大の原因である。
ノルディという名は、「のんだくれ(ノーディ)」という、都で使われている俗語に非常に発音が似ているため、誰かが彼女を呼ぶ度に、どこかにのんだくれでもいるのかと、他の人間がキョロキョロしてしまうのだ。
そのせいで、彼女は愛称をもらって以来、人に名を聞かれたら「ビーネ」と答えるクセがついてしまった。
そんな彼女が16歳になった時、都を大きな流行病(はやりやまい)が襲った。神への祈りだけでは、どうすることも出来ず、多くの民が亡くなった。その中には、ノルディの母も含まれていた。
国中が悲しみにくれる中、神殿に王様よりお触れが回ってきた。
病で亡くなった多くの人を悼み、今後このようなことが起きないよう、聖地への巡礼を行うというものだった。
第三王子を筆頭として、王族・貴族より十名。護衛軍九十名。神殿より百名。一般の民より百名。合計、三百名の巡礼団が編成されることになったのだ。
ノルディは、巡礼団に志願した。どうか一緒に連れて行って下さいと、神官にお願いしたのである。母を亡くした彼女は、神殿よりもっと神の側に近づいて、母の冥福を祈りたかったのだ。
彼女の熱意が通じたのか、ノルディは一般の民の名簿の最後に、名前を入れてもらうことが出来た。
ただし、神殿の仕事をしている人間だとは、知られないようにしなさいと言われた。一般の民でも、彼女と同じように身内を亡くし、巡礼に行きたいと願っている人がいる。そのひとつの席を、神殿の口ぞえで手に入れたことが知られると、反感を買う恐れがあったからだ。
そんな大変なことだとは知らず、彼女は驚いたが、それでも巡礼の旅に同行出来ることが嬉しく、「はい、必ず守ります」と誓ったのだった。
亡くなった母と共に巡礼に行くつもりだったノルディは、母の形見のフードつきのローブを引っ張り出した。故郷から王都へ向かう旅路に、彼女の母が着ていたものである。
あの旅路は、たった七つのノルディには過酷だった。野を越え山を越え、二ヶ月かかったのだから。
途中、おなかがすいて死にそうになったこともあった。しかし、母が田舎から持参してくれていた、ある物のおかげで一命を取り留めたのだ。
聖地までは、片道約一月。
昔の半分の旅路ではあるが、やはりつらいものになるに違いない。
ノルディは、母が教えてくれた故郷の『それ』が、また役に立つかもしれないと思い立ち、神殿のお仕事でためたささやかな小銭を集めて、母のやり方を思い出しながら作ることにしたのだった。
※
巡礼の旅は、ゆるやかにしめやかに進んで行った。
通りすぎる町や村でも、同様の流行病の被害が起きていたらしく、巡礼の旅人たちは、同情的に手厚くもてなされた。
そして、私たちの代わりにどうか、聖地で祈りを捧げて下さいと、小さな遺品を巡礼の人々に託すのである。
ある小さな町でのこと、ノルディは一人ひっそりと馬小屋の隅にいた。そこが、今日の彼女のねぐらになる場所だからだ。
馬屋の主人の妹さんが病で亡くなったらしく、形見の髪留めを預かる代わりに、借りることが出来たのである。
真っ暗な夜の馬小屋は、ただ馬の呼吸やいななきが洩れ聞こえるだけ。
そんな寂しく暗い場所に、足音が近づいてくる。
一緒に馬の足音もするので、主人が馬を入れに来たのかもしれないとノルディは思った。
何の光もないというのに、足音は迷うことなく馬小屋へと入ってくる。
「……誰かいるのか?」
いきなりの怪訝な問いかけに、ノルディはドキっとした。
馬屋の主人ではなく、若い男の声だったからだ。
「あ、あの……巡礼の者です。一晩、ここを借りております」
いらぬ疑いをかけられないよう、彼女は慌てて自分の素性を語った。
「ああ……ご家族を亡くされて大変だろう。聖地への祈りが、ご家族に届くといいね」
姿は見えないというのに、ノルディが一般の巡礼者であることは、すぐに分かったようだ。ということは、同じ巡礼団の人なのかもしれないと、彼女は思った。
「お心遣いありがとうございます。ここの馬屋のご主人も妹さんを亡くされたそうで、形見をお預かりしました。母と共に、ご冥福を祈ろうと思っています」
「そうか……あー……夜は冷える。畳めば意外と小さくなるから、よかったらこれを持っていくといい」
パチンパチンと、金属の留め金のような音がする。
布が動く音がした後、男の足と馬の足が近づいてくる。
ふわりと。
彼女に、何かがかけられた。大きな布だ。
ノルディは、その時はそれが何であるかは分からなかった。
「あ、ありがとうございます」
「いやいや」
照れたような声を、男が返したすぐ後。
「たいちょおおお! 馬なら私がつないでおきますからああ!」
後方から、他の男が大声と共に近づいてくる。
やれやれと、彼は笑った気がした。
「もう終わった。気にするな」
空いている馬房に、男は手馴れた動きで馬を入れ、すたすたと馬小屋を出て行ったのだった。
温かい。
布のぬくもりと、それを貸してくれた人のぬくもりに包まれて、ノルディはぐっすり眠ったのだった。
彼の鼻の頭に浮いているのは──ソバカス。鶯みたいな暖かな緑の瞳は、にっこりと細められている。
「隊長……さん?」
そんな男を目の前に置いて、彼女はきょとんと首を傾げた。
※
ノルディは、神殿の小間使いだった。
七つの時に、母と二人で王都の神殿に世話になることになったのだ。
働き手だった父が亡くなり、手に職もなかった母が娘と共に生きるためには、そう多くの方法はなかった。父に操を立てた母は、田舎を出て王都の大きな神殿の慈悲にすがることにしたのだ。
母の遠い親戚が、神殿でそれなりの立場にあったおかげで、親子は日々のささやかな生活を手に入れることが出来た。ノルディも、子供ながらに厨房で働いた。
田舎暮らしとは違い、いろいろ大変なことはあったが、厨房の仕事に掃除にと、働き者として認められるべく、彼女は頑張っていた。
養蜂の盛んな遠い田舎から来た、蜂蜜色の髪をした少女は、周囲の神官たちに蜂(ビーネ)という愛称で呼ばれた。瞳の黒と合わせて、蜜蜂のような色具合だったのが、周囲にそういう印象を与えたのだろうが、ノルディという名が呼びにくかったのが、最大の原因である。
ノルディという名は、「のんだくれ(ノーディ)」という、都で使われている俗語に非常に発音が似ているため、誰かが彼女を呼ぶ度に、どこかにのんだくれでもいるのかと、他の人間がキョロキョロしてしまうのだ。
そのせいで、彼女は愛称をもらって以来、人に名を聞かれたら「ビーネ」と答えるクセがついてしまった。
そんな彼女が16歳になった時、都を大きな流行病(はやりやまい)が襲った。神への祈りだけでは、どうすることも出来ず、多くの民が亡くなった。その中には、ノルディの母も含まれていた。
国中が悲しみにくれる中、神殿に王様よりお触れが回ってきた。
病で亡くなった多くの人を悼み、今後このようなことが起きないよう、聖地への巡礼を行うというものだった。
第三王子を筆頭として、王族・貴族より十名。護衛軍九十名。神殿より百名。一般の民より百名。合計、三百名の巡礼団が編成されることになったのだ。
ノルディは、巡礼団に志願した。どうか一緒に連れて行って下さいと、神官にお願いしたのである。母を亡くした彼女は、神殿よりもっと神の側に近づいて、母の冥福を祈りたかったのだ。
彼女の熱意が通じたのか、ノルディは一般の民の名簿の最後に、名前を入れてもらうことが出来た。
ただし、神殿の仕事をしている人間だとは、知られないようにしなさいと言われた。一般の民でも、彼女と同じように身内を亡くし、巡礼に行きたいと願っている人がいる。そのひとつの席を、神殿の口ぞえで手に入れたことが知られると、反感を買う恐れがあったからだ。
そんな大変なことだとは知らず、彼女は驚いたが、それでも巡礼の旅に同行出来ることが嬉しく、「はい、必ず守ります」と誓ったのだった。
亡くなった母と共に巡礼に行くつもりだったノルディは、母の形見のフードつきのローブを引っ張り出した。故郷から王都へ向かう旅路に、彼女の母が着ていたものである。
あの旅路は、たった七つのノルディには過酷だった。野を越え山を越え、二ヶ月かかったのだから。
途中、おなかがすいて死にそうになったこともあった。しかし、母が田舎から持参してくれていた、ある物のおかげで一命を取り留めたのだ。
聖地までは、片道約一月。
昔の半分の旅路ではあるが、やはりつらいものになるに違いない。
ノルディは、母が教えてくれた故郷の『それ』が、また役に立つかもしれないと思い立ち、神殿のお仕事でためたささやかな小銭を集めて、母のやり方を思い出しながら作ることにしたのだった。
※
巡礼の旅は、ゆるやかにしめやかに進んで行った。
通りすぎる町や村でも、同様の流行病の被害が起きていたらしく、巡礼の旅人たちは、同情的に手厚くもてなされた。
そして、私たちの代わりにどうか、聖地で祈りを捧げて下さいと、小さな遺品を巡礼の人々に託すのである。
ある小さな町でのこと、ノルディは一人ひっそりと馬小屋の隅にいた。そこが、今日の彼女のねぐらになる場所だからだ。
馬屋の主人の妹さんが病で亡くなったらしく、形見の髪留めを預かる代わりに、借りることが出来たのである。
真っ暗な夜の馬小屋は、ただ馬の呼吸やいななきが洩れ聞こえるだけ。
そんな寂しく暗い場所に、足音が近づいてくる。
一緒に馬の足音もするので、主人が馬を入れに来たのかもしれないとノルディは思った。
何の光もないというのに、足音は迷うことなく馬小屋へと入ってくる。
「……誰かいるのか?」
いきなりの怪訝な問いかけに、ノルディはドキっとした。
馬屋の主人ではなく、若い男の声だったからだ。
「あ、あの……巡礼の者です。一晩、ここを借りております」
いらぬ疑いをかけられないよう、彼女は慌てて自分の素性を語った。
「ああ……ご家族を亡くされて大変だろう。聖地への祈りが、ご家族に届くといいね」
姿は見えないというのに、ノルディが一般の巡礼者であることは、すぐに分かったようだ。ということは、同じ巡礼団の人なのかもしれないと、彼女は思った。
「お心遣いありがとうございます。ここの馬屋のご主人も妹さんを亡くされたそうで、形見をお預かりしました。母と共に、ご冥福を祈ろうと思っています」
「そうか……あー……夜は冷える。畳めば意外と小さくなるから、よかったらこれを持っていくといい」
パチンパチンと、金属の留め金のような音がする。
布が動く音がした後、男の足と馬の足が近づいてくる。
ふわりと。
彼女に、何かがかけられた。大きな布だ。
ノルディは、その時はそれが何であるかは分からなかった。
「あ、ありがとうございます」
「いやいや」
照れたような声を、男が返したすぐ後。
「たいちょおおお! 馬なら私がつないでおきますからああ!」
後方から、他の男が大声と共に近づいてくる。
やれやれと、彼は笑った気がした。
「もう終わった。気にするな」
空いている馬房に、男は手馴れた動きで馬を入れ、すたすたと馬小屋を出て行ったのだった。
温かい。
布のぬくもりと、それを貸してくれた人のぬくもりに包まれて、ノルディはぐっすり眠ったのだった。
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