ソバカス隊長と暗闇の蜜蜂
翌朝。
ノルディは、自分が深い緑のマントをかけて眠っていたことに気づいた。
上質で、薄いのに保温が良く、おかげで彼女は震えずに済んだ。畳んでみると、昨夜男が言ったように、本当に小さくまとまる。
王都に帰ったら返そう。
ありがたく思いながら、彼女は荷物の中にそれを忍ばせたのだった。
※
巡礼の列は、縦に長い。
先頭を王族や貴族の馬車が行き、それを軍人たちが護衛している。次に神官たちが続き、一般の民衆は最後だ。
そんな列の一番最後を、ノルディは歩いている。
彼女より後ろにいるのは、二人の騎兵。
列から脱落者が出ないように、見てくれているのだ。
彼らのマントは、水色だった。
隊長と呼ばれていたあの人のことを思い出しながら、ノルディは後方の二人の雑談を、こっそりと拾うようになった。
もしかしたら、あの隊長さんの話をするかもしれないと思ったのだ。
そう多くはないものの、時折彼のことが聞こえてくる。
今回、彼は初めて隊長職に抜擢されたという。
優秀ではあるが平民の出で、平民軍人の希望の星だという。
「ソバカスがなけりゃあ、隊長ももうちょっと締まった顔に見えるのかもしれないけどなあ」
「ソバカスのせいじゃないだろ。本人が、偉くなる気がないんだから、厳しい顔にならないだけさ。この仕事だって、実際厄介だろ? 一歩間違えば……」
よく聞こえないことも、しばしばある。
難しいことは、ノルディには分からないが、この時から彼女の中で『隊長さん』が、『ソバカスの隊長さん』に変わった。
次の村についた時、隊列が詰まり、ノルディは前の方を見ることが出来た。
馬から降りる、マントのない軍服の背中を見つけて、あっと思った。
髪の色は、煉瓦のような赤っぽい茶色だった。
すぐに人の波の中で見えなくなったが、ノルディは彼が『ソバカスの隊長さん』に間違いないと確信していた。
次の町では、もう少し近い距離で後姿を見た。そんなに大きな人ではないようで、他の軍人の頭でまたすぐに見えなくなってしまった。
次の村では、横顔が見えた。
遠目でソバカスは見えなかったが、穏やかな表情をしているように感じた。
ノルディの中で、ひとつずつ『ソバカスの隊長さん』の形が出来上がっていく。
それは、巡礼中のささやかな彼女の楽しみとなった。
※
つつがなく旅は進み、ついにノルディは聖地へとついた。
この国と、他国の国境にあるそこは、どちらの国からも巡礼が来る不戦地帯となっている。
異国の言葉の混じる神殿の町を歩き、ノルディは聖地の中心へとたどり着いた。
もうもうと熱気が吹き上がる中、彼女は突然えぐれたようになくなっている地面の向こうを覗き込んだ。
真っ赤に滾(たぎ)る溶岩が、ぼこりぼこりと空に向かって灼熱の息を吐いている。
この地は、火の神に作られたと言われている。
その聖地では、永遠に消えることのない火が、日々燃え続けているのだ。
溶岩の吹き上げる熱気に、ノルディは形見のローブの袖を伸ばした。預かった髪留めも、ちゃんと握っている。
こうして聖地の熱にさらすことにより、亡くなった者たちは、火の神の御許へとゆけるのだ。
祈りを捧げて、ノルディは母と馬屋の主人の妹を弔った。
後は、都に帰るだけである。
誰もがそう信じて、疲れた足を前に進めようとしていた。列の一番最後のノルディもまた、帰りに髪留めを返すことを忘れまいと心に誓って歩き始めた。
しかし、その隊列の平穏は、聖地を出てたった1日で台無しになった。
後方から、土煙をあげて騎馬隊が迫ってきたのである。
「敵襲!!」
ノルディの後方にいた、水色のマントの騎兵の片方が、地をも揺らすほどの大声を張り上げるのを、彼女はどこか現実味のないものとして聞いていた。
巡礼団は、混乱の坩堝に陥るかと思われた。
だが。
「うん、じゃあ……予定通りやろうか」
ノルディは、耳を疑った。
彼女の後ろ。水色のマントのもう一人が、静かにそう呟いたのだ。
この場の空気に、あまりにそぐわず、しかし、下級の軍人とは思えない──いや、その声そのものを、彼女は知っていた。
驚いて、その人を見ようとした時には、既に彼は後方に馬首を返していた。
「打ち合わせ通り、巡礼団を逃がせ。精鋭騎馬隊は、撹乱(かくらん)しろ!」
さっきの静かさとは、打って変わった凛々しい声が号令をかける。
ずっと前の方にいるとばかり思っていた騎馬たちが、一斉にノルディを追い越して後方へと駆け戻って行く。
その中に、あの水色のマントの人は、あっという間に見えなくなってしまった。
「こっちだ!」
残った兵士が、巡礼団を街道の脇の、山裾に広がる森へと押し込んでいく。
一番最後のノルディも、薄暗い森の中へと引っ張り込まれた。
あの人は、大丈夫だろうかと、何度もノルディは振り返ったが、追いついてくる気配はなかった。
「王子様を狙った隣国の仕業に違いない」「巡礼は帰り道が危ないって、じっちゃんが言ってた」「いざとなったら、わしらは見捨てられるかもしれん」「軍人は、王子様や貴族しか守らんだろう」
人々のざわめきは、彼女を余計に不安にさせた。
けれど、ただの小娘にマントを貸してくれた優しい隊長さんが、本当に自分たちを見捨てるのだろうかと、怪訝にも思った。
幸い、追っ手が彼らのところまで追いつくことはなく、巡礼団は山肌にぽっかりと空いたほら穴の入り口へと誘導される。
自然の洞穴のようだが、中は勿論真っ暗で、ここに入らなければならないかと思うと、ノルディの足が震えそうなほどだった。
軍人たちは、それぞれ硝子の覆いのついた燭台(カンテラ)を取り出し、手際よく種火箱から蝋燭に火を移していく。
まるで、最初からこのほら穴に入ることが、決まっていたかのようだ。
馬車は森に入る前にとっくに捨てられていて、王族や貴族も徒歩になっていた。そのせいか、随分前の方から、軍人を罵る声が聞こえてくる。
しかし、若いが威厳のある声にたしなめられ、それはようやく静まった。あれは、王子様の声だろうかと、ノルディは思った。
ついに、のろのろと隊列は洞穴へと飲み込まれていく。
ごくりと喉を鳴らして、ノルディもそれに続くしかなかった。
ノルディは、自分が深い緑のマントをかけて眠っていたことに気づいた。
上質で、薄いのに保温が良く、おかげで彼女は震えずに済んだ。畳んでみると、昨夜男が言ったように、本当に小さくまとまる。
王都に帰ったら返そう。
ありがたく思いながら、彼女は荷物の中にそれを忍ばせたのだった。
※
巡礼の列は、縦に長い。
先頭を王族や貴族の馬車が行き、それを軍人たちが護衛している。次に神官たちが続き、一般の民衆は最後だ。
そんな列の一番最後を、ノルディは歩いている。
彼女より後ろにいるのは、二人の騎兵。
列から脱落者が出ないように、見てくれているのだ。
彼らのマントは、水色だった。
隊長と呼ばれていたあの人のことを思い出しながら、ノルディは後方の二人の雑談を、こっそりと拾うようになった。
もしかしたら、あの隊長さんの話をするかもしれないと思ったのだ。
そう多くはないものの、時折彼のことが聞こえてくる。
今回、彼は初めて隊長職に抜擢されたという。
優秀ではあるが平民の出で、平民軍人の希望の星だという。
「ソバカスがなけりゃあ、隊長ももうちょっと締まった顔に見えるのかもしれないけどなあ」
「ソバカスのせいじゃないだろ。本人が、偉くなる気がないんだから、厳しい顔にならないだけさ。この仕事だって、実際厄介だろ? 一歩間違えば……」
よく聞こえないことも、しばしばある。
難しいことは、ノルディには分からないが、この時から彼女の中で『隊長さん』が、『ソバカスの隊長さん』に変わった。
次の村についた時、隊列が詰まり、ノルディは前の方を見ることが出来た。
馬から降りる、マントのない軍服の背中を見つけて、あっと思った。
髪の色は、煉瓦のような赤っぽい茶色だった。
すぐに人の波の中で見えなくなったが、ノルディは彼が『ソバカスの隊長さん』に間違いないと確信していた。
次の町では、もう少し近い距離で後姿を見た。そんなに大きな人ではないようで、他の軍人の頭でまたすぐに見えなくなってしまった。
次の村では、横顔が見えた。
遠目でソバカスは見えなかったが、穏やかな表情をしているように感じた。
ノルディの中で、ひとつずつ『ソバカスの隊長さん』の形が出来上がっていく。
それは、巡礼中のささやかな彼女の楽しみとなった。
※
つつがなく旅は進み、ついにノルディは聖地へとついた。
この国と、他国の国境にあるそこは、どちらの国からも巡礼が来る不戦地帯となっている。
異国の言葉の混じる神殿の町を歩き、ノルディは聖地の中心へとたどり着いた。
もうもうと熱気が吹き上がる中、彼女は突然えぐれたようになくなっている地面の向こうを覗き込んだ。
真っ赤に滾(たぎ)る溶岩が、ぼこりぼこりと空に向かって灼熱の息を吐いている。
この地は、火の神に作られたと言われている。
その聖地では、永遠に消えることのない火が、日々燃え続けているのだ。
溶岩の吹き上げる熱気に、ノルディは形見のローブの袖を伸ばした。預かった髪留めも、ちゃんと握っている。
こうして聖地の熱にさらすことにより、亡くなった者たちは、火の神の御許へとゆけるのだ。
祈りを捧げて、ノルディは母と馬屋の主人の妹を弔った。
後は、都に帰るだけである。
誰もがそう信じて、疲れた足を前に進めようとしていた。列の一番最後のノルディもまた、帰りに髪留めを返すことを忘れまいと心に誓って歩き始めた。
しかし、その隊列の平穏は、聖地を出てたった1日で台無しになった。
後方から、土煙をあげて騎馬隊が迫ってきたのである。
「敵襲!!」
ノルディの後方にいた、水色のマントの騎兵の片方が、地をも揺らすほどの大声を張り上げるのを、彼女はどこか現実味のないものとして聞いていた。
巡礼団は、混乱の坩堝に陥るかと思われた。
だが。
「うん、じゃあ……予定通りやろうか」
ノルディは、耳を疑った。
彼女の後ろ。水色のマントのもう一人が、静かにそう呟いたのだ。
この場の空気に、あまりにそぐわず、しかし、下級の軍人とは思えない──いや、その声そのものを、彼女は知っていた。
驚いて、その人を見ようとした時には、既に彼は後方に馬首を返していた。
「打ち合わせ通り、巡礼団を逃がせ。精鋭騎馬隊は、撹乱(かくらん)しろ!」
さっきの静かさとは、打って変わった凛々しい声が号令をかける。
ずっと前の方にいるとばかり思っていた騎馬たちが、一斉にノルディを追い越して後方へと駆け戻って行く。
その中に、あの水色のマントの人は、あっという間に見えなくなってしまった。
「こっちだ!」
残った兵士が、巡礼団を街道の脇の、山裾に広がる森へと押し込んでいく。
一番最後のノルディも、薄暗い森の中へと引っ張り込まれた。
あの人は、大丈夫だろうかと、何度もノルディは振り返ったが、追いついてくる気配はなかった。
「王子様を狙った隣国の仕業に違いない」「巡礼は帰り道が危ないって、じっちゃんが言ってた」「いざとなったら、わしらは見捨てられるかもしれん」「軍人は、王子様や貴族しか守らんだろう」
人々のざわめきは、彼女を余計に不安にさせた。
けれど、ただの小娘にマントを貸してくれた優しい隊長さんが、本当に自分たちを見捨てるのだろうかと、怪訝にも思った。
幸い、追っ手が彼らのところまで追いつくことはなく、巡礼団は山肌にぽっかりと空いたほら穴の入り口へと誘導される。
自然の洞穴のようだが、中は勿論真っ暗で、ここに入らなければならないかと思うと、ノルディの足が震えそうなほどだった。
軍人たちは、それぞれ硝子の覆いのついた燭台(カンテラ)を取り出し、手際よく種火箱から蝋燭に火を移していく。
まるで、最初からこのほら穴に入ることが、決まっていたかのようだ。
馬車は森に入る前にとっくに捨てられていて、王族や貴族も徒歩になっていた。そのせいか、随分前の方から、軍人を罵る声が聞こえてくる。
しかし、若いが威厳のある声にたしなめられ、それはようやく静まった。あれは、王子様の声だろうかと、ノルディは思った。
ついに、のろのろと隊列は洞穴へと飲み込まれていく。
ごくりと喉を鳴らして、ノルディもそれに続くしかなかった。