ソバカス隊長と暗闇の蜜蜂
「あの、軍人さん」
長い休憩の時、ノルディは後ろにいる軍人に話しかけた。
「……なに?」
疲れた声が返ってくる。どんな強い人も、空腹による衰弱には耐えられないのだろう。
「隊長さんを呼んでもらえませんか? ……少しだけ、食べられるものがあります」
最後の言葉は、本当にひそひそ声で。
他の人に聞こえたら、大騒ぎになるかもしれないからだ。
「……! わ、分かった、ちょっと待ってて」
突然、彼は息を吹き返したように、しゃきっとした声で前へと駆けていく。
しばらくすると、足音が三つほど帰ってくる。
「この女性です」
さっきの軍人さんが、燭台の灯りを彼女に掲げる。
暗闇に慣れていたせいで眩しすぎて、ノルディはとっさにかぶっていたフードを深く下げ、目を守った。
「何かな? みんなで食べられるものだといいんだけど」
静かな隊長さんの問いかけに、彼女は肩から提げていたカバンの中から、皮袋を取り出した。
「これです、どうぞ」
皮袋は、故郷のヨーク山羊の皮で作られている。これも、母の形見のものだった。
男の手が、袋を受け取り中を開けると。
「これは……まるで宝石のようだな」
炎の灯りに照らされて、彼の掌にごろりと転がり出たのは、大きな石くらいある金色の塊だった。
「蜂蜜を固めたものです。石のように硬いのですが、ナイフで削れます。飴のように口に含んで溶かして食べられます」
蜂蜜とヨーク山羊の皮袋がなければ作れない、彼女の故郷独特の保存食だった。
皮袋に蜂蜜を入れ、そのままきつく口を縛って、熱湯の中に投げ入れるのだ。
ヨーク山羊の皮袋は、中の水分を外に出し、外の水分を中に入れないという奇妙な特性を持っている。
そんな皮袋を、すぐに熱湯から取り出し、日陰にぶら下げておけば、蜂蜜から水分がすっかり抜け、このような塊が出来上がるのだ。
ヨーク山羊は、野生のものが少数しかおらず、非常に貴重なため、故郷ではこの製法は極秘として、代々村人だけで語り継がれてきた。
「昔から、本当に『もうだめだ』という時にだけしか、出してはいけないと言われていたので、いままで隠していました。ごめんなさい」
隊長さんに、食べ物を一人で隠れて食べていたと思われたくなくて、ノルディはそう訴えた。
「どうして謝るの? ありがとう。とても貴重なものを出してくれて……これできっとみんな元気になるよ。見てごらん、こんなに綺麗だ。どこにもナイフの跡がない……本当にありがとう」
心のこもった言葉を投げられて、彼女は幸福だと思った。もし、このまま洞窟でのたれ死ぬことになったとしても、きっと笑顔で母の元へ行けるのではないかと思えるほど、嬉しかったのだ。
「これを、削って配ってやって。出来たら半分残して。あと一回分あると助かるから」
幸福に打ちのめされている彼女の前で、隊長がてきぱきと指示を出す。
2つの足音と燭台が去った後。
暗がりのノルディの側に、まだ一人の男が残っていた。
最初からいた軍人だろうかと思ったら。
「お嬢さん……ええと……名前を教えてもらえるかな?」
そこにいたのは──隊長さんだった。
「……ビーネです」
どきどきしたまま、ノルディは反射的に名乗っていた。
「蜂(ビーネ)か……ぴったりだ。ありがとう、ビーネ……君は命の恩人だよここを出たら、君にお礼をしないとね」
小さな笑みの言葉と共に、隊長は前へと戻って行ってしまった。
どきどきどき。
まだ、心臓が早鐘を打つのを止められないまま、そんな彼を目で追おうとフードを持ち上げるが、ここは暗い洞窟の中。彼の影さえ、ノルディは追うことが出来なかった。
配られた蜂蜜は、ほんのひとかけらでもとても甘くて、彼女の心をキュッと締め付けるのだった。
そして、蜂蜜の塊が全てなくなる頃。
ついに救助が来た。
多くの灯りと多くの人と、水や食べ物が届けられ──その時、ノルディはみな助かったと確信したのだ。
次々と現れる元気な軍人が、長い道のりを歩いて来た人たちを、一人ずつ背負って行ってくれる。
ノルディは、まだ歩けると言いたかったのだが、やはりさすがに限界が近いことを知り、見知らぬ人の背に自分の身を預けた。
途中、二人ほど違う人の背に移りながら洞窟を抜け、坑道も抜けて、ようやく彼女は太陽の下に出たのだった。
鉱山を抜けた場所には、荷馬車が待っていた。弱った順に荷馬車に乗せられる。三台目に乗せられた彼女は、そのまま王都まで運ばれることとなった。
もはや、視界のどこにも隊長さんはいない。
おぶわれて運ばれている時点で、既に彼の声を聞くことは出来なかった。
ちゃんと、お礼が言いたかったな。
返せないままの緑のマントを抱えて、ノルディは王都の神殿へ、ようやく帰り着いた。
長い休憩の時、ノルディは後ろにいる軍人に話しかけた。
「……なに?」
疲れた声が返ってくる。どんな強い人も、空腹による衰弱には耐えられないのだろう。
「隊長さんを呼んでもらえませんか? ……少しだけ、食べられるものがあります」
最後の言葉は、本当にひそひそ声で。
他の人に聞こえたら、大騒ぎになるかもしれないからだ。
「……! わ、分かった、ちょっと待ってて」
突然、彼は息を吹き返したように、しゃきっとした声で前へと駆けていく。
しばらくすると、足音が三つほど帰ってくる。
「この女性です」
さっきの軍人さんが、燭台の灯りを彼女に掲げる。
暗闇に慣れていたせいで眩しすぎて、ノルディはとっさにかぶっていたフードを深く下げ、目を守った。
「何かな? みんなで食べられるものだといいんだけど」
静かな隊長さんの問いかけに、彼女は肩から提げていたカバンの中から、皮袋を取り出した。
「これです、どうぞ」
皮袋は、故郷のヨーク山羊の皮で作られている。これも、母の形見のものだった。
男の手が、袋を受け取り中を開けると。
「これは……まるで宝石のようだな」
炎の灯りに照らされて、彼の掌にごろりと転がり出たのは、大きな石くらいある金色の塊だった。
「蜂蜜を固めたものです。石のように硬いのですが、ナイフで削れます。飴のように口に含んで溶かして食べられます」
蜂蜜とヨーク山羊の皮袋がなければ作れない、彼女の故郷独特の保存食だった。
皮袋に蜂蜜を入れ、そのままきつく口を縛って、熱湯の中に投げ入れるのだ。
ヨーク山羊の皮袋は、中の水分を外に出し、外の水分を中に入れないという奇妙な特性を持っている。
そんな皮袋を、すぐに熱湯から取り出し、日陰にぶら下げておけば、蜂蜜から水分がすっかり抜け、このような塊が出来上がるのだ。
ヨーク山羊は、野生のものが少数しかおらず、非常に貴重なため、故郷ではこの製法は極秘として、代々村人だけで語り継がれてきた。
「昔から、本当に『もうだめだ』という時にだけしか、出してはいけないと言われていたので、いままで隠していました。ごめんなさい」
隊長さんに、食べ物を一人で隠れて食べていたと思われたくなくて、ノルディはそう訴えた。
「どうして謝るの? ありがとう。とても貴重なものを出してくれて……これできっとみんな元気になるよ。見てごらん、こんなに綺麗だ。どこにもナイフの跡がない……本当にありがとう」
心のこもった言葉を投げられて、彼女は幸福だと思った。もし、このまま洞窟でのたれ死ぬことになったとしても、きっと笑顔で母の元へ行けるのではないかと思えるほど、嬉しかったのだ。
「これを、削って配ってやって。出来たら半分残して。あと一回分あると助かるから」
幸福に打ちのめされている彼女の前で、隊長がてきぱきと指示を出す。
2つの足音と燭台が去った後。
暗がりのノルディの側に、まだ一人の男が残っていた。
最初からいた軍人だろうかと思ったら。
「お嬢さん……ええと……名前を教えてもらえるかな?」
そこにいたのは──隊長さんだった。
「……ビーネです」
どきどきしたまま、ノルディは反射的に名乗っていた。
「蜂(ビーネ)か……ぴったりだ。ありがとう、ビーネ……君は命の恩人だよここを出たら、君にお礼をしないとね」
小さな笑みの言葉と共に、隊長は前へと戻って行ってしまった。
どきどきどき。
まだ、心臓が早鐘を打つのを止められないまま、そんな彼を目で追おうとフードを持ち上げるが、ここは暗い洞窟の中。彼の影さえ、ノルディは追うことが出来なかった。
配られた蜂蜜は、ほんのひとかけらでもとても甘くて、彼女の心をキュッと締め付けるのだった。
そして、蜂蜜の塊が全てなくなる頃。
ついに救助が来た。
多くの灯りと多くの人と、水や食べ物が届けられ──その時、ノルディはみな助かったと確信したのだ。
次々と現れる元気な軍人が、長い道のりを歩いて来た人たちを、一人ずつ背負って行ってくれる。
ノルディは、まだ歩けると言いたかったのだが、やはりさすがに限界が近いことを知り、見知らぬ人の背に自分の身を預けた。
途中、二人ほど違う人の背に移りながら洞窟を抜け、坑道も抜けて、ようやく彼女は太陽の下に出たのだった。
鉱山を抜けた場所には、荷馬車が待っていた。弱った順に荷馬車に乗せられる。三台目に乗せられた彼女は、そのまま王都まで運ばれることとなった。
もはや、視界のどこにも隊長さんはいない。
おぶわれて運ばれている時点で、既に彼の声を聞くことは出来なかった。
ちゃんと、お礼が言いたかったな。
返せないままの緑のマントを抱えて、ノルディは王都の神殿へ、ようやく帰り着いた。