ソバカス隊長と暗闇の蜜蜂
 後日──ノルディは、巡礼に同行した神官の噂話で、あの隊長さんのことを聞くことが出来た。

 軍人たちの中には、敵との接触で怪我をした人もいたようだが、それでも誰一人も死なせず、無事王都まで帰した隊長として、近く王様から褒賞を受けるというのだ。

 彼女は、我がことのようにそれを喜んだ。

 あんなに素晴らしい人なのだから、もっと偉くなるべきだと思ったからである。

 寂しいと、思う気持ちはあった。

 彼は小さな英雄のように扱われていて、彼女が訪ねて行っても会うことは出来なかったのだ。

 しょうがなく、門のところにいた水色のマントの軍人に、「ありがとうございましたと伝えていただけますか」と、緑色のマントを預けて神殿に帰って来た。

 一度だけでもいいから、ちゃんと隊長さんの顔が見たかったな。

 心の中でしか描けないソバカス顔の真実を、彼女は知らないままだったのだ。

 もうひとつ、彼女の心残りと言えば、髪留めだろう。

 馬屋の主人の妹さんの遺品。

 あの襲撃のせいで、結局返せなかったのである。

 仕事がある以上、次にいつあの町まで行けるか分からない。けれど、必ず返しに行きたいと、彼女は思っていた。

 そしてまた、ノルディは神殿の仕事の日々に戻った。

 厨房で働き、神殿の掃除をして、部屋に帰ったら、母の形見のローブに「ただいま」という生活だ。

 巡礼の旅に出る前より寂しさが増えた気がするのは、彼女の母が本当に火の神の御許に行ってしまったからだろうか。

 そんな気持ちを振り切って、ノルディは神殿の裏庭に出た。

 先日、強い風雨が来て、木々から引きちぎられた落ち葉が、ひどいことになっていたのだ。

 ホウキを持ち、彼女はそれをかき寄せ始めた。

 広い広い裏庭中の落ち葉を、長い時間かかって集めると、それだけで小山が出来る。

 あとは、これに火をつけて燃やせば、掃除は完了だ。

 火をもらいに行こうと、ノルディがホウキを持って厨房へと戻りかけた時。

 神殿の方から、男が歩いて来た。

 軍服の男だった。

 緑のマントの。

 ノルディは、思わず足を止めて、ほけっとその人を見つめた。

 目の前で、ぴたりと止まる長い軍靴。

「やあ、こんにちは。初めましてじゃなくて、いいよね?」

 彼の鼻の頭に浮いているのは──ソバカス。鶯みたいな暖かな緑の瞳は、にっこりと細められている。

 背は余り大きくない。

 ノルディより視線ひとつ分、高いくらいだ。

「隊長……さん?」

 そんな男を目の前に置いて、彼女はきょとんと首を傾げた。

 夢を見ているかと思った。

「ああよかった。この声だ……間違いない。蜂(ビーネ)を探して、花から花へ飛び回ってしまったよ」

 彼は、ますます相好を崩す。とても嬉しそうだ。

「隊長、さん?」

 そこにいる人が本物とはどうしても思えなくて、ノルディはもう一度問いかけてしまった。

「そう、私は駄目な隊長さん。そして、君は困った神殿のお嬢さん」

 表情が元に戻らないほど笑みを深めながら、彼は呆然とするノルディに更に言葉を続ける。

「神殿でお仕事をしているのに、一般名簿だし、一般名簿にはビーネなんて名前はないし、探すのにとんでもなく苦労したよ……ノルディさん」

 はい、と彼は何かをノルディに差し出した。

 それは。

 ヨーク山羊の皮袋だった。

 蜂蜜の塊を渡した時、返してもらうのを忘れていたのだ。

「貴重な皮なんだってね……偉い学者のオジイサンに聞いてようやく分かった。ヨーク山羊のいる養蜂の盛んな地方から出て来たビーネと呼ばれているお嬢さんと、マントを返しに来てくれた蜂蜜色の髪のお嬢さんが、同一人物で……ほんとよかった。いまひとつ、記憶が曖昧だったからね」

 はぁと、彼は大袈裟なため息をつく。

 ノルディは、と言えば。

 まだ、固まったままだった。

 あれほど会いたいと思っていた隊長さんが、いま目の前にいるのである。

 本当に表情が柔らかくて、軍の偉い人だとはとても思えない。

 しかし、声は間違いなく、あの人のものだ。

 いまひとつ垢抜けない、田舎の青年のようなのに。

「あの時は、本当に助かったよ。ありがとう。今日は、お礼をしに来たんだ。何か欲しいものはない? 女の子の欲しいものなんて、私はよく分からないから、言ってくれると嬉しいよ」

 屈託なく笑いながら、彼は次々と言葉を置いていく。

 まだ、ノルディはさっぱりこの現実を、受け止めきれていないというのに。

 けれど、じんわりと、少しずつ、彼女の目の前にいる人が、夢でも何でもなくて、あの隊長さんなんだと実感が満ち潮のように、彼女の胸の中に広がっていく。

 それが、あまりに嬉しくて。

 ノルディは、ホウキを握り締めたまま、涙を溢れさせてしまった。

 それは、彼をひどく困らせてしまうのだが、それでも彼女の嬉し涙は、すぐには止まらなかったのだ。


 ※


「あの……馬屋の妹さんの髪留めを返したいのですが」

 お礼と言われても、ノルディは何も思いつかなかった。ただひとつ、それを除いて。

 隊長さんを、明るい太陽の下でちゃんと見られたのだ。残す心残りは、あとは髪留めだけ。

 そうしたら。

 隊長さんは、またとても嬉しそうに鶯色の目を細めた。

「分かったよ。じゃあ、それを返してこよう」

 ノルディはこの時、勘違いをしていた。

 隊長さんが、何かのついでに髪留めを返しに行ってくれると思っていたのだ。

 だが、そうではなくて。

「た……高い……ですっ」

 彼女は、馬の前に横乗りで座らされ、隊長さんが後ろで手綱を持つという二人乗りで、街道を走ることになったのだ。

 田舎でも、馬に乗る機会のなかった彼女は、そのあまりの高さに驚いて、彼にしがみついてしまう。

「はは、大丈夫だよ。そんなに速度は出さないからね……いや、少し出した方が役得なのかな、うーん」

「あのっ、速くしないで……くださ……うう」

 はしたないことなんか考えられもせず、ノルディは揺れる視界の中、必死にしがみついているしか出来なかった。


 馬屋の主人は、涙ぐむほど喜んで髪留めを受け取ってくれた。届けた彼女もまた、涙ぐみながら喜んだ。

「ノルディって呼んでもいいかな? ビーネは似合っているけど、やっぱり本当の名前を呼ばせて欲しいんだけど」

 そんな届け物の帰り道、少しだけ慣れた馬上のノルディに、彼はそう言った。

「えっと……酔っ払いも振り返りますけど、いいですか?」

 おそるおそる出した彼女の言葉は、ひどく隊長さんを笑わせた。「だからビーネか」と、納得がいったようだ。

「じゃあ、ノルって呼ぶのはどうかな? それならきっと、君以外、振り返らないだろう?」

 ひとしきり笑い終えた後、彼は新しい提案をしてきた。

 いままで、誰からも呼ばれたことのない愛称だ。

「あ、はい……大丈夫です」

 恥ずかしさと嬉しさで、彼女は馬上でもじもじとした。

 そう彼女のことを呼ぶのは、隊長さんだけなのだ。その辺を詳しく考えてしまったら、頬が熱くなってしまうのだ。

「あ、そうです……私も隊長さんにマントをお借りしたお礼を」

 すっかり忘れてしまっていたことを、恥ずかしさが何処からか引っ張り出して来たため、彼女は慌ててそれを口にしていた。

 髪留めを返せたのは助かったが、元はと言えばお礼をしてもらう必要はなかったのだ。

 あのマントは、最後まで彼女を温かく励ましてくれたのだから。

「ああ、そんなのもあったね……うーん、じゃあ、ノル。お願いがあるんだけど」

「はい、何でも言って下さい」

 隊長さんにお願いされるなんてと、彼女はすっかり嬉しくなってしまった。

「うん、あのね……都に戻ったら、一緒にご飯でも食べに行かない? ご馳走するよ」

 なのに。

 隊長さんは、変なことを言い出した。

 ノルディにご馳走してくれと言うのなら分かるのだが、彼がご馳走するというのは変ではないのだろうか。

「え、えっと」

 彼女は、驚き戸惑った。


「ノルと一緒に食事をする栄誉を、私に与えてくれないかな。どうやら私は、洞窟で蜜蜂に胸を刺されてしまったようで、ノルがいないと治せないみたいなんだ」


 彼の言葉の意味を、ノルディがきちんと理解をするまで──もう少し時間が必要だった。



『ソバカス隊長と暗闇の蜜蜂 終』




※続編追加しました
よかったら次ページへどうぞ

< 5 / 17 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop