ソバカス隊長と暗闇の蜜蜂
ハチミツ少女と真昼の蝙蝠
 ライマー=トットは、行商人の息子として産まれたが、行商人の息子として育つことは出来なかった。

 3歳の時に、母が事故で亡くなってしまったため、男手一人で育てることが困難だと判断した父に、祖父母へ預けられてしまったのである。

 祖父は、山の中の鉱山村に住む鉱山夫だった。子供は皆、結婚や仕事で出て行ってしまっていて、ライマーは年寄り二人と暮らすことになったのだ。

 家の唯一の息子であったライマーの父は、鉱山夫として生きるのを嫌がり、行商人になって逃げ出した男だ。そんな男が、突然ひょっこり3歳の子供を置いていったのだから、祖父はカンカンになった。

 祖父が鉱山に仕事に行っている時間帯を狙って、祖母に押し付けて去って行った姑息さが、祖父の怒りの炎に油を注いだのだろう。

 おかげで、ライマーはしばらく、祖父の嫌味を聞いて生活しなければならなかった。

 ちびっ子ライマーの生活が落ち着くや、祖父はまだ3歳に過ぎない彼を、鉱山の仕事場へと連れて行くようになった。「俺は歩き始めた時には鉱山の中にいた」が自慢の彼に、小さなライマーが、抵抗できるはずもなかった。

 子供にとって、暗闇とは恐怖の対象である。そんなところに、祖父はぐいぐいと小さなライマーを引きずって行く。祖父も怖ければ暗闇も怖い。一体どっちで泣いたらいいのか分からないままのライマー坊やは、それでも祖父にしがみつくしか出来なかった。

 泣けば泣くほど、自分の声が坑道内を反響して恐怖を倍増させる。しかし、祖父は容赦をしてくれることはなく、永遠に泣き続けることは出来ず、ついにライマーは諦めた。

 泣くのをやめると、坑道の中は静かで暗い世界であることが分かる。

 蝋燭が勿体無いので、坑道にいちいち灯りは灯してない。手に持った硝子の覆いのついた燭台(カンテラ)だけが頼りだ。

 そこでライマーは、小さいながらに暗闇の作法を学んでいったのだった。

 何年も鉱山に入っていると、ライマーは独特の能力を身に着けてゆくことになる。暗いながらに最大限にものを見る視力は特に優れ、真っ暗な坑道であっても燭台(カンテラ)なしで走っていけるようになった。

 そのせいで、ついたあだ名が『蝙蝠(フレーダー)』である。

「やあ、トット爺んところの小さなフレーダー。穴倉ばっかにこもってないで、たまにはお日様を浴びな」と言われるほど、彼はすっかり鉱山で快適に生きていたのだ。

 そんな生活が、またも突然終わりを迎える。

 11歳の時、父親が迎えに来てしまったのだ。勝手に置いていった男は、連れていく時も勝手で。「商売に成功した。行商もやめて店も建てた。後妻ももらったから、お前と一緒に暮らせるぞ」とお気楽に言い放つのである。

 またも祖父は、カンカンに怒り出したが、父はその雷が自分に向けて炸裂する前に、ライマーの手を掴むや、家を飛び出してしまったのだ。

 そこからは、鉱山の中とはうってかわった生活が、彼の目の前に広がった。

 何しろ、町には洞窟がどこにもない。最初の頃は、洞窟を求めてフラフラしていた怪しい子供だったが、すぐに少年ライマーは、別のことに切り替えた。

 夜、である。

 彼は、夜に出歩くことにしたのだ。そこにだけ、彼が好きな暗闇があったのだから。

 しかし、ライマーには明るい場所での仕事もあった。

 学校に行くこと、である。

 父は商売人で、彼を跡継ぎにするために迎えに来ていたのだ。

 それには最低限の知識が必要なため、ライマーは学校に放り込まれたのである。

 文字や数字を覚えさせられ、それらを駆使して生きていく術を学ぶのだ。

 少年ライマーは、いまひとつピリっとしない見栄えの子供であったが、運がいいことに阿呆ではなかった。いや、残念なことに物覚えのいい、とても賢い子だった。

 そのせいで、彼の人生は大きくまた変わることになる。

 13歳になる頃には、賢いライマー少年の鼻の辺りには、多くのソバカスが浮き出ていた。

 子供の頃から、光を浴びるより闇を浴びていた少年は、町で太陽にキツイ洗礼をくらってしまったのだ。そのおかげで、冴えない風貌には更に磨きがかかった。

 学校の先生は、ライマーに学者になれと、父親まで説得に来てくれたが、金のかかる上の学校に行かねばならず、父親は頷かなかった。本人も、別に学者になりたいわけではなかったので、説得しようとも思っていなかった。

 しかし、後妻との間に息子が生まれ、そのかわいさを知るや、あっさりと父は「お前の好きに生きていいぞ」と言い始める。本当に勝手な父親だ。

 後妻も、当然自分の息子をより可愛がるので、ライマーは家で肩身の狭い思いをすることになった。

 こうなると、今後どうやって生きていくか、改めてライマーは考えなければならなかった。

 今更鉱山夫になるわけにもいかず、商人になるべき道もあやふやになったのだから。

 頭と身体をそれなりに使って、食いっぱぐれない仕事はないものか。

 そう思っていたライマーに、先生はついに学者へ勧誘するのは諦めて「士官学校」なるものを勧めたのである。

 なるほど、頭と身体を使い、食いっぱぐれない──そう思ったライマーは、軍人になるべく士官学校へと入ったのである。卒業後、軍属になれば授業料は全額免除であり、寮も完備しているため、家に迷惑もかけないことも魅力的だった。

 煉瓦色の髪に鶯色の瞳を持つ、ソバカスの冴えない少年。

 そんなライマー・トットは、仕官学校に主席で入学した。そして、男の嫉妬により虐め抜かれた。

 幸い、ライマーは鉱山村で育っていて、見掛けの割りに荒っぽいケンカも出来、頭もよかったので、貴族の子弟らのいじめを、のらりくらりと最小限の力でかわし続けた。そういう訓練を、毎日しているようなものだと考え、バリエーションのある罠や反撃方法を見出していく。

 特に彼は、その瞳の性質のおかげで、闇夜に滅法強かった。

 夜間訓練中、みなでよってたかってライマーを袋叩きにしようたくらんでいた少年たちは、簡単に攪乱(かくらん)され、同士討ちの果てに自滅する羽目となる。

 そんな、面倒臭い仕官学校生活が終わりを迎える頃には、ライマーは18歳になっていた。

 軍に配属されることになったはいいが、出世とは無縁の主計監査局という閑職に放り込まれた。いや、本来閑職だった、というべき部署だ。

 しかし、ライマーはそこで普通に働いてしまった。軍のお金の流れの怪しい帳簿を見つけてしまったのである。上司にそれを進言すると、それはもう厄介者を見る目で睨みつけられた。

 結局、すぐに主計監査局を追い出され、次に兵站(へいたん)部へと飛ばされた。やはり、出世とは無縁の軍事物資を主に扱う部署である。

 ここでも在庫が合わず、ライマーは物資の流れの怪しい場所を見つけてしまい、上司に進言すると(以下略)

 そんな調子で、ライマーという人間は軍の中をたらい回しにされることとなる。

 22歳になった時、ようやくにしてライマーは、まともな上司の下につくことが出来た。

『熊(ベーア)』という勇名も名高い、ワルター中将に首ねっこを掴まれたのだ。60前のいかつい白髪交じりの男で、軍の中では唯一の平民中将だった。

「冷や飯はうまかったか? 蝙蝠(フレーダー)少尉」

 熊(ベーア)と呼ばれるに相応しい小山のような身体を揺すりながら、ワルター中将は初対面のライマーに笑うのだ。

 昔のあだ名を知っているということは、彼のことはあらかた調べたのだろう。

「はあまあ、餓死はしてないので栄養はあったと思います。熊(ベーア)中将閣下」

 そんな男の問いに、彼は困った顔で答えた。怖いと思わなかったのは、子供の頃に暮らした祖父に、雰囲気がそっくりだったからだろう。

 そんなワルター中将は、徹底的にライマーを指揮官として育てるべくしごき倒した。

 しごくのは簡単である。難度の高い案件を引っ張ってきては、彼に押し付けていけばいいのだから。

 難しいものは、貴族の偉いさんたちはやりたがらない。失敗して、自分の名に傷がつくのを嫌がるからだ。

 そのためのゴミ箱ではないかと思うほど、ワルター中将の元には問題のある案件が山積みだった。中将も、さぞや今まで苦労してきただろうと分かる状態だった。

 それらの仕事を、勝つ時はしっかり、勝てない時は被害を最小限に──それだけを目標に、ひとつずつこなしていく。

 夜戦をさせたら、ライマーの右に出るものはいないといわれ、結局どこへいっても彼は、『蝙蝠(フレーダー)』と呼ばれる羽目になるのだ。

 面倒な戦いに勝つことが多いものだから、気がつけば彼の肩書きは中佐である。肩書きが上に上がったところで、面倒は増えるばかりなのだから、もういいと思っていながらも、彼の上司であるワルターがそれを許してくれるはずもない。

「ほらよ」と投げられた次の仕事は、巡礼団の護衛隊長の任である。その筆頭の名前を見て、ライマーはがっくりと肩を落とした。

 第三王子だったのだ。

 別に顔見知りとかいうわけではない。そんなすごい肩書きの人間を連れて、キナ臭くなり始めている隣国との国境まで行かねばならないのだと思うと、向かう前から疲労が押し寄せてきたのである。

「最近、巡礼帰りの一般市民も襲われてるんですよ……どうして隣国に、こんなご馳走ブラ下げるんですか?」

「まあそう言うな。帰ってきたら、お前にいい見合いを用意してやるから」

 ライマーにとっては、兄弟子になる上級大佐がゲラゲラ笑いながら、彼を任務へと蹴り出した。


 その旅で、蝙蝠(フレーダー)が、蜂(ビーネ)を見つけてくるとも知らずに──
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