ソバカス隊長と暗闇の蜜蜂
ライマー=トットは、神殿の小間使いのノルディを食事に誘ったが、それは意外と難題だった。
彼女は小間使いとして神殿で働かなければならない。神の定めた休日であったとしても──いや、休日だからこそ、多くの信者が神殿で祈りを捧げるため、ノルディは休めないのだ。
じゃあと、仕事の終わった夜に食事に誘いに行ったら、神官に苦い顔をされた。
「未婚の女性を、こんな暗い中連れ出すのですか? それは、ビーネにとって、とても良くないことですよ」
それから二日、ライマーはいい手がないか悩んだ。普段、戦いのことを考えている頭を、どうにかこうにか恋愛に切り替え、建設的な道筋を考え抜いたのだ。
そして。
再び、夜に会いに行った。
この時間が、一番彼女の手の空いている時間だからだ。
「また、貴方ですか」
神官に困った顔をされる。そんな男の後ろで、ノルディが恥ずかしそうに、でも少し嬉しそうにこちらを見ている。蜜蜂の黒い瞳を、燭台の灯りに煌かせているのだ。
「いえ、今日は神官殿にもご相談があります」
ふーっと息を吐いて、ライマーは肩の力を抜いた。
「私(わたくし)ライマー=トットは、そちらのお嬢さんに婚姻を申し込みたいのですが、彼女にはご両親がいらっしゃらないとのこと。どちらに結婚のお許しを得れば良いのでしょうか?」
黒い瞳が、ゆっくりゆっくりと大きく見開かれていくのを、彼はうっとりしながら見つめていた。
「それは……」
神官は、彼の突然の言葉に驚いたように、ノルディの方を振り返る。彼女は、どうしたらいいか分からないと、戸惑った顔を神官とライマーに向けるのだ。
「ノル……良かったら私のお嫁さんになってくれないかな。贅沢は、させられないと思うんだけど、慎ましやかに暮らしていくくらいは、何とかなると思うんだ」
そんな彼女が愛しくて、ライマーは自分の表情がにこにこと崩れていくのが分かった。
「え……あの……」
頬を差す赤みも、目を合わせられずに伏せられるまつげも、どれもこれも彼にとってはたまらなく可愛らしい様子だった。
「私が、ここでのビーネの後見人です。彼女の遠い親戚ですから……しかし」
「そうですか、では神官殿。未婚女性を夜に連れ出すことは、確かに私も良くないことだと思いました。ですので、婚姻という形で、彼女を私にいただけないでしょうか?」
生まれてこの方、これほど熱心に他人を欲しいと乞うたことは、ライマーにはない。恋に愚鈍と呼ばれた男が、重い腰をあげて頑張っているのだ。
「ビーネ……いや、ノルディ」
神官は、戸惑いの表情をゆっくりと変え、蜂蜜色の髪の少女の方へと向き直った。
「お前は、これからどうしたいのかね? この人に限らず、いい人がいるのならば、結婚してもいいのだよ。庭師のハンスも、息子の嫁にもらってやってもいいと、昨日言ってくれていたし、そろそろ考えてもいいんじゃないかね」
庭師のハンスさん、やめてくださいね。
神官の言葉に、声にはならない制止の声を、ライマーはあげてしまった。
『もらってやっても』なんて人に、どうしてノルディをあげなければならないのか。ライマーこそが、彼女を嫁に『もらいたくてしょうがない』男なのに。
「どうしたらいいのか、よく分からないのです、おじさま。私は愚かなのでしょうか?」
「乞われてお嫁に行くのは、悪いことではないよ。きっと大事にしてもらえるだろう。それに……」
ふと、神官は言葉を切った。
「それに……お前がお嫁に行けば、また誰か身寄りのない者を、ここの小間使いとして雇ってあげることが出来るのだよ」
その言葉に、ライマーはありがたいことだと、視線を下げて感謝を表した。
神官は、ライマー=トットに、いま婚姻の許可を出したのだ。
ノルディが神殿から離れやすいような言葉を選び、彼の方へと背を押し出したのである。
「私のような……そうですね、あの時、おじさまに食べさせていただいたスープの味は、いまでも忘れていません。枯れ木のようなやせた身体が、本当に生き返りました」
彼女の瞳が、しばしの間だけ過去に飛んだ。
そして、まばたきと共にゆっくりと今に戻ってくる。
「そろそろ、新しい誰かに代わらなければなりませんね」
「ええ、それがきっと神の思し召しなのでしょう」
二人の視線が、ライマーの方に向かうのを、彼は静かに待っていた。
とくんと、胸が鳴る。
いまひとつ冴えないライマー=トットのまま、少年のように胸を高鳴らせて、ノルディの次の言葉を待つのだ。
「こんな私で……よろしいでしょうか?」
はにかみながらおずおずと出されたその言葉のせいで、ライマーともあろう男が、彼女をぎゅっとかき抱きたい衝動にかられた。
勿論、神官の前でそんなことは出来ず、彼はぐぐっと我慢する。
「あなたでなくては駄目なんだよ……ノルディ」
彼は、最後の名をとても小さく呼んだので──教会の外の世界にいる、「のんだくれ(ノーディ)」たちが耳をひくつかせることは、きっとなかっただろう。
※
「今度の祭日に、結婚することになりました」
「ふごぉっ!」
アダー上級大佐が、何か変なものを吹いた。
何も飲食していなかったのに、口元をへたくそな刺繍のハンカチで拭っている。勿論、娘さんからの大事な贈り物である。
「今度の祭日かよ、トット中……ああ、もう大佐だったな。昇進祝いと同時に養蜂の仕事も始めるとは、お前さんは本当に働き者だな」
ライマーが追い回していたのが、蜂(ビーネ)であることは、彼にも知られているせいで、結婚は養蜂と評されてしまった。
「つきましては、アダー上級大佐とそのご家族に式に参列していただければと思いまして」
結婚式と言っても、ノルディの働いている神殿で、内輪だけの小さな式を挙げる予定だった。
いい加減な父親と、義母に弟。そして、後で生まれた妹。
ワルター中将一家に、アダー上級大佐一家。あとは、階級こそ上下はあるが、同じ平民出身の軍人仲間を少々。
それが、ライマー側の出席者だ。
ノルディ側は、みな神殿関係者。
ライマーが最初にしたのは、家を手に入れること。いままでは、一人暮らしが面倒臭かったので、軍の宿舎で暮らしていたが、結婚するとなればそうはいかない。
慌てて、軍舎からそう遠くないこじんまりした家を、いい加減な父の紹介で安く買うことが出来た。
家具は、父が見繕ってくれた。多少、ちぐはぐ感があるのは、統一感より安さを求めた父の性格がよく出ている。義母は、不満そうにそれを眺めていたが。
「ライマーさん、花嫁さんのドレスはどうなさるの?」
義母にそう聞かれて、「はあ、神殿でヴェールは借りるつもりですが」と答えたら、「何ですって!?」烈火のごとく目をつり上げられた。
とりあえず、どんな人でも等しく結婚式を挙げられるよう、神殿ではヴェールの貸し出しを行っているのだ。
「ああもう殿方というものは、何と女心の分からないものなんでしょうね。そんな式を挙げさせたと分かったら、私が気の利かない意地の悪い継母(ままはは)だと思われるではありませんか。あなた、あなた!」
そこからは、恐ろしくてライマーは義母に話しかけることさえ出来なかった。父親に、厳しく指示を出すや義母は、10歳の妹の手を引きずるように、神殿のノルディの元へと出かけてしまったのである。
「兄さん……母さんは、いつもは、ああじゃないんだよ……」
母親の豹変に驚きながらも、14歳の弟がぼそりと母を擁護した。
ライマーと義母の血がつながっていないことを知っている弟は、微妙な年頃のせいか、家族の関係がグラつくのを怖がっているように見える。
自分が生まれたために、ライマーが父の後を継げなくなったとでも思っているのだろうか。
「いやまあうん……分かってるよ。私があんまりに気が利かないから、お義母さんに迷惑をかけてしまってるだけさ」
母親に似た弟の黒髪をクシャっと撫で、ライマーは笑ってみせた。
彼女は小間使いとして神殿で働かなければならない。神の定めた休日であったとしても──いや、休日だからこそ、多くの信者が神殿で祈りを捧げるため、ノルディは休めないのだ。
じゃあと、仕事の終わった夜に食事に誘いに行ったら、神官に苦い顔をされた。
「未婚の女性を、こんな暗い中連れ出すのですか? それは、ビーネにとって、とても良くないことですよ」
それから二日、ライマーはいい手がないか悩んだ。普段、戦いのことを考えている頭を、どうにかこうにか恋愛に切り替え、建設的な道筋を考え抜いたのだ。
そして。
再び、夜に会いに行った。
この時間が、一番彼女の手の空いている時間だからだ。
「また、貴方ですか」
神官に困った顔をされる。そんな男の後ろで、ノルディが恥ずかしそうに、でも少し嬉しそうにこちらを見ている。蜜蜂の黒い瞳を、燭台の灯りに煌かせているのだ。
「いえ、今日は神官殿にもご相談があります」
ふーっと息を吐いて、ライマーは肩の力を抜いた。
「私(わたくし)ライマー=トットは、そちらのお嬢さんに婚姻を申し込みたいのですが、彼女にはご両親がいらっしゃらないとのこと。どちらに結婚のお許しを得れば良いのでしょうか?」
黒い瞳が、ゆっくりゆっくりと大きく見開かれていくのを、彼はうっとりしながら見つめていた。
「それは……」
神官は、彼の突然の言葉に驚いたように、ノルディの方を振り返る。彼女は、どうしたらいいか分からないと、戸惑った顔を神官とライマーに向けるのだ。
「ノル……良かったら私のお嫁さんになってくれないかな。贅沢は、させられないと思うんだけど、慎ましやかに暮らしていくくらいは、何とかなると思うんだ」
そんな彼女が愛しくて、ライマーは自分の表情がにこにこと崩れていくのが分かった。
「え……あの……」
頬を差す赤みも、目を合わせられずに伏せられるまつげも、どれもこれも彼にとってはたまらなく可愛らしい様子だった。
「私が、ここでのビーネの後見人です。彼女の遠い親戚ですから……しかし」
「そうですか、では神官殿。未婚女性を夜に連れ出すことは、確かに私も良くないことだと思いました。ですので、婚姻という形で、彼女を私にいただけないでしょうか?」
生まれてこの方、これほど熱心に他人を欲しいと乞うたことは、ライマーにはない。恋に愚鈍と呼ばれた男が、重い腰をあげて頑張っているのだ。
「ビーネ……いや、ノルディ」
神官は、戸惑いの表情をゆっくりと変え、蜂蜜色の髪の少女の方へと向き直った。
「お前は、これからどうしたいのかね? この人に限らず、いい人がいるのならば、結婚してもいいのだよ。庭師のハンスも、息子の嫁にもらってやってもいいと、昨日言ってくれていたし、そろそろ考えてもいいんじゃないかね」
庭師のハンスさん、やめてくださいね。
神官の言葉に、声にはならない制止の声を、ライマーはあげてしまった。
『もらってやっても』なんて人に、どうしてノルディをあげなければならないのか。ライマーこそが、彼女を嫁に『もらいたくてしょうがない』男なのに。
「どうしたらいいのか、よく分からないのです、おじさま。私は愚かなのでしょうか?」
「乞われてお嫁に行くのは、悪いことではないよ。きっと大事にしてもらえるだろう。それに……」
ふと、神官は言葉を切った。
「それに……お前がお嫁に行けば、また誰か身寄りのない者を、ここの小間使いとして雇ってあげることが出来るのだよ」
その言葉に、ライマーはありがたいことだと、視線を下げて感謝を表した。
神官は、ライマー=トットに、いま婚姻の許可を出したのだ。
ノルディが神殿から離れやすいような言葉を選び、彼の方へと背を押し出したのである。
「私のような……そうですね、あの時、おじさまに食べさせていただいたスープの味は、いまでも忘れていません。枯れ木のようなやせた身体が、本当に生き返りました」
彼女の瞳が、しばしの間だけ過去に飛んだ。
そして、まばたきと共にゆっくりと今に戻ってくる。
「そろそろ、新しい誰かに代わらなければなりませんね」
「ええ、それがきっと神の思し召しなのでしょう」
二人の視線が、ライマーの方に向かうのを、彼は静かに待っていた。
とくんと、胸が鳴る。
いまひとつ冴えないライマー=トットのまま、少年のように胸を高鳴らせて、ノルディの次の言葉を待つのだ。
「こんな私で……よろしいでしょうか?」
はにかみながらおずおずと出されたその言葉のせいで、ライマーともあろう男が、彼女をぎゅっとかき抱きたい衝動にかられた。
勿論、神官の前でそんなことは出来ず、彼はぐぐっと我慢する。
「あなたでなくては駄目なんだよ……ノルディ」
彼は、最後の名をとても小さく呼んだので──教会の外の世界にいる、「のんだくれ(ノーディ)」たちが耳をひくつかせることは、きっとなかっただろう。
※
「今度の祭日に、結婚することになりました」
「ふごぉっ!」
アダー上級大佐が、何か変なものを吹いた。
何も飲食していなかったのに、口元をへたくそな刺繍のハンカチで拭っている。勿論、娘さんからの大事な贈り物である。
「今度の祭日かよ、トット中……ああ、もう大佐だったな。昇進祝いと同時に養蜂の仕事も始めるとは、お前さんは本当に働き者だな」
ライマーが追い回していたのが、蜂(ビーネ)であることは、彼にも知られているせいで、結婚は養蜂と評されてしまった。
「つきましては、アダー上級大佐とそのご家族に式に参列していただければと思いまして」
結婚式と言っても、ノルディの働いている神殿で、内輪だけの小さな式を挙げる予定だった。
いい加減な父親と、義母に弟。そして、後で生まれた妹。
ワルター中将一家に、アダー上級大佐一家。あとは、階級こそ上下はあるが、同じ平民出身の軍人仲間を少々。
それが、ライマー側の出席者だ。
ノルディ側は、みな神殿関係者。
ライマーが最初にしたのは、家を手に入れること。いままでは、一人暮らしが面倒臭かったので、軍の宿舎で暮らしていたが、結婚するとなればそうはいかない。
慌てて、軍舎からそう遠くないこじんまりした家を、いい加減な父の紹介で安く買うことが出来た。
家具は、父が見繕ってくれた。多少、ちぐはぐ感があるのは、統一感より安さを求めた父の性格がよく出ている。義母は、不満そうにそれを眺めていたが。
「ライマーさん、花嫁さんのドレスはどうなさるの?」
義母にそう聞かれて、「はあ、神殿でヴェールは借りるつもりですが」と答えたら、「何ですって!?」烈火のごとく目をつり上げられた。
とりあえず、どんな人でも等しく結婚式を挙げられるよう、神殿ではヴェールの貸し出しを行っているのだ。
「ああもう殿方というものは、何と女心の分からないものなんでしょうね。そんな式を挙げさせたと分かったら、私が気の利かない意地の悪い継母(ままはは)だと思われるではありませんか。あなた、あなた!」
そこからは、恐ろしくてライマーは義母に話しかけることさえ出来なかった。父親に、厳しく指示を出すや義母は、10歳の妹の手を引きずるように、神殿のノルディの元へと出かけてしまったのである。
「兄さん……母さんは、いつもは、ああじゃないんだよ……」
母親の豹変に驚きながらも、14歳の弟がぼそりと母を擁護した。
ライマーと義母の血がつながっていないことを知っている弟は、微妙な年頃のせいか、家族の関係がグラつくのを怖がっているように見える。
自分が生まれたために、ライマーが父の後を継げなくなったとでも思っているのだろうか。
「いやまあうん……分かってるよ。私があんまりに気が利かないから、お義母さんに迷惑をかけてしまってるだけさ」
母親に似た弟の黒髪をクシャっと撫で、ライマーは笑ってみせた。