マユツバ
3
フロントガラスの上で屈み、窓から手を差し出すキツネ。長い前髪でどんな表情なのか分からない上、頭に亀を乗せている。
「おいで」
戸惑う手を取られた。他のキツネより丁寧な扱いだけど、彼の指先に感情は無い。誰かに言われたから、こうしてるだけなんだろう。
「玄武殿、鴉の界隈で勝手にされたら困ります。修理代を請求しますよ?」
「……」
玄武は手を繋いだまま、男を伺う。わたしは玄武の頭の上の亀を伺う。
「好き勝手をしてるのは鴉の方じゃん? 姫様の娘や孫を強引に拐ったりして」
亀が喋った。そして、わたしにウィンクしてくる。どうやら任せておけとの合図みたいだ。で、玄武は無言。
「確か、九尾のキツネ様にお子様はいらっしゃらないのでは? キツネの掟を破った裏切り者と身内関係であったとは聞いていますが」
男は玄武と話しているつもりだが、会話相手は亀だ、亀。玄武は未だ無言。
「とにかくこの子はキツネの里に連れていくの」
「待って! ここにはママが居る! 置いて帰れないよ」
遮ったのは、わたし。すると玄武がやっと口を開く。
「欲張り、よくない。一度に二つは手に入らない」
白虎や朱雀に比べれば地味だが、質の良い着物であるのは確かだ。袂をごそごそ探ると玉が出てきた。
「じゃ、そういう事で」
「は?」
玉から煙が上がっており、危険を察知した男はすぐさま距離を取る。わたしもそれに続こうとしたが、玄武に抱え込まれる。
「マユユは駄目。里に行く」
ひょいと玉を放り投げ、大きな音と共に空へ六芒星が描かれた。花火みたい。降りかかる粉は蒼い色で、その粉が体に付くと軽くなって、ふわふわ浮き出す。
水中で感じるのとは違う、体が浮く感覚にわたしは怖くて目を閉じた。
□
「マユ様、マユ様」
誰かがわたしを呼んでいる。
「死んだんじゃないか? ていう訳で、九尾は俺が継ぐ!」
あ、この意地悪な物言いは白虎。
「ねぇねぇ、こうして眠ってたら可愛いかも。起きてる時より、ずっといい」
失礼な言い方は朱雀。
「マユユ」
わたしに聞きなれないアダ名を付けたのが玄武だ。
「……ああ、キツネって、ろくなのが居ないのね!」
怒りで勢いをつけ、わたしは起き上がる。と、鴉の街の時とは違い、布団に寝かされていた。
「今の発言が寝言であるのを祈るよ」
まず朱雀と目が合う。
畳の香りがする和室はかなり広く、部屋の中央に布団が敷かれている。襖に寄り掛かり此方を睨む朱雀、障子に穴を空け外の様子を眺める白虎、玄武に至っては何故かわたしの隣で寝転んでいた。
「マユ様」
一周、見回した後で最初に聞いた声がする。
「もしかして、イズナ?」
布団から出て、声のする方に向かおうとする。するとその歩みを玄武が転がりながら付いてきて、咎めた。
「忘却の青龍の名前は、駄目」
「忘却の青龍?」
疑問に答えるのは朱雀。
「君が口にした名はこの里では禁句って事。ちなみに君の母親の名も、ね」
「名前ぐらいで何だよ、ちっちぇーな。青キツネはある意味で被害者じゃねぇか」
続く白虎。それぞれ、わたしに近付いてくる。
「白虎、ボクは君のその無神経さが信じられないよ」
「長たる者、慈愛は必要だろ?」
「慈愛? まさか君からそんな言葉が出てくるなんてね! 大体、九尾が妙な慈愛の精神を持ち出すから、こんな状況に陥ってるんだよ!」
わたしを挟み、白虎と朱雀が言い合う。彼等は地味に玄武を踏んでいる。
(マユ様、そこから逃げて下さい。私が必ず、あの方を助けます)
今度は頭に響いてくる、イズナの声。
(マユ様、口に出さず思われるだけで、話が出来ますよ)
(……本当?)
(えぇ、マユ様が私の言葉を疑っているのが、よく分かります)
良かった。いつものイズナだ。
(イズナ、無事なのよね?)
(はい、大丈夫です。申し訳ありませんでした。術の途中で、鴉に妨害されてしまい……)
(いいの、それよりお祖母ちゃんが――)
「誰とお話されてるんですか?」
「へっ?」
わたしはイズナと会話しているうち、無意識で歩き回っていたらしい。正面の襖が急に開いたかと思えば、見知った顔が立っていた。
「おいで」
戸惑う手を取られた。他のキツネより丁寧な扱いだけど、彼の指先に感情は無い。誰かに言われたから、こうしてるだけなんだろう。
「玄武殿、鴉の界隈で勝手にされたら困ります。修理代を請求しますよ?」
「……」
玄武は手を繋いだまま、男を伺う。わたしは玄武の頭の上の亀を伺う。
「好き勝手をしてるのは鴉の方じゃん? 姫様の娘や孫を強引に拐ったりして」
亀が喋った。そして、わたしにウィンクしてくる。どうやら任せておけとの合図みたいだ。で、玄武は無言。
「確か、九尾のキツネ様にお子様はいらっしゃらないのでは? キツネの掟を破った裏切り者と身内関係であったとは聞いていますが」
男は玄武と話しているつもりだが、会話相手は亀だ、亀。玄武は未だ無言。
「とにかくこの子はキツネの里に連れていくの」
「待って! ここにはママが居る! 置いて帰れないよ」
遮ったのは、わたし。すると玄武がやっと口を開く。
「欲張り、よくない。一度に二つは手に入らない」
白虎や朱雀に比べれば地味だが、質の良い着物であるのは確かだ。袂をごそごそ探ると玉が出てきた。
「じゃ、そういう事で」
「は?」
玉から煙が上がっており、危険を察知した男はすぐさま距離を取る。わたしもそれに続こうとしたが、玄武に抱え込まれる。
「マユユは駄目。里に行く」
ひょいと玉を放り投げ、大きな音と共に空へ六芒星が描かれた。花火みたい。降りかかる粉は蒼い色で、その粉が体に付くと軽くなって、ふわふわ浮き出す。
水中で感じるのとは違う、体が浮く感覚にわたしは怖くて目を閉じた。
□
「マユ様、マユ様」
誰かがわたしを呼んでいる。
「死んだんじゃないか? ていう訳で、九尾は俺が継ぐ!」
あ、この意地悪な物言いは白虎。
「ねぇねぇ、こうして眠ってたら可愛いかも。起きてる時より、ずっといい」
失礼な言い方は朱雀。
「マユユ」
わたしに聞きなれないアダ名を付けたのが玄武だ。
「……ああ、キツネって、ろくなのが居ないのね!」
怒りで勢いをつけ、わたしは起き上がる。と、鴉の街の時とは違い、布団に寝かされていた。
「今の発言が寝言であるのを祈るよ」
まず朱雀と目が合う。
畳の香りがする和室はかなり広く、部屋の中央に布団が敷かれている。襖に寄り掛かり此方を睨む朱雀、障子に穴を空け外の様子を眺める白虎、玄武に至っては何故かわたしの隣で寝転んでいた。
「マユ様」
一周、見回した後で最初に聞いた声がする。
「もしかして、イズナ?」
布団から出て、声のする方に向かおうとする。するとその歩みを玄武が転がりながら付いてきて、咎めた。
「忘却の青龍の名前は、駄目」
「忘却の青龍?」
疑問に答えるのは朱雀。
「君が口にした名はこの里では禁句って事。ちなみに君の母親の名も、ね」
「名前ぐらいで何だよ、ちっちぇーな。青キツネはある意味で被害者じゃねぇか」
続く白虎。それぞれ、わたしに近付いてくる。
「白虎、ボクは君のその無神経さが信じられないよ」
「長たる者、慈愛は必要だろ?」
「慈愛? まさか君からそんな言葉が出てくるなんてね! 大体、九尾が妙な慈愛の精神を持ち出すから、こんな状況に陥ってるんだよ!」
わたしを挟み、白虎と朱雀が言い合う。彼等は地味に玄武を踏んでいる。
(マユ様、そこから逃げて下さい。私が必ず、あの方を助けます)
今度は頭に響いてくる、イズナの声。
(マユ様、口に出さず思われるだけで、話が出来ますよ)
(……本当?)
(えぇ、マユ様が私の言葉を疑っているのが、よく分かります)
良かった。いつものイズナだ。
(イズナ、無事なのよね?)
(はい、大丈夫です。申し訳ありませんでした。術の途中で、鴉に妨害されてしまい……)
(いいの、それよりお祖母ちゃんが――)
「誰とお話されてるんですか?」
「へっ?」
わたしはイズナと会話しているうち、無意識で歩き回っていたらしい。正面の襖が急に開いたかと思えば、見知った顔が立っていた。