マユツバ
忘却の青龍、追憶の兄弟
1
イズナはわたしが知っている限り、いつも眼鏡を掛けていた。青みがかった瞳にコンプレックスを抱き、わたしがキレイだと言うと眼鏡の縁に触れる。
「そんな風に見詰められたら、マユ様に嘘が付き難くなります」
って。これもわたしが知っている限りだけど、イズナは沢山の嘘をこれまで付いてきた。
けれど、それらの嘘は指摘するものじゃない。むしろ、見逃さなければわたしが苦しくなる事ばかりだったんだ。
「イズナ? じゃないよね?」
彼はイズナに似てはいるけど違う。呼び掛けると、やっぱりかぶりを振られた。
「いいえ、マユ様。オレは忘却の青龍ではありません」
そして困った顔をされる。確かに。イズナならこんな露骨な表情を見せない。じゃあ、彼は誰だという疑問の答えは背後からやってくる。
「これはこれは青龍殿、随分とお早い事で」
朱雀の声。青龍と呼ばれたキツネは先ずわたしをエスコートし、それから片膝をつく。
「召集に遅れてしまい、申し訳ありません。蛇共に時間を取られまして」
「は? またかよ、しっかりしろよな。お前、舐められてるんじゃねぇの? こうも頻繁にちょっかい出されやがって」
白虎は腕組みし、青龍を爪先から値踏みする。青龍の出で立ちは焦げ臭く、着物の所々が破れていた。結果、見積もりは渋い。豪快な舌打ちが青龍の額をあげる。
「あ、血が――」
「お止めください。オレに触れないで」
ぽたり、血が畳へ飛ぶ。行き場を無くしたハンカチを朱雀が茶化す。
「例え半妖でも、九尾の血に優しくされると、胸が騒ぐかい? 青龍」
「いえ、その様な事はございません。マユ様のお手を汚す訳には参りませんので」
「ふーん、だって」
わたしを見る朱雀。
「何が言いたいの?」
「おい、半妖! 言葉には気を付けろよ? 本来、俺等はお前みたいなもんが口を聞ける相手じゃねぇんだよ!」
白虎が割り込み、怒鳴る。
わたしは自分の存在ごと噛み砕き兼ねない大きな声に、萎縮してしまう。
「でもさ、姫様が眠っちゃった今はマユユが九尾の名代なんだよ」
「そう言えば、姫様は?」
「鴉の街に無理して乗り込んで、妖力を吸い取られちゃったみたい。今は森で眠ってる」
「お祖母ちゃんは無事? 無事なのね?」
わたしは青龍の隣に両膝を折り、玄武の肩を揺らす。と、長い髪の中から亀が出てきた。
「ちょ、ちょっと落ち着きなよ。姫様は死んでいないかと言えばそうだけど、無事かと言ったら、そうじゃない」
「どういう事?」
亀はのそのそと、わたしの前へ。ぐ、と首を伸ばして語る。
「里は九尾の妖力で護られている部分が多い。九尾が眠りについた今、里を護る結界が弱まったとも言える。青龍の領地がさっそく狙われたのも、その為かもしれない」
「おい、亀。青龍の領地が狙われるのは今に始まった事じゃねぇだろ? 力が弱い奴が青龍の名を継いじまったからだ」
「――正確には、継がねばならなかった、だけどね」
朱雀がまたわたしを意味深に伺う。
「……だから、何が仰りたいんですか? 朱雀様」
「イズナ。君はさっき、そう口走ったね? 彼は里に戻ってるのかい?」
「お止めください! 朱雀様!」
青龍が勢い良く立ち上がり、わたしと亀は尻餅をつく。
「――イズナは裏切りの名でございます。その名を耳にすると、安らかな最期を迎えられなかった母上の顔が過るのです」
「あはは、ごめんごめん。悪気は無いんだよ? もし忘却の青龍が里にのこのこ戻っているなら、君や断罪された君の母君の為にも、ボクが討ち取ってやろうと思っただけなんだ」
それはありがとうございます、青龍は力なく言葉を添える。
(イズナ)
もう一回、心の中で語り掛けても、返事は返って来ない。
場には沈黙と血が流れる。わたしはハンカチを握り締め、鴉の男に言われた言葉を反芻した。
段々、怒りが込み上げてくる。
「……何よ、人の事をバカにして!」
「マユユ?」
ひっくり返り、足掻く亀を起き上がらせてから、わたしは立ち上がった。
「何が四方のキツネよ! じゃらじゃら着飾ったって、中身は空っぽじゃないの!」
最初に派手な赤い羽を背負った朱雀を睨む。何よ、無駄に胸元を広げちゃって。健康的に焼いた肌を見せ付けたいだけじゃない。
「口を開けば後継の話ばっかり! 大体、自分の事しか考えられないのに、お祖母ちゃんみたいになれるはずないじゃないの! そういう独裁って絶対永くは続かないんだから!」
次は人の事を認められない器が小さい、態度は大きいキツネを指差す。
「それにあなたも! こんな奴等に言いたい放題されて、どうして黙ってるの? わたしの知っているあなたに似ている人なら黙ってなんかない!」
傷口にハンカチを押しやると、すぐさま染まる。でも、怪我をしても痛がらない所はイズナに似ていた。
「お祖母ちゃんが可哀想。ママだって、こんなキツネに囲まれてたなら、逃げ出したくもなる!」
言いながら泣けてくる。言っても言っても言い足らない気持ちが、胸を締め付ける。
なんだか、凄く息苦しい。気付けば、はぁはぁ、と口に出して呼吸していた。
「マユユ?」
玄武の冷たい手が背を撫でてくれても、治まらない。今まで感じた事のない乾きにわたしは襲われている。
どうして良いか分からず噛んだ唇から血が滲み、その鉄臭さが――美味しい。
いや、美味しいって何。
怒りに思考まで沸騰してしまったのか、自分の感覚が疑わしい。涙も止まらない。
(イズナ、ねぇイズナ、助けてよ、苦しいよ)
「マユ様!」
急に足に力が入らなくなり、他人事のみたいに、わたしはこのまま倒れるんだと思った。
四方のキツネが呆気にとられる中、懐かしい腕がわたしに差し伸べられる。
あの腕にすがりたい。でも届かない。あと少し、あと少し、わたしの手が長かったら。
「銀色の狐火……」
意識が途切れる前の一瞬、わたしは自分から銀色の炎が出ているの見た。
「そんな風に見詰められたら、マユ様に嘘が付き難くなります」
って。これもわたしが知っている限りだけど、イズナは沢山の嘘をこれまで付いてきた。
けれど、それらの嘘は指摘するものじゃない。むしろ、見逃さなければわたしが苦しくなる事ばかりだったんだ。
「イズナ? じゃないよね?」
彼はイズナに似てはいるけど違う。呼び掛けると、やっぱりかぶりを振られた。
「いいえ、マユ様。オレは忘却の青龍ではありません」
そして困った顔をされる。確かに。イズナならこんな露骨な表情を見せない。じゃあ、彼は誰だという疑問の答えは背後からやってくる。
「これはこれは青龍殿、随分とお早い事で」
朱雀の声。青龍と呼ばれたキツネは先ずわたしをエスコートし、それから片膝をつく。
「召集に遅れてしまい、申し訳ありません。蛇共に時間を取られまして」
「は? またかよ、しっかりしろよな。お前、舐められてるんじゃねぇの? こうも頻繁にちょっかい出されやがって」
白虎は腕組みし、青龍を爪先から値踏みする。青龍の出で立ちは焦げ臭く、着物の所々が破れていた。結果、見積もりは渋い。豪快な舌打ちが青龍の額をあげる。
「あ、血が――」
「お止めください。オレに触れないで」
ぽたり、血が畳へ飛ぶ。行き場を無くしたハンカチを朱雀が茶化す。
「例え半妖でも、九尾の血に優しくされると、胸が騒ぐかい? 青龍」
「いえ、その様な事はございません。マユ様のお手を汚す訳には参りませんので」
「ふーん、だって」
わたしを見る朱雀。
「何が言いたいの?」
「おい、半妖! 言葉には気を付けろよ? 本来、俺等はお前みたいなもんが口を聞ける相手じゃねぇんだよ!」
白虎が割り込み、怒鳴る。
わたしは自分の存在ごと噛み砕き兼ねない大きな声に、萎縮してしまう。
「でもさ、姫様が眠っちゃった今はマユユが九尾の名代なんだよ」
「そう言えば、姫様は?」
「鴉の街に無理して乗り込んで、妖力を吸い取られちゃったみたい。今は森で眠ってる」
「お祖母ちゃんは無事? 無事なのね?」
わたしは青龍の隣に両膝を折り、玄武の肩を揺らす。と、長い髪の中から亀が出てきた。
「ちょ、ちょっと落ち着きなよ。姫様は死んでいないかと言えばそうだけど、無事かと言ったら、そうじゃない」
「どういう事?」
亀はのそのそと、わたしの前へ。ぐ、と首を伸ばして語る。
「里は九尾の妖力で護られている部分が多い。九尾が眠りについた今、里を護る結界が弱まったとも言える。青龍の領地がさっそく狙われたのも、その為かもしれない」
「おい、亀。青龍の領地が狙われるのは今に始まった事じゃねぇだろ? 力が弱い奴が青龍の名を継いじまったからだ」
「――正確には、継がねばならなかった、だけどね」
朱雀がまたわたしを意味深に伺う。
「……だから、何が仰りたいんですか? 朱雀様」
「イズナ。君はさっき、そう口走ったね? 彼は里に戻ってるのかい?」
「お止めください! 朱雀様!」
青龍が勢い良く立ち上がり、わたしと亀は尻餅をつく。
「――イズナは裏切りの名でございます。その名を耳にすると、安らかな最期を迎えられなかった母上の顔が過るのです」
「あはは、ごめんごめん。悪気は無いんだよ? もし忘却の青龍が里にのこのこ戻っているなら、君や断罪された君の母君の為にも、ボクが討ち取ってやろうと思っただけなんだ」
それはありがとうございます、青龍は力なく言葉を添える。
(イズナ)
もう一回、心の中で語り掛けても、返事は返って来ない。
場には沈黙と血が流れる。わたしはハンカチを握り締め、鴉の男に言われた言葉を反芻した。
段々、怒りが込み上げてくる。
「……何よ、人の事をバカにして!」
「マユユ?」
ひっくり返り、足掻く亀を起き上がらせてから、わたしは立ち上がった。
「何が四方のキツネよ! じゃらじゃら着飾ったって、中身は空っぽじゃないの!」
最初に派手な赤い羽を背負った朱雀を睨む。何よ、無駄に胸元を広げちゃって。健康的に焼いた肌を見せ付けたいだけじゃない。
「口を開けば後継の話ばっかり! 大体、自分の事しか考えられないのに、お祖母ちゃんみたいになれるはずないじゃないの! そういう独裁って絶対永くは続かないんだから!」
次は人の事を認められない器が小さい、態度は大きいキツネを指差す。
「それにあなたも! こんな奴等に言いたい放題されて、どうして黙ってるの? わたしの知っているあなたに似ている人なら黙ってなんかない!」
傷口にハンカチを押しやると、すぐさま染まる。でも、怪我をしても痛がらない所はイズナに似ていた。
「お祖母ちゃんが可哀想。ママだって、こんなキツネに囲まれてたなら、逃げ出したくもなる!」
言いながら泣けてくる。言っても言っても言い足らない気持ちが、胸を締め付ける。
なんだか、凄く息苦しい。気付けば、はぁはぁ、と口に出して呼吸していた。
「マユユ?」
玄武の冷たい手が背を撫でてくれても、治まらない。今まで感じた事のない乾きにわたしは襲われている。
どうして良いか分からず噛んだ唇から血が滲み、その鉄臭さが――美味しい。
いや、美味しいって何。
怒りに思考まで沸騰してしまったのか、自分の感覚が疑わしい。涙も止まらない。
(イズナ、ねぇイズナ、助けてよ、苦しいよ)
「マユ様!」
急に足に力が入らなくなり、他人事のみたいに、わたしはこのまま倒れるんだと思った。
四方のキツネが呆気にとられる中、懐かしい腕がわたしに差し伸べられる。
あの腕にすがりたい。でも届かない。あと少し、あと少し、わたしの手が長かったら。
「銀色の狐火……」
意識が途切れる前の一瞬、わたしは自分から銀色の炎が出ているの見た。