マユツバ
2
九尾のキツネには膝まずく男が良く似合う。
男達はみんな着物の裾でもいいから口付けしたくて 、九尾に乞う。
けれど九尾はつれなくて。
赤い着物は情炎。どうせ焼かれるなら狂おしく。
夢の中で、わたしは歌い、毬をついていた。どうしてこれが夢だと分かるかと言えば、ここには今のわたしと幼いわたしが存在しているから。
小学校に上がるまで、わたしは一人遊びが好きな子だった。みんなが好んでするお化粧ごっこの臭いが受け付けられなかったんだ。
かと言って、男の子とばかり遊んだら女の子達に悪く言われてしまう。結果、あぁして毬を一人でつく方が平和でいい。アニメの魔法少女に憧れながら、そんな寂しい処世術ばかり唱えていた。
ママは友達に溶け込めないわたしを責めも慰めもせず、おいなりさんを作っては近所の神社まで持ってきてくれる。
お祖母ちゃんが森へ越してくるまで、神社がわたしの一番のお気に入り。出掛ける際は神社でみんなと遊ぶと言うのに、おいなりさんはいつも二人分。余すことなくきちんと用意された。
境内の一角へブルーシートを敷き、ママと並ぶ。ギンガムチェックを開けば、大好きなおいなりさんが詰まっている。赤い鳥居を見上げ頬張ると甘酸っぱさが広がって、美味しいねと微笑みあう。
狐を祀ったこの神社では、春になれば桜が咲き、秋になれば紅葉が楽しめる。夢の中は真夏で蝉がけたたましく鳴く。わたしは汗をかいた麦茶を飲みながら、ママにパパとの話をせがむんだ。
ママは胸張ってパパが好きだと語り、わたしはそんなママが誇らしかった。
「ごめんね、ママ」
十六才のわたしは木の影に隠れ、償う。
鴉に拐われてしまったママを助けてあげられず、お祖母ちゃんは体調を崩してしまった。全部、わたしのせいだ。昔からそう。泣き虫で、意地っ張りで、わたしは何も出来ないじゃないか。
「貴女がマユ様ですね?」
泣いているうち、夢は夏から冬に移り変わった様だ。冬になろうと、やっぱりわたしは毬を付いて白い息を吐いている。
「マユ様ですね」
その日も変わらないはずだった。けれどわたしの影から現れたキツネが、変化をもたらす事になったのだ。
――覚えてる、これはイズナとの出逢い。
「あなたは誰? パパのお友達?」
この頃、男性が全てパパの知り合いと勘違いしていたのは、社長の一人娘として会社関係の人達に良くされたからだ。お誕生会をやれば彼等がこぞって参加し、プレゼントをくれる。
でも毎年毎年、プレゼントの包みを開く度、わたしはとても寂しい気持ちを味わう。人気のあるおもちゃって大抵は誰かと一緒じゃなきゃ遊べないものが多いから。
それでも子供ながらに貰ったなら使わなきゃと考え、とりあえず神社に持ち込んではいた。
イズナはそのひとつを手に取り、無表情でこう言った。
「マユ様、私と遊びましょう」
たとえ誘われた相手に尾が生え、キツネ耳があろうと構わなかった。
「いいわよ! どうしてもって言うなら、あなたと遊んであげる」
本当は飛び上がる位、はしゃぎたかったのに。わたしはあえて考える間をとって、言ったんだ。
「ありがとうございます、マユ様」
そして、イズナはちっとも有り難そうじゃない。
ねぇ、イズナ。わたし達、あれからちっとも変わらないね。
□
目を開けると、イズナが無表情でわたしを見下ろしていた。
「気が付かれましたか? マユ様」
「イズナ、あなた何て顔をしてるの?」
「マユ様が心配でこんな顔になってしまいました」
ハンカチを探そうとしたが、二枚とも使ってしまったのを思い出す。手を服で拭った後、傷へ手を伸ばす。
「痛い?」
「いえ、大丈夫です」
「フレームが曲がちゃってるけど?」
「じゃあ、向こうに帰れたら眼鏡屋に付き合って下さい」
帰れたら、と引っ掛かりを作るイズナの視線を追いかけると、青龍が遠くからこちらを眺めていた。わたしと目が合って大きく見開く。
「青龍様?」
起き上がるのをイズナが手伝ってくれるが、身体はもう苦しくない。添えられた手に大丈夫と伝えても離さない。
「マユ様、オレに様付けは不要です。どうぞ、青龍とお呼びください」
柱に寄り掛かった姿勢を正し、その場で膝をつく。
「オレを含めた四方のキツネは、マユ様が後継の資格をお持ちであるのは拝見しましたので……」
「ので?」
そう言えば、室内には他のキツネが居ない。それに心なしか辺りが青い。
「九尾のキツネになるべく修行をして頂こうと思った矢先、そこの裏切り者が現れたのです」
「マユ様だけをお連れしようとしたのですが、彼には術が効かなかったみたいです」
「黙れ! 裏切り者が! そもそも貴様に青龍の術を扱う資格などないはずだ!」
イズナの傷は青龍によって付けられたのだろう。険悪な二人の空気で察する。
「術を解き、マユ様を解放しろ」
「それは出来ないとさっきから言っている。流石に四匹の相手は辛い」
「は! そんな心配は不要だ。貴様を殺すのに四方の力など借りない」
青い炎が膨れ上がり、青龍を包む。
「あれから我が一族がどんな目に遭わされたか知っているか? 母がどんな気持ちで死んでいったのか、イズナ! 貴様に分かるか?」
ゆっくりこちらへ向かってくる。その一歩、一歩が踏み出される度、周囲をきな臭くさせ、言葉ひとつ間違えたらそこに着火されそう。わたしは黙るしかない。
「もう一度、言う。術を解き、皆に詫びながら朽ちろ! それが貴様の出来る唯一の償いだ」
違うか、と青みがかった瞳が問う。
「青龍、私も繰り返そう。それでも私はあの方を逃した事を後悔しない」
それは違う、青みがかった瞳が跳ね返す。イズナは同じ色の炎を纏い、臆せず答えてみせた。わたしを支えていた手が目的を変えて鋭くなっていく。誰かを傷付ける形になる。
「マユ様、布団から出ないで下さいね」
「ちょっと待って、イズナ! 青龍はあなたの――」
言い掛ける唇に人差し指が押し付けられ、それから眉をなぞられた。
「マユツバ?」
「あぁ、御存じでしたか? そうですよ、マユツバ、マユツバ。彼と私はマユ様の考えているような関係ではありませんよ」
「でも」
既に青龍は臨戦態勢を取り、イズナが布団から出てくるのを待っている。
「空似ですよ」
イズナは立ち上がりながら呟く。髪で表情を隠し、どんな顔してそう言ったのかを想像させる。やっぱりな無表情なのだろうか。ううん、今回ばかりは違うかもしれない。だって、イズナの前には鏡がある。
――青龍は身を切られるみたいな顔で、イズナを見据えていた。
男達はみんな着物の裾でもいいから口付けしたくて 、九尾に乞う。
けれど九尾はつれなくて。
赤い着物は情炎。どうせ焼かれるなら狂おしく。
夢の中で、わたしは歌い、毬をついていた。どうしてこれが夢だと分かるかと言えば、ここには今のわたしと幼いわたしが存在しているから。
小学校に上がるまで、わたしは一人遊びが好きな子だった。みんなが好んでするお化粧ごっこの臭いが受け付けられなかったんだ。
かと言って、男の子とばかり遊んだら女の子達に悪く言われてしまう。結果、あぁして毬を一人でつく方が平和でいい。アニメの魔法少女に憧れながら、そんな寂しい処世術ばかり唱えていた。
ママは友達に溶け込めないわたしを責めも慰めもせず、おいなりさんを作っては近所の神社まで持ってきてくれる。
お祖母ちゃんが森へ越してくるまで、神社がわたしの一番のお気に入り。出掛ける際は神社でみんなと遊ぶと言うのに、おいなりさんはいつも二人分。余すことなくきちんと用意された。
境内の一角へブルーシートを敷き、ママと並ぶ。ギンガムチェックを開けば、大好きなおいなりさんが詰まっている。赤い鳥居を見上げ頬張ると甘酸っぱさが広がって、美味しいねと微笑みあう。
狐を祀ったこの神社では、春になれば桜が咲き、秋になれば紅葉が楽しめる。夢の中は真夏で蝉がけたたましく鳴く。わたしは汗をかいた麦茶を飲みながら、ママにパパとの話をせがむんだ。
ママは胸張ってパパが好きだと語り、わたしはそんなママが誇らしかった。
「ごめんね、ママ」
十六才のわたしは木の影に隠れ、償う。
鴉に拐われてしまったママを助けてあげられず、お祖母ちゃんは体調を崩してしまった。全部、わたしのせいだ。昔からそう。泣き虫で、意地っ張りで、わたしは何も出来ないじゃないか。
「貴女がマユ様ですね?」
泣いているうち、夢は夏から冬に移り変わった様だ。冬になろうと、やっぱりわたしは毬を付いて白い息を吐いている。
「マユ様ですね」
その日も変わらないはずだった。けれどわたしの影から現れたキツネが、変化をもたらす事になったのだ。
――覚えてる、これはイズナとの出逢い。
「あなたは誰? パパのお友達?」
この頃、男性が全てパパの知り合いと勘違いしていたのは、社長の一人娘として会社関係の人達に良くされたからだ。お誕生会をやれば彼等がこぞって参加し、プレゼントをくれる。
でも毎年毎年、プレゼントの包みを開く度、わたしはとても寂しい気持ちを味わう。人気のあるおもちゃって大抵は誰かと一緒じゃなきゃ遊べないものが多いから。
それでも子供ながらに貰ったなら使わなきゃと考え、とりあえず神社に持ち込んではいた。
イズナはそのひとつを手に取り、無表情でこう言った。
「マユ様、私と遊びましょう」
たとえ誘われた相手に尾が生え、キツネ耳があろうと構わなかった。
「いいわよ! どうしてもって言うなら、あなたと遊んであげる」
本当は飛び上がる位、はしゃぎたかったのに。わたしはあえて考える間をとって、言ったんだ。
「ありがとうございます、マユ様」
そして、イズナはちっとも有り難そうじゃない。
ねぇ、イズナ。わたし達、あれからちっとも変わらないね。
□
目を開けると、イズナが無表情でわたしを見下ろしていた。
「気が付かれましたか? マユ様」
「イズナ、あなた何て顔をしてるの?」
「マユ様が心配でこんな顔になってしまいました」
ハンカチを探そうとしたが、二枚とも使ってしまったのを思い出す。手を服で拭った後、傷へ手を伸ばす。
「痛い?」
「いえ、大丈夫です」
「フレームが曲がちゃってるけど?」
「じゃあ、向こうに帰れたら眼鏡屋に付き合って下さい」
帰れたら、と引っ掛かりを作るイズナの視線を追いかけると、青龍が遠くからこちらを眺めていた。わたしと目が合って大きく見開く。
「青龍様?」
起き上がるのをイズナが手伝ってくれるが、身体はもう苦しくない。添えられた手に大丈夫と伝えても離さない。
「マユ様、オレに様付けは不要です。どうぞ、青龍とお呼びください」
柱に寄り掛かった姿勢を正し、その場で膝をつく。
「オレを含めた四方のキツネは、マユ様が後継の資格をお持ちであるのは拝見しましたので……」
「ので?」
そう言えば、室内には他のキツネが居ない。それに心なしか辺りが青い。
「九尾のキツネになるべく修行をして頂こうと思った矢先、そこの裏切り者が現れたのです」
「マユ様だけをお連れしようとしたのですが、彼には術が効かなかったみたいです」
「黙れ! 裏切り者が! そもそも貴様に青龍の術を扱う資格などないはずだ!」
イズナの傷は青龍によって付けられたのだろう。険悪な二人の空気で察する。
「術を解き、マユ様を解放しろ」
「それは出来ないとさっきから言っている。流石に四匹の相手は辛い」
「は! そんな心配は不要だ。貴様を殺すのに四方の力など借りない」
青い炎が膨れ上がり、青龍を包む。
「あれから我が一族がどんな目に遭わされたか知っているか? 母がどんな気持ちで死んでいったのか、イズナ! 貴様に分かるか?」
ゆっくりこちらへ向かってくる。その一歩、一歩が踏み出される度、周囲をきな臭くさせ、言葉ひとつ間違えたらそこに着火されそう。わたしは黙るしかない。
「もう一度、言う。術を解き、皆に詫びながら朽ちろ! それが貴様の出来る唯一の償いだ」
違うか、と青みがかった瞳が問う。
「青龍、私も繰り返そう。それでも私はあの方を逃した事を後悔しない」
それは違う、青みがかった瞳が跳ね返す。イズナは同じ色の炎を纏い、臆せず答えてみせた。わたしを支えていた手が目的を変えて鋭くなっていく。誰かを傷付ける形になる。
「マユ様、布団から出ないで下さいね」
「ちょっと待って、イズナ! 青龍はあなたの――」
言い掛ける唇に人差し指が押し付けられ、それから眉をなぞられた。
「マユツバ?」
「あぁ、御存じでしたか? そうですよ、マユツバ、マユツバ。彼と私はマユ様の考えているような関係ではありませんよ」
「でも」
既に青龍は臨戦態勢を取り、イズナが布団から出てくるのを待っている。
「空似ですよ」
イズナは立ち上がりながら呟く。髪で表情を隠し、どんな顔してそう言ったのかを想像させる。やっぱりな無表情なのだろうか。ううん、今回ばかりは違うかもしれない。だって、イズナの前には鏡がある。
――青龍は身を切られるみたいな顔で、イズナを見据えていた。