マユツバ
マユユとカラクリ
1
額の中央がじんじんするけど、四方からの視線も痛い。
「……何か?」
無言の圧力をかけられ、わたしから切り出すと、すぐさま彼等は待っていたとばかりに口撃(こうげき)を開始する。
「何か? じゃなくてさ。よくもボク達の前で裏切り者と仲睦まじく出来るよね」
「み、見てたの?」
先ず、朱雀がデコピンしてきた。イズナ程の破壊力はないが、わたしは恥ずかしさでよろけてしまう。
「マユ様! ご無事ですか?」
青龍が朱雀を押し退け、座り込んでいるわたしと視線を揃える。
「青龍様、あなたも無事?」
「いえ、オレの事などどうでも。それより何もお忘れになられていませんよね?」
「え?」
肩を前後に揺らされ、整理しきらない頭の中に隙間があるのに気付く。けれどその名を口にすれば、青龍を始めみんなが良い顔をしないと覚えていた。
「あーやだやだ、銀色の狐火を見た途端、取り入るなんてよ。俺には真似が出来ねぇな」
言いながら、白虎がわたしの腕を背後から取って立たせた。
「でも、銀色の狐火を見た。銀色の狐火は九尾の印。九尾に従うのが四方のキツネ」
「ち、うっせーな、分かってるよ! だから、優しく起こしてやったんだろうが!」
額に続き、腕もじんじんしてくる。玄武は近い距離で怒鳴られても堪えず、隣に並ぶ青龍へ話し掛けた。
「忘却の青龍を討ち損なったね、残念」
「……申し訳ありません」
深々と頭を下げる青龍。わたしは居たたまれなくなり、彼の背に手を添えようとした。
すると、その手を朱雀が握る。
「ひょっとしてワザと? なんだかんだ言っても、血を分けた兄弟。情が邪魔したんじゃない?」
「朱雀殿! それは!」
弁明するため顔を上げた青龍だが、繋いだ手に眉をひそめる。朱雀はその様子を面白がり、指を絡ませてきた。わたし自身にはこれっぽっちも興味が無いくせ、朱雀の指先は探る真似をする
わたしはそれを振り払い、朱雀は真っ赤な舌をぺろり、と出した。
「この際、小さい事はもういいじゃねぇか! 忘却の青龍は俺が討つ、九尾も俺が継ぐ。これで丸く収まるだろう? な?」
丸いどころか、全く解決しない気がするのは、わたしだけだろうか。
「静まれー、静まれー、四方のキツネ」
玄武の頭上から場の収束を求める声――亀だ。
「全く。これじゃ姫様が安心してお休みになれない」
亀は玄武の顔の上を通って、肩へ乗り、それからわたしに飛び移ろうとしてきた。短い手足、首を精一杯伸ばされる。
「あ、あの」
「大丈夫、噛まない」
「いや、そういう問題じゃなくて」
仰け反ったのに玄武によって手渡されてしまった。手の上の亀はわたしを円らな瞳で仰ぐ。
「ああ、やはり姫様に似てる。大きくなったね、マユ様」
「あなた、わたしを知ってるの?」
「あぁ。よく姫様とマユ様の様子をみに人里へ行ったもの。運動会や発表会にも行ったよ」
長い睫毛が遠いわたしの記憶に瞬く。
「……もしかして亀の姿で?」
「あはは、流石に亀の姿じゃ不便だよ。あ、そっか、今日からお世話係になるし、こちらの方がいいかもね」
ぴょん、と手の平から落ちていく亀は紫の光に包まれ、着地した時には女性の姿へ変わっていた。女性はわたしを爪先から見上げるよう立ち上がり、ついにはわたしの背を越える。
「あたしは葛の葉(くずのは)。今日から、あたしがマユ様のお世話をさせて貰うよ」
腰まである長い黒髪を掻き上げ、葛の葉と名乗る女性は四方に告げる。さらさら舞う黒髪の向こう側、四方のキツネ達は言葉を失った。
「あははは、どうやら四方の坊っちゃん達には刺激が強すぎたかい? 姫様には敵わないが、あたしもなかなかだろう? どうだい?」
紫の裾を翻し、葛の葉はわたしへ微笑む。確かに。お祖母ちゃんに近い色香がある。
あの小さな亀がこんなに綺麗な女性に変わるなんて、開いた口が塞がらない。葛の葉はそんなわたしの顎を上げ口を閉じさせると、こう続けた。
「言っておくけどね、マユ様はあたしなんかより、ずっと美しくなるよ」
「え?」
「だって、マユ様はまだ恋をしていないだろ? 女はさ、本気の恋をした時が一番美しいものさ! あぁ、マユ様が本気の恋をしたら、どんなになるんだろうね? あたし、ぞくぞくしちゃうよ」
見悶える葛の葉。熱い息を小刻みに吐きながら肘を抱くと、胸の谷間が強調される。
ごくり、生唾を飲んだのは白虎。
「お前な、なんちゅー亀を頭に乗せてるんだよ!」
「亀は姫様が役に立つからって言って、くれた」
「あ? なら、どんな羨ましい使い方してんだよ? おい!」
詰め寄られながらも玄武は、葛の葉に聞く。
「葛の葉はマユユのになるんだ?」
「なんだい? 寂しがってくれるのかい? そりゃ嬉しいねぇ」
葛の葉は玄武を抱き締めようと両手を広げたが、彼は素通りした。
「あらあら、玄武の坊っちゃんはつれないわ」
「ふん、自分の物を取られるのが嫌なだけ」
早足でわたしの前へやって来て、袂をごそごそ漁り出すから、嫌な予感がする。
「これあげる。あんたが忘却の青龍と折り重なってた頃、暇だったから作った」
「お、お、お、折り重なってって!」
イズナが背を使い、わたしを庇っていたのを揶揄され、差し出された品より、その言い回しに突っ掛かる。
「わたしとイズナはそんなんじゃ――え?」
で、訂正しようと躍起な頭を冷やせと、何かを乗せられた。
「九尾が葛の葉をくれた時、役に立つからと言った。だから貰った」
「そ、そう」
「その耳はマユユの役に立つ」
「耳?」
言われて恐る恐る確かめてみる――言われた通り、三角の形をした耳が二つ、頭の上で並んでいた。もこもこした質感はいい。でもこれって。
「きゃー、可愛い!」
葛の葉が抱き締めてくる。
「玄武、あんたのカラクリは正直、役に立つ物は無いと思ってたけどさぁー、こりゃあいい!」
察するにお遊戯会などで使う動物耳が付いている様だ。
「く、葛の葉さん、苦しいよ」
「ほら、皆に見せてやりなさいよ! 皆、マユ様に惚れんじゃないよ?」
「やだよ、やだやだ! 恥ずかしい!」
朱雀は茶化すに決まってるし、白虎は得意の見ない振りで、青龍なんて絶句するかも。
取り外したくて身を捩るけど、葛の葉が離してくれない。キツネ耳を付けたわたしは押し出され、白虎、朱雀、青龍の前へ。
「いや、あの、これは玄武様が勝手にですね……」
経緯を説明したが、三人から特にコメントを得られない。どうやら、葛の葉を見た時とは違う衝撃を受けているらしい。数秒してから、朱雀がお腹を抱えて笑い始める。
「あははは、あはははっ! いやさ、葛の葉の後だったから、何処の子ギツネかと思っちゃった。あ、でも子ギツネと思えば、悪くないんじゃない?」
よっぽど面白いのか、朱雀は膝まで抱えた。滲む目元を拭い、わたしを見上げてくる。
「あはは、うん、うん君にはお似合いだ」
「朱雀殿、失礼です! オレは可愛らしいと思いまけど? マユ様、とっても可愛らしいですからね!」
朱雀に立つよう促す青龍。片手間な慰めに、わたしの心にもっと風が吹く。
「可愛い、可愛いって。お前さー、嘘くさいよ。葛の葉見た時は生唾飲んでた癖に」
「な、それは白虎殿でしょう! ごっくんって聞こえましたけど?」
あぁ、比べられる相手も悪かったけど、キツネの世界も美意識に相違はないみたい。
「やれやれ、四方は分かってないねぇー。こういう初な女を乱し、自分の色に染めていくのが醍醐味なのに。ねぇ玄武、あんたはどうだい? マユ様の最初になる気はあるかい?」
葛の葉がまたわたしを抱き締め、頬擦りしてきた。こうして密着されるとスタイルの良さがよく分かる。
「いいよ。役に立つ物をくれた相手には、礼をしなきゃいけないんだ」
「は?」
「おいで、北へ行こう」
よく話を聞いていなかったが、玄武だけがわたしに手を差し伸べていた。
「……何か?」
無言の圧力をかけられ、わたしから切り出すと、すぐさま彼等は待っていたとばかりに口撃(こうげき)を開始する。
「何か? じゃなくてさ。よくもボク達の前で裏切り者と仲睦まじく出来るよね」
「み、見てたの?」
先ず、朱雀がデコピンしてきた。イズナ程の破壊力はないが、わたしは恥ずかしさでよろけてしまう。
「マユ様! ご無事ですか?」
青龍が朱雀を押し退け、座り込んでいるわたしと視線を揃える。
「青龍様、あなたも無事?」
「いえ、オレの事などどうでも。それより何もお忘れになられていませんよね?」
「え?」
肩を前後に揺らされ、整理しきらない頭の中に隙間があるのに気付く。けれどその名を口にすれば、青龍を始めみんなが良い顔をしないと覚えていた。
「あーやだやだ、銀色の狐火を見た途端、取り入るなんてよ。俺には真似が出来ねぇな」
言いながら、白虎がわたしの腕を背後から取って立たせた。
「でも、銀色の狐火を見た。銀色の狐火は九尾の印。九尾に従うのが四方のキツネ」
「ち、うっせーな、分かってるよ! だから、優しく起こしてやったんだろうが!」
額に続き、腕もじんじんしてくる。玄武は近い距離で怒鳴られても堪えず、隣に並ぶ青龍へ話し掛けた。
「忘却の青龍を討ち損なったね、残念」
「……申し訳ありません」
深々と頭を下げる青龍。わたしは居たたまれなくなり、彼の背に手を添えようとした。
すると、その手を朱雀が握る。
「ひょっとしてワザと? なんだかんだ言っても、血を分けた兄弟。情が邪魔したんじゃない?」
「朱雀殿! それは!」
弁明するため顔を上げた青龍だが、繋いだ手に眉をひそめる。朱雀はその様子を面白がり、指を絡ませてきた。わたし自身にはこれっぽっちも興味が無いくせ、朱雀の指先は探る真似をする
わたしはそれを振り払い、朱雀は真っ赤な舌をぺろり、と出した。
「この際、小さい事はもういいじゃねぇか! 忘却の青龍は俺が討つ、九尾も俺が継ぐ。これで丸く収まるだろう? な?」
丸いどころか、全く解決しない気がするのは、わたしだけだろうか。
「静まれー、静まれー、四方のキツネ」
玄武の頭上から場の収束を求める声――亀だ。
「全く。これじゃ姫様が安心してお休みになれない」
亀は玄武の顔の上を通って、肩へ乗り、それからわたしに飛び移ろうとしてきた。短い手足、首を精一杯伸ばされる。
「あ、あの」
「大丈夫、噛まない」
「いや、そういう問題じゃなくて」
仰け反ったのに玄武によって手渡されてしまった。手の上の亀はわたしを円らな瞳で仰ぐ。
「ああ、やはり姫様に似てる。大きくなったね、マユ様」
「あなた、わたしを知ってるの?」
「あぁ。よく姫様とマユ様の様子をみに人里へ行ったもの。運動会や発表会にも行ったよ」
長い睫毛が遠いわたしの記憶に瞬く。
「……もしかして亀の姿で?」
「あはは、流石に亀の姿じゃ不便だよ。あ、そっか、今日からお世話係になるし、こちらの方がいいかもね」
ぴょん、と手の平から落ちていく亀は紫の光に包まれ、着地した時には女性の姿へ変わっていた。女性はわたしを爪先から見上げるよう立ち上がり、ついにはわたしの背を越える。
「あたしは葛の葉(くずのは)。今日から、あたしがマユ様のお世話をさせて貰うよ」
腰まである長い黒髪を掻き上げ、葛の葉と名乗る女性は四方に告げる。さらさら舞う黒髪の向こう側、四方のキツネ達は言葉を失った。
「あははは、どうやら四方の坊っちゃん達には刺激が強すぎたかい? 姫様には敵わないが、あたしもなかなかだろう? どうだい?」
紫の裾を翻し、葛の葉はわたしへ微笑む。確かに。お祖母ちゃんに近い色香がある。
あの小さな亀がこんなに綺麗な女性に変わるなんて、開いた口が塞がらない。葛の葉はそんなわたしの顎を上げ口を閉じさせると、こう続けた。
「言っておくけどね、マユ様はあたしなんかより、ずっと美しくなるよ」
「え?」
「だって、マユ様はまだ恋をしていないだろ? 女はさ、本気の恋をした時が一番美しいものさ! あぁ、マユ様が本気の恋をしたら、どんなになるんだろうね? あたし、ぞくぞくしちゃうよ」
見悶える葛の葉。熱い息を小刻みに吐きながら肘を抱くと、胸の谷間が強調される。
ごくり、生唾を飲んだのは白虎。
「お前な、なんちゅー亀を頭に乗せてるんだよ!」
「亀は姫様が役に立つからって言って、くれた」
「あ? なら、どんな羨ましい使い方してんだよ? おい!」
詰め寄られながらも玄武は、葛の葉に聞く。
「葛の葉はマユユのになるんだ?」
「なんだい? 寂しがってくれるのかい? そりゃ嬉しいねぇ」
葛の葉は玄武を抱き締めようと両手を広げたが、彼は素通りした。
「あらあら、玄武の坊っちゃんはつれないわ」
「ふん、自分の物を取られるのが嫌なだけ」
早足でわたしの前へやって来て、袂をごそごそ漁り出すから、嫌な予感がする。
「これあげる。あんたが忘却の青龍と折り重なってた頃、暇だったから作った」
「お、お、お、折り重なってって!」
イズナが背を使い、わたしを庇っていたのを揶揄され、差し出された品より、その言い回しに突っ掛かる。
「わたしとイズナはそんなんじゃ――え?」
で、訂正しようと躍起な頭を冷やせと、何かを乗せられた。
「九尾が葛の葉をくれた時、役に立つからと言った。だから貰った」
「そ、そう」
「その耳はマユユの役に立つ」
「耳?」
言われて恐る恐る確かめてみる――言われた通り、三角の形をした耳が二つ、頭の上で並んでいた。もこもこした質感はいい。でもこれって。
「きゃー、可愛い!」
葛の葉が抱き締めてくる。
「玄武、あんたのカラクリは正直、役に立つ物は無いと思ってたけどさぁー、こりゃあいい!」
察するにお遊戯会などで使う動物耳が付いている様だ。
「く、葛の葉さん、苦しいよ」
「ほら、皆に見せてやりなさいよ! 皆、マユ様に惚れんじゃないよ?」
「やだよ、やだやだ! 恥ずかしい!」
朱雀は茶化すに決まってるし、白虎は得意の見ない振りで、青龍なんて絶句するかも。
取り外したくて身を捩るけど、葛の葉が離してくれない。キツネ耳を付けたわたしは押し出され、白虎、朱雀、青龍の前へ。
「いや、あの、これは玄武様が勝手にですね……」
経緯を説明したが、三人から特にコメントを得られない。どうやら、葛の葉を見た時とは違う衝撃を受けているらしい。数秒してから、朱雀がお腹を抱えて笑い始める。
「あははは、あはははっ! いやさ、葛の葉の後だったから、何処の子ギツネかと思っちゃった。あ、でも子ギツネと思えば、悪くないんじゃない?」
よっぽど面白いのか、朱雀は膝まで抱えた。滲む目元を拭い、わたしを見上げてくる。
「あはは、うん、うん君にはお似合いだ」
「朱雀殿、失礼です! オレは可愛らしいと思いまけど? マユ様、とっても可愛らしいですからね!」
朱雀に立つよう促す青龍。片手間な慰めに、わたしの心にもっと風が吹く。
「可愛い、可愛いって。お前さー、嘘くさいよ。葛の葉見た時は生唾飲んでた癖に」
「な、それは白虎殿でしょう! ごっくんって聞こえましたけど?」
あぁ、比べられる相手も悪かったけど、キツネの世界も美意識に相違はないみたい。
「やれやれ、四方は分かってないねぇー。こういう初な女を乱し、自分の色に染めていくのが醍醐味なのに。ねぇ玄武、あんたはどうだい? マユ様の最初になる気はあるかい?」
葛の葉がまたわたしを抱き締め、頬擦りしてきた。こうして密着されるとスタイルの良さがよく分かる。
「いいよ。役に立つ物をくれた相手には、礼をしなきゃいけないんだ」
「は?」
「おいで、北へ行こう」
よく話を聞いていなかったが、玄武だけがわたしに手を差し伸べていた。