マユツバ
秘密の花園
1
寝転んだまま空を見上げる。太陽が無い空はわたしと同じ、大切な物が欠けている。物足りない。
「玄武様、こちらの世界には太陽が無いんですね――って、起きてます?」
「あい? うん、起きてる。あやかしの世界では眠くなったら寝るし、目覚めた時が一日の始まりだから。でも……」
視線を感じ、そちらを向くと思った以上に近い距離。玄武がゆっくり瞬きながら言う。
「マユユはぽかぽか温かそう、太陽かも」
通った鼻筋が寄ってきて、わたしは慌てて起き上がる。
「ん? どうかした?」
「い、い、いえ。それより自転車、ありがとうございます」
倒れた自転車も起き上がらせようとしたら、既に立てられていた。
「ああ、やはり玄武殿に嫁がれると言うのは本当だったのですね」
青龍がハンドルを握り締め、嘆いていた。
「青龍様?」
「分かっているんです! 玄武殿は普通の方には理解出来ない思想の持ち主。だから、普通じゃないマユ様が惹かれてしまうのも仕方ないのでしょう」
「あ、あの……普通じゃないって」
「飯よりカラクリ、色恋沙汰よりカラクリ。マユ様はそんな勉強熱心な玄武殿をお側で支えたいと仰りたいんですね?」
いえ、全然。むしろ、何故わたしが玄武に嫁ぐ話になっているのか教えて欲しい。その時、葛の葉が視線を外したのをわたしは見逃さなかった。
「葛の葉さん?」
「はーい。何です?」
「どうして、わたしが玄武様に嫁ぐって話になっているんでしょうか?」
葛の葉を見詰めてみる。すると葛の葉は嬉しそうな顔をした。
「もう、マユ様ってば怒った顔も可愛らしいー」
いやいや、語尾が明らかに上擦っているんですが。
「誤魔化さないで下さい! 何か企んでるんでしょう?」
いえいえ全く、なんて白々しく背を向ける葛の葉に胸騒ぎを覚えた。
「これから北に行くのって、どんな目的があってですか?」
「ちなみに教えたら、北に行くのを嫌がらない?」
片目を閉じて振り向き、わたしを伺う。わたしは見間違われないよう、首を大きく横に振った。
「それは理由によりますけど」
「なら教えない。ほら青龍、マユ様は北に行くんだよ! さっさと旅のご無事をお祈りしなさい」
「マユ様!」
いきなり青龍が声を張り上げた。
「もし――いいえ、必ず何か良くない事がこれからあると思われます。心を痛め、どうしようもなくなる前に、どうぞ青龍の地へ足をお運び下さい」
この自転車で、と手渡される。
「あ、ありがとう」
「違うよ」
寝転んでいた玄武がやっと立つ。さっきまでの眠気はどこへやら、覚醒した目で青龍と向き合う。
「マユユは運転手。あげたカラクリは他の奴の為には使わせない!」
二人の身長は同じ位だけど、怒気を纏い迫力が増した分だけ、玄武を大きく感じる。
「玄武様? オレは別にそういう意味では」
詰め寄られる青龍はわたしに助けを求めようとする。が、それも許さない玄武。わたしの手を取ると、葛の葉に顎で合図した。
結局、青龍に満足な挨拶が出来ないまま歩き始める。
「ちょ、ちょっと玄武様? あ、あの自転車は?」
「乗る」
そして、後ろに座る玄武。運転手とはやっぱりこういう事なんだ。バランスを崩さないよう踏ん張って、裾に視線を落とす。
「着物が乱れない術をかけてあげる」
「そんな術があるんですか?」
「あるよ」
玄武の指が裾を撫でた。これといった変化は感じないが、座りながら足を上下に動かすご機嫌な様子から自信があるのだろう。一度、深呼吸してから股がってみる。
「本当だ。足が上がる!」
「じゃあ、頑張ってね」
背中に頬を預けられた。きっと目も瞑っている。
「待って下さいな! マユ様、あたしも乗せて」
葛の葉が亀の姿へ戻り、前のカゴに収まった。玄武も葛の葉も歩くつもりはないらしい。
「目的地はあちら!」
短い首を前方へ伸ばす。
「あちらって……」
重いペダルに足をかけ、石がごろごろ転がる乾いた道を眺めた。と、向こうから誰かがやって来る。鎧を身に付けており、足音を響かす。
で、その足音はわたしの前で止まったのだ。
「失礼」
声が発せられ、目の前のキツネが女性と認識する。刈り上げた頭部にうっすら汗が輝き、鎧の重さを伝えてきた。
女性が片膝をつくと、砂が舞う。
「玄武様、お迎えに参りました」
「ん?」
脇の間から顔を出す、玄武。くすぐったくて身を捩ったわたしを鎧の女性が支えてくれる。
中性的な顔立ちがわたしを観察した。
「暴れられると玄武様がお怪我をされてしまいますので」
同性と知りながらも逞しさから意識してしまう。玄武が降りたのを確認してから、熱い頬を冷やす。
「おやおや、お園は相変わらず女を魅了しちまうねぇ」
葛の葉が笑う。
「葛の葉、お目付け役がそんなでは困るのだが」
「なんだい? 鴉がまた仕掛けてきたの?」
「いえ、そうではなくて」
お園と呼ばれた鎧のキツネは、暢気に関節を伸ばす玄武へ視線を滑らす。
「もちろん鴉の件もありますが、姫様の力が弱まり、皆の不安も高まっております。よって玄武様には北より離れて欲しくはないのです」
お園の言葉に玄武の耳が動く。聞いてはいるようだ。ただ、返事をしない。代わりに葛の葉が応じる。
「カラクリ部隊の隊長が迎えに来れるくらいだ。状況はそんなに悪くないって事だろう? そうかりかりしなさんな」
「別に私は苛立ってなどない。玄武様にもし何かあったらと思うと――」
「そんなに心配したいなら、自分の心配をしたらいい」
遮り、突き返す言い方をする玄武。
「玄武様!」
側に寄ろうとするお園を尾で制止した。玄武は尾で自分の腿を打ったが、お園は叩かれた顔をする。何か言おうとして飲み込む喉元が大きなものを流し込んだみたいに波打つ。
「葛の葉、マユユ。自転車で帰る間がなさそうだ」
「はいよ」
低い声に促され、葛の葉はキツネになる。一方、玄武は地面へ足で六芒星を描き、わたしは風に引き寄せられた。
「マユ様、術で北に飛びます。どうぞ、お気を付けて」
「マユユ、袂を持って」
言われるがまま、握る。自転車は葛の葉が持ってくれた。玄武に肩を抱かれながら、風の中に入ってこないお園に気付く。
「お園さん」
「私は玄武様の術には入れません」
お園は星の外でわたしを見ていた。
「玄武様、こちらの世界には太陽が無いんですね――って、起きてます?」
「あい? うん、起きてる。あやかしの世界では眠くなったら寝るし、目覚めた時が一日の始まりだから。でも……」
視線を感じ、そちらを向くと思った以上に近い距離。玄武がゆっくり瞬きながら言う。
「マユユはぽかぽか温かそう、太陽かも」
通った鼻筋が寄ってきて、わたしは慌てて起き上がる。
「ん? どうかした?」
「い、い、いえ。それより自転車、ありがとうございます」
倒れた自転車も起き上がらせようとしたら、既に立てられていた。
「ああ、やはり玄武殿に嫁がれると言うのは本当だったのですね」
青龍がハンドルを握り締め、嘆いていた。
「青龍様?」
「分かっているんです! 玄武殿は普通の方には理解出来ない思想の持ち主。だから、普通じゃないマユ様が惹かれてしまうのも仕方ないのでしょう」
「あ、あの……普通じゃないって」
「飯よりカラクリ、色恋沙汰よりカラクリ。マユ様はそんな勉強熱心な玄武殿をお側で支えたいと仰りたいんですね?」
いえ、全然。むしろ、何故わたしが玄武に嫁ぐ話になっているのか教えて欲しい。その時、葛の葉が視線を外したのをわたしは見逃さなかった。
「葛の葉さん?」
「はーい。何です?」
「どうして、わたしが玄武様に嫁ぐって話になっているんでしょうか?」
葛の葉を見詰めてみる。すると葛の葉は嬉しそうな顔をした。
「もう、マユ様ってば怒った顔も可愛らしいー」
いやいや、語尾が明らかに上擦っているんですが。
「誤魔化さないで下さい! 何か企んでるんでしょう?」
いえいえ全く、なんて白々しく背を向ける葛の葉に胸騒ぎを覚えた。
「これから北に行くのって、どんな目的があってですか?」
「ちなみに教えたら、北に行くのを嫌がらない?」
片目を閉じて振り向き、わたしを伺う。わたしは見間違われないよう、首を大きく横に振った。
「それは理由によりますけど」
「なら教えない。ほら青龍、マユ様は北に行くんだよ! さっさと旅のご無事をお祈りしなさい」
「マユ様!」
いきなり青龍が声を張り上げた。
「もし――いいえ、必ず何か良くない事がこれからあると思われます。心を痛め、どうしようもなくなる前に、どうぞ青龍の地へ足をお運び下さい」
この自転車で、と手渡される。
「あ、ありがとう」
「違うよ」
寝転んでいた玄武がやっと立つ。さっきまでの眠気はどこへやら、覚醒した目で青龍と向き合う。
「マユユは運転手。あげたカラクリは他の奴の為には使わせない!」
二人の身長は同じ位だけど、怒気を纏い迫力が増した分だけ、玄武を大きく感じる。
「玄武様? オレは別にそういう意味では」
詰め寄られる青龍はわたしに助けを求めようとする。が、それも許さない玄武。わたしの手を取ると、葛の葉に顎で合図した。
結局、青龍に満足な挨拶が出来ないまま歩き始める。
「ちょ、ちょっと玄武様? あ、あの自転車は?」
「乗る」
そして、後ろに座る玄武。運転手とはやっぱりこういう事なんだ。バランスを崩さないよう踏ん張って、裾に視線を落とす。
「着物が乱れない術をかけてあげる」
「そんな術があるんですか?」
「あるよ」
玄武の指が裾を撫でた。これといった変化は感じないが、座りながら足を上下に動かすご機嫌な様子から自信があるのだろう。一度、深呼吸してから股がってみる。
「本当だ。足が上がる!」
「じゃあ、頑張ってね」
背中に頬を預けられた。きっと目も瞑っている。
「待って下さいな! マユ様、あたしも乗せて」
葛の葉が亀の姿へ戻り、前のカゴに収まった。玄武も葛の葉も歩くつもりはないらしい。
「目的地はあちら!」
短い首を前方へ伸ばす。
「あちらって……」
重いペダルに足をかけ、石がごろごろ転がる乾いた道を眺めた。と、向こうから誰かがやって来る。鎧を身に付けており、足音を響かす。
で、その足音はわたしの前で止まったのだ。
「失礼」
声が発せられ、目の前のキツネが女性と認識する。刈り上げた頭部にうっすら汗が輝き、鎧の重さを伝えてきた。
女性が片膝をつくと、砂が舞う。
「玄武様、お迎えに参りました」
「ん?」
脇の間から顔を出す、玄武。くすぐったくて身を捩ったわたしを鎧の女性が支えてくれる。
中性的な顔立ちがわたしを観察した。
「暴れられると玄武様がお怪我をされてしまいますので」
同性と知りながらも逞しさから意識してしまう。玄武が降りたのを確認してから、熱い頬を冷やす。
「おやおや、お園は相変わらず女を魅了しちまうねぇ」
葛の葉が笑う。
「葛の葉、お目付け役がそんなでは困るのだが」
「なんだい? 鴉がまた仕掛けてきたの?」
「いえ、そうではなくて」
お園と呼ばれた鎧のキツネは、暢気に関節を伸ばす玄武へ視線を滑らす。
「もちろん鴉の件もありますが、姫様の力が弱まり、皆の不安も高まっております。よって玄武様には北より離れて欲しくはないのです」
お園の言葉に玄武の耳が動く。聞いてはいるようだ。ただ、返事をしない。代わりに葛の葉が応じる。
「カラクリ部隊の隊長が迎えに来れるくらいだ。状況はそんなに悪くないって事だろう? そうかりかりしなさんな」
「別に私は苛立ってなどない。玄武様にもし何かあったらと思うと――」
「そんなに心配したいなら、自分の心配をしたらいい」
遮り、突き返す言い方をする玄武。
「玄武様!」
側に寄ろうとするお園を尾で制止した。玄武は尾で自分の腿を打ったが、お園は叩かれた顔をする。何か言おうとして飲み込む喉元が大きなものを流し込んだみたいに波打つ。
「葛の葉、マユユ。自転車で帰る間がなさそうだ」
「はいよ」
低い声に促され、葛の葉はキツネになる。一方、玄武は地面へ足で六芒星を描き、わたしは風に引き寄せられた。
「マユ様、術で北に飛びます。どうぞ、お気を付けて」
「マユユ、袂を持って」
言われるがまま、握る。自転車は葛の葉が持ってくれた。玄武に肩を抱かれながら、風の中に入ってこないお園に気付く。
「お園さん」
「私は玄武様の術には入れません」
お園は星の外でわたしを見ていた。