マユツバ
2
――目を開けば銀世界だった。すぐに寒さが襲わってきて、肘を擦る。馴れない着物だけど肌触りはいい。真っ白な世界でこの桃色は浮いており、そういう意味からも自分に合っている。
「寒い、あやかしの世界でも雪が降るんだね」
はぁ、息を白く丸めてみた。
「マユ様、よく見て。これは華だよ」
葛の葉が舞い降りる粒を手のひらへ乗せる。確かに。それは花の形をしていて、しかも溶けて無くならない。
「綺麗だろ? これもカラクリのひとつさ」
「カラクリ?」
隣の玄武に説明を求めると、玄武は無表情で頷く。カラクリの話なら饒舌になると思ったのに意外だ。
「鴉から攻め込まれない為、こうして華を降らせる」
「そうなんですね。雪に似ていて、キレイだなぁ」
「ふーん。マユユはこんなのが綺麗だと思うんだ」
「玄武様?」
急に目を合わせてくれなくなる。
「なんでもない。行こう」
玄武は積もる華にバランスを崩す事なく、真っ直ぐな足跡を残す。一方、ふらつくわたしはその足跡を頼りに辿る。と、何かに裾を引っ張られた。
「あたしを肩に乗せて下さいな」
「なんで亀の姿に戻ったの?」
「この寒さは年寄りには堪えますー」
よじ登ってくるので、仕方なく乗せる。
「あー、北は四方の中で一番キナ臭いね」
亀になっても嗅覚の鋭さは変わらないのだろうか。葛の葉が鼻をひくつかせた。
「キツネと鴉で戦争をしてるの?」
「これまでは小競り合いだったけど、姫様の力が弱まった今を好機と判断し、本格的に戦を仕掛けてくるだろうね。キツネの里には鴉の奴等がどうしても欲しいものがあるんだ」
「……鴉の欲しいものって?」
「何だと思う?」
質問を質問で返され、立ち止まる。なんだか葛の葉の目はわたしを試しているみたい。
「さぁ? あやかしの世界の事なんて、わたしには分からないもの」
それに知りたくない、心の中で足す。わたしはママやお祖母ちゃんを助けたいだけであって、必要以上にあやかしの世界と関わっちゃいけない気がする。だって、わたしは人でありたいのだから。
無意識にぶんぶん頭を振った姿を、葛の葉は笑った。
「マユ様があやかしを嫌うのも仕方ない、か。九尾の血を引く者として、幼い頃から怖い目にあったのだろう?」
「それは大丈夫。イズナが助けてくれ――」
ついイズナの名を出してしまい、口を覆う。
「マユ様は忘却の青龍を信頼してるんだね」
「葛の葉もイズナの敵?」
敵、という表現は適切じゃないかもしれない。でも葛の葉にまでイズナを否定されたら悲しい。もちろん味方と答えてくれるのが一番だけど、せめて敵でなければいい。
「忘却の青龍は一族にとって許しがたい者だよ」
急に感情を抑えた声音がわたしを突き放す。葛の葉自身の意見でなく、一族としての見解を言われた事がショックだった。
「みんなが許さなくても、わたしはママがパパと結ばれなければ生まれなかったの。だから、わたしだけはイズナの味方でいる!」
「マユ様!」
肩から葛の葉を振り払う。葛の葉は着地前にキツネとなり、わたしを呼び止める。
「離して! イズナを悪く言う相手とは仲良く出来ない!」
「マユ様、落ち着いて! そっちは――」
気付けば玄武の足跡を外れ、膝あたりまで華に埋もれてしまう。足を抜こうと力を込めると草履が脱げ、そのまま引っくり返ってしまった。
「ほらほら、言わんこっちゃない。さぁ、お手をどうぞ」
葛の葉は呆れた笑みを浮かべ、屈む。これじゃあ聞き分けない子供と向き合う構図。恥ずかしさもあって素直になれない。
「いい。自分で立てます」
草履を取ろうと穴に手を突っ込む。
「届く? 取ってあげようか?」
「草履くらい、取れますから!」
それにしてもよく積もる華だ。頬に華を付押しける姿勢で、改めて町並みを見てみる。
周囲にキツネの気配はない。大半の家屋は埋もれているのか、屋根らしき部位が一部頭を出しているだけ。
「あった!」
探る人差し指にやっと手応えを感じ、勢いよく引き上げる。
「マユ様! 危ない!」
「え?」
と、それは一瞬の出来事だった。引き上げた草履を鋭い光が貫いたのだ。わたしは葛の葉に抱き寄せられ、互いの鼓動が早くなっていくのを感じる。
「ち、外したか」
「下手くそが! だから俺がやるって言ったのによぉー」
声を聞くと胸がざわつく――この不快感は鴉だ。撃ち落とされた草履は側で火薬の臭いを放つ。
「鴉がこんな所までやって来るとはね」
葛の葉はわたしに怪我が無いか確かめた後、二つの声へ振り返る。寒空に映える紫の出で立ちが彼らから口笛を誘う。
「こりゃあ、上玉だな。今夜は野狐で我慢してやろうと思ってたが、ついてるぜ。なぁ?」
「違いねぇ。あんたその綺麗な顔に傷を付けられたくなけりゃあ、黙って言うことを聞きな!」
いかにもな台詞に葛の葉の袖を引っ張る。
「心配は要らないよ。今は忘却の青龍の代わりにあたしが守ってあげる。マユ様、あたしに惚れないでおくれよ?」
葛の葉は言うと紫煙を纏う。狐火は妖力の強さによって着色され、基本は灰色らしい。つまり、紫の狐火を扱う葛の葉は高位のキツネだ。
「さぁ、坊や達。あたしと楽しみましょうか」
鴉の男達が唾を飲む音が戦いの合図となる。二人は舞い上がり、下心で真っ黒な翼がより不気味に思えた。どうやら鴉は葛の葉に夢中でわたしは眼中に無い。
わたしは葛の葉に指示された通り、先の物陰まで移動し身を潜める。そう言えば玄武は何をしているのだろう。鴉に襲われる事態に陥ったのはわたしのせいだけど、自分だけ行ってしまうのも酷い話じゃないか。
やってきた道のりを睨み付けていると、誰かがこちらへ向かっているのを見付けた。玄武だと思ったわたしは手を振り、助けを求める。
「玄武さ――」
「おい葛の葉、何をちまちまやっている! 鴉など吹き飛ばしてしまえばいいんだよ!」
鎧を着込んだキツネが空に向かって、丸い物体を投げた。遠目だが彼女が手にしていた物には覚えがあり、特に構えを取らない葛の葉へわたしは叫ぶ。
「葛の葉さん! 伏せて!」
声と同時に強い光が生まれる。玄武が使用したものより弾ける音は遥かに大きい。耳を塞いでも鼓膜を刺激された。
頃合いを見計らい、手を放す。次に見上げた時には鴉は居なくなっており、黒いシミなど残さない真っ白な空に戻っていた。
「大丈夫か?」
呆然とするわたしにお園さんが話し掛けてくる。華の道を歩き慣れているのだろう。重そうな足元だが沈まない。
「く、葛の葉さんは?」
「あたしなら無事だよ。玄武の坊っちゃんが作ったカラクリ程度じゃ、あたしはやれないよ」
咳き込みながら葛の葉もやってくる。煤であちこちを黒く汚した姿と発言内容のギャップに笑ってしまう。
「なんだ、笑うと可愛いのだな」
お園が頬を撫でてきた。割れ物でも扱う手付きで、なんだか触られてる方が緊張する。
「晴明の事だから傀儡(くぐつ)でも連れているのかと疑ったが――良かった。お前、名は何と言う?」
「マ、マユです」
同性と分かっていても、少し低めの声に戸惑う。わたしの上擦った返事に目を細める様へ引き込まれていく。
「そうか。ではマユよ、玄武様を宜しく頼むぞ」
要求に思わず頷いてしまいそうになり、何とかとどまる。葛の葉に頷いていないと目で主張したら、葛の葉は別の受け取り方をしてしまった。
「こら、お園! マユ様は九尾の血を引く方だよ? 気安い真似はおやめ」
「九尾?」
言われるなりお園は指を剥がす。
「あ、あの、いいんです! マユって呼んで下さい」
「――それは出来ない」
明らかによそよそしくなる、お園。
「九尾って言っても、わたしは――」
「私は九尾が嫌いだ」
その一言が、お園に理解を求める思考を凍り付かせた。
「寒い、あやかしの世界でも雪が降るんだね」
はぁ、息を白く丸めてみた。
「マユ様、よく見て。これは華だよ」
葛の葉が舞い降りる粒を手のひらへ乗せる。確かに。それは花の形をしていて、しかも溶けて無くならない。
「綺麗だろ? これもカラクリのひとつさ」
「カラクリ?」
隣の玄武に説明を求めると、玄武は無表情で頷く。カラクリの話なら饒舌になると思ったのに意外だ。
「鴉から攻め込まれない為、こうして華を降らせる」
「そうなんですね。雪に似ていて、キレイだなぁ」
「ふーん。マユユはこんなのが綺麗だと思うんだ」
「玄武様?」
急に目を合わせてくれなくなる。
「なんでもない。行こう」
玄武は積もる華にバランスを崩す事なく、真っ直ぐな足跡を残す。一方、ふらつくわたしはその足跡を頼りに辿る。と、何かに裾を引っ張られた。
「あたしを肩に乗せて下さいな」
「なんで亀の姿に戻ったの?」
「この寒さは年寄りには堪えますー」
よじ登ってくるので、仕方なく乗せる。
「あー、北は四方の中で一番キナ臭いね」
亀になっても嗅覚の鋭さは変わらないのだろうか。葛の葉が鼻をひくつかせた。
「キツネと鴉で戦争をしてるの?」
「これまでは小競り合いだったけど、姫様の力が弱まった今を好機と判断し、本格的に戦を仕掛けてくるだろうね。キツネの里には鴉の奴等がどうしても欲しいものがあるんだ」
「……鴉の欲しいものって?」
「何だと思う?」
質問を質問で返され、立ち止まる。なんだか葛の葉の目はわたしを試しているみたい。
「さぁ? あやかしの世界の事なんて、わたしには分からないもの」
それに知りたくない、心の中で足す。わたしはママやお祖母ちゃんを助けたいだけであって、必要以上にあやかしの世界と関わっちゃいけない気がする。だって、わたしは人でありたいのだから。
無意識にぶんぶん頭を振った姿を、葛の葉は笑った。
「マユ様があやかしを嫌うのも仕方ない、か。九尾の血を引く者として、幼い頃から怖い目にあったのだろう?」
「それは大丈夫。イズナが助けてくれ――」
ついイズナの名を出してしまい、口を覆う。
「マユ様は忘却の青龍を信頼してるんだね」
「葛の葉もイズナの敵?」
敵、という表現は適切じゃないかもしれない。でも葛の葉にまでイズナを否定されたら悲しい。もちろん味方と答えてくれるのが一番だけど、せめて敵でなければいい。
「忘却の青龍は一族にとって許しがたい者だよ」
急に感情を抑えた声音がわたしを突き放す。葛の葉自身の意見でなく、一族としての見解を言われた事がショックだった。
「みんなが許さなくても、わたしはママがパパと結ばれなければ生まれなかったの。だから、わたしだけはイズナの味方でいる!」
「マユ様!」
肩から葛の葉を振り払う。葛の葉は着地前にキツネとなり、わたしを呼び止める。
「離して! イズナを悪く言う相手とは仲良く出来ない!」
「マユ様、落ち着いて! そっちは――」
気付けば玄武の足跡を外れ、膝あたりまで華に埋もれてしまう。足を抜こうと力を込めると草履が脱げ、そのまま引っくり返ってしまった。
「ほらほら、言わんこっちゃない。さぁ、お手をどうぞ」
葛の葉は呆れた笑みを浮かべ、屈む。これじゃあ聞き分けない子供と向き合う構図。恥ずかしさもあって素直になれない。
「いい。自分で立てます」
草履を取ろうと穴に手を突っ込む。
「届く? 取ってあげようか?」
「草履くらい、取れますから!」
それにしてもよく積もる華だ。頬に華を付押しける姿勢で、改めて町並みを見てみる。
周囲にキツネの気配はない。大半の家屋は埋もれているのか、屋根らしき部位が一部頭を出しているだけ。
「あった!」
探る人差し指にやっと手応えを感じ、勢いよく引き上げる。
「マユ様! 危ない!」
「え?」
と、それは一瞬の出来事だった。引き上げた草履を鋭い光が貫いたのだ。わたしは葛の葉に抱き寄せられ、互いの鼓動が早くなっていくのを感じる。
「ち、外したか」
「下手くそが! だから俺がやるって言ったのによぉー」
声を聞くと胸がざわつく――この不快感は鴉だ。撃ち落とされた草履は側で火薬の臭いを放つ。
「鴉がこんな所までやって来るとはね」
葛の葉はわたしに怪我が無いか確かめた後、二つの声へ振り返る。寒空に映える紫の出で立ちが彼らから口笛を誘う。
「こりゃあ、上玉だな。今夜は野狐で我慢してやろうと思ってたが、ついてるぜ。なぁ?」
「違いねぇ。あんたその綺麗な顔に傷を付けられたくなけりゃあ、黙って言うことを聞きな!」
いかにもな台詞に葛の葉の袖を引っ張る。
「心配は要らないよ。今は忘却の青龍の代わりにあたしが守ってあげる。マユ様、あたしに惚れないでおくれよ?」
葛の葉は言うと紫煙を纏う。狐火は妖力の強さによって着色され、基本は灰色らしい。つまり、紫の狐火を扱う葛の葉は高位のキツネだ。
「さぁ、坊や達。あたしと楽しみましょうか」
鴉の男達が唾を飲む音が戦いの合図となる。二人は舞い上がり、下心で真っ黒な翼がより不気味に思えた。どうやら鴉は葛の葉に夢中でわたしは眼中に無い。
わたしは葛の葉に指示された通り、先の物陰まで移動し身を潜める。そう言えば玄武は何をしているのだろう。鴉に襲われる事態に陥ったのはわたしのせいだけど、自分だけ行ってしまうのも酷い話じゃないか。
やってきた道のりを睨み付けていると、誰かがこちらへ向かっているのを見付けた。玄武だと思ったわたしは手を振り、助けを求める。
「玄武さ――」
「おい葛の葉、何をちまちまやっている! 鴉など吹き飛ばしてしまえばいいんだよ!」
鎧を着込んだキツネが空に向かって、丸い物体を投げた。遠目だが彼女が手にしていた物には覚えがあり、特に構えを取らない葛の葉へわたしは叫ぶ。
「葛の葉さん! 伏せて!」
声と同時に強い光が生まれる。玄武が使用したものより弾ける音は遥かに大きい。耳を塞いでも鼓膜を刺激された。
頃合いを見計らい、手を放す。次に見上げた時には鴉は居なくなっており、黒いシミなど残さない真っ白な空に戻っていた。
「大丈夫か?」
呆然とするわたしにお園さんが話し掛けてくる。華の道を歩き慣れているのだろう。重そうな足元だが沈まない。
「く、葛の葉さんは?」
「あたしなら無事だよ。玄武の坊っちゃんが作ったカラクリ程度じゃ、あたしはやれないよ」
咳き込みながら葛の葉もやってくる。煤であちこちを黒く汚した姿と発言内容のギャップに笑ってしまう。
「なんだ、笑うと可愛いのだな」
お園が頬を撫でてきた。割れ物でも扱う手付きで、なんだか触られてる方が緊張する。
「晴明の事だから傀儡(くぐつ)でも連れているのかと疑ったが――良かった。お前、名は何と言う?」
「マ、マユです」
同性と分かっていても、少し低めの声に戸惑う。わたしの上擦った返事に目を細める様へ引き込まれていく。
「そうか。ではマユよ、玄武様を宜しく頼むぞ」
要求に思わず頷いてしまいそうになり、何とかとどまる。葛の葉に頷いていないと目で主張したら、葛の葉は別の受け取り方をしてしまった。
「こら、お園! マユ様は九尾の血を引く方だよ? 気安い真似はおやめ」
「九尾?」
言われるなりお園は指を剥がす。
「あ、あの、いいんです! マユって呼んで下さい」
「――それは出来ない」
明らかによそよそしくなる、お園。
「九尾って言っても、わたしは――」
「私は九尾が嫌いだ」
その一言が、お園に理解を求める思考を凍り付かせた。