マユツバ
キツネの嫁入り前

 お祖母ちゃんの家は森の中にある。
 この森には珍しい動植物が棲息していて、研究目的に訪ねてくる人も多い。

 高田くんのお父さんもその一人で「森に魅せられた」と言い、一家で越して来たのが今年の春の事。三ヶ月前だ。

 村から出る事を禁じられてるわたしにとって、高田くんは少女漫画を切り取った男子。おしゃれだし、優しいし、わたしをマユさんと呼んでくれる。

 クラスのみんなはマユちゃんって呼ぶ。イズナや一族の一部からはマユ様って呼ばれる。正直そういう呼ばれ方じゃ、女性として扱われている気がしない。
 マユさんって。高田くんは何の気なしに呼んだのかもしれないけれど、わたしの気持ちは確かに揺さぶられたんだ。

「ねぇ、イズナは昨日の花火見た?」

 登り坂が辛くなり、目で降りるよう促す。イズナはひょいと飛び下り、尾を左右に振る。いいえ、の合図だ。

「姫様にマユ様の様子を見ておくよう言われましたので、花火ではなく貴女だけを見てま した」
「そういう紛らわしい言い方は止めてくれる? そんなんだから、生徒に告白されるのよ」
「私は人間に興味はありません。あちらが勝手に勘違いしただけです」

 イズナは非常勤教師とし、美術の授業を担当している。ルックスから女子生徒にキャーキャー騒がれちゃって、ファンクラブがあるとか無いとか。
 ただ、わたしの記憶が正しいなら、イズナに「高田くんが好きかもしれない」と告げる前日までは、美術の担当は別の教師だった。

 キツネはまやかしを見せる生き物。つまり、イズナは高田くんとの恋路を邪魔する為に教師になりすましている訳で。

「いつも思うけど、そこまでしなくても良いんじゃない? 監視してて分かるでしょ? わたし全然モテないの」

 そしてこれもいつも思うけど、お祖母ちゃんはよくこんな場所で暮らせる。自然溢れると言えば聞こえはいいけど、実際は退屈が溢れている。
 いっそ自転車を置いて行きたい。でも、帰り道のスピードを考えたらそれも出来ない。

 イズナはガードレールの上を器用に歩き始める。両手を水平に伸ばしバランスを取るでなく、尾を振りながらすいすい歩く。

「ねぇ、聞いてる? それとも自分はモテモテだから、わたしの気持ちは分からないって言いたいんだ?」

 どんどん進んで行ってしまう背中に言葉をぶつけてやる。
 そっとしておいて欲しい時に限って、人の影に入り込み監視するくせ、こうして話をしたい時は向き合おうとしない。

「聞こえてるんでしょ? そんな大きな耳なんだからさ」

 尾や耳は人の前では出していけない。
 これはお祖母ちゃんが人と上手くやっていくのに作った、幾つかの約束事のひとつ。
 わたしの様な半妖はキツネの里で暮らすのを許されておらず、人との共存を強いられる。わたしだって好きで半妖に生まれついた訳じゃないから、この約束事を疎ましく感じたりもする。
 しかし、人でなければキツネでも無い自分の居場所が、そう多くはないのも分かっていた。

 たぶん、わたしに流れるあやかしの血が人の怖さを覚えているんだろう。パパやクラスのみんなに嫌われるのが怖い。

「マユ様」

 イズナが絶妙なタイミングで振り返る。

「マユ様はこれから皆がこぞって振り返る 位、素敵な女キツネになりますよ」

 ご安心下さい。白いシャツを揺らして言われる。イズナには白いシャツが良く似合う。
 抜ける青空と同化してしまう線の細さだけど、ママに恋した激しい過去を秘めていたりして。
 ママは娘のわたしから見ても、とっても魅力的。機会があって、余裕もあったなら、イズナをからかってみたいけど、もしイズナが寂しそうな顔をしたらどうしよう。むしろ照れたりされたら、もっと対処出来ない。

 やっとお祖母ちゃんが見えて来たのを言い訳に駆け出す。

 ママに似てきたと言われるのは嬉しい。でも、イズナに言われるのは少し意味が違ってくる。イズナの中のわたしがママで塗り潰されちゃう感じ。
 こういう感覚を子供の独占欲って言うんだろう。分かっていても、嫌なものは嫌。


 勢い良くドアを開ければ、お祖母ちゃんは本を閉じた所だった。
 温かみのある木製の家具に囲まれ、手元にはミントティー。汗をかいたグラスが涼しげで、わたしは思わず喉を鳴らす。

「おや、いらっしゃい」

 お祖母ちゃんは何万年と生き続けるキツ ネ、尾が九つあることから【九尾のキツネ】 と一族から別格視されている。なんでもキツネの里には銅像が立てられているらしい。

 そしてそんな威厳のあるお祖母ちゃんの姿は小学生くらいで、わたしより幼い。何故そんな格好なのか聞いたら、世界中の男を虜にしてしまうからって笑って答えてくれた。

 ジャンプして食器棚からカップを取り出そうとするお祖母ちゃんを、イズナが手助けする。

「姫様がお茶を淹れるなんて、いけません」

「孫が遊びに来てるんだ。持て成しくらい自分でやらせよ。邪魔だ、下がっておれ」

 お祖母ちゃんはイズナや一族に対し、高圧的な話し方をする。わたしに接する態度とは真逆だ。
 腹に響く命令口調に、わたしはおいなりさんを持ち出す。ミントティーには合わないけれど、キツネにはこれが一番。現にみんなテーブルへ視線を落とす。

「ママがお祖母ちゃんにって! イズナの分もあるはずだから、みんなで食べましょう」

 ギンガムチェックを開き、お弁当箱一杯に詰められたおいなりさんを見せる。するとお祖母ちゃんはカップをイズナへ押し付け、わたしの正面へ腰掛けた。

 思えば部活や期末テストがあり、お祖ちちゃんに会うのは久し振り。お菓子の家の魔女を気取るお祖母ちゃんは、穏やかな笑みを浮かべている。

「あの子は元気かい? 変わりはないかい?」
「うん、ママはとっても元気よ! そう言えばこの間ね――」

 お祖母ちゃんはわたしに会いながらママにも会うから、他愛のない日常風景を可能な限り細かく話す。一方、掟を破ったキツネには会ってはならないとお祖母ちゃんは自らに課し、その理由を聞かれないようにもしていた。

 箸を待てず、おいなりさんをつまむお祖母ちゃん。そこへイズナがミントティーを持ってきた。

「はい、マユ様の分です」
「ありがとう」

 さっきは何も言わずに走り出したのに、イズナは訳を聞いてこない。知りたがりもしない。まぁ、問い詰められたらそれはそれで困ってしまうんだけれども。
 お祖母ちゃんもイズナも、わたし単体で接してくれたらいいのに。わたしだけを見て欲しいのに。
 グラスに浮かぶミントの葉を眺める。マユは欲張りだ、映り込むわたしから忠告された。

 ぼーとしているうち、お祖母ちゃんとイズナがわたしについて話し合っている。
 半妖であるわたしが一族の長になるにはどうしたらいいかなど、もはや永遠のテー マ。
 わたしには耳も尾もない。九尾のキツネの血を引く稀有な存在だとしても、狐火すら作り出せない。
 ママがわたしを守る為、一度だけ放った狐火の映像が頭の中で流れる。ママの狐火はとても温かくて、いい匂いがしたっけ。


「どうします? マユ様」
「へ?」

 イズナに覗き込まれ、我に返った。

「へ? じゃない。今は夏休みじゃろ? どうじゃ、キツネの里に行ってみないか?」
「キツネの里って」
「もしかしたら何かご予定でもあるんですか?」

 高田くんに夏休みの課題を一緒にやろうと誘い、断られたのを知っているイズナが言う。

「予定は特に無いけど。心配してるのは半妖のわたしが――」
「誰じゃ! ワシの可愛い孫を半妖呼ばわりするのは!」

 しまった、思った時は遅かった。
 お祖母ちゃんは身を乗り出し、九つの尾を逆立てる。ぎりり、爪をテーブルに立てて、すぐさまゴルフボールくらいの穴を開けてしまった。
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