マユツバ

 玄武は突き当たりにある重厚な扉を開き、わたしを放り込む。幸い、落下地点には敷物が敷いてあって痛みは少ない。腰を擦ろうとした手が掴まれた。

「マユユ」

 室内は薄暗い。それでいてとても静かで。前髪に隠れる瞳に後退りしたら、次は顎を持たれ顔を近付けられた。暗がりの方が異性を意識させる。鼻先に油の臭いが届く。

「マユユ、逃げたらダメ」

 言われても身を捩り、拒絶が玄武の表情を厳しくさせた。怒りとは少し違う雰囲気、たぶん玄武を傷付けてしまったのだ。
 早くフォローしなければ。考えが纏まらないうち、わたしは続ける。

「あ、あの、でも。いきなりこういうのって」
「こういうのって?」

 自由な左手で敷物を握り、言葉を探す。すると冷たい物が指に触れた。何気なくそれを引き寄せた時、事態はさらに悪化してしまう。

「それって僕のものになる位なら、自害するって意味?」

 わたしは小刀を握っていた。しかも、刃先は自分に向いている。

「どうなの? 答えてマユユ」

 偶然を飲み込めず刀を見詰めるわたし、急かす玄武。玄武は刃先を露にし、刃先を覆っていた包みは足下へ落とす。

 状況を茶化したり誤魔化す真似は出来そうもない。こんな場所、こんな形で求められるなんて。泣いた所で仕方ないと分かっていても、恐怖で涙が込み上げてきてしまう。

「マユユ、なんで泣くの? 泣く程、僕のものになりたくないの?」
「泣いてません」

 正確には涙を溢してません、だ。わたしは極力瞬きを控え、玄武からも目を離さない。

「あの、こちらの世界では、その。好きな相手じゃなくても、えっと――」
「九尾は妖力を高める手段とし、様々な男と寝所を共にするよ。だから僕を利用したらいい、僕もその分のマユユを貰うから」

 倫理を熱心に説けば耳を傾けてくれるんじゃないかと期待するのは、やっぱり好きでもない相手と朝を迎える事を避けたいからだ。それに利用、と言うのも違うと思う。
 わたしは首を横に振った。

「そっか、マユユは僕の事が嫌いって事だ」
「ち、違います!」

 伏し目がちになる玄武を止めた。前髪のカーテンに引っ込まれたら、話し合いにならない。

「じゃあ、好き?」
「い、いや好きかって言われると……」
「なら、嫌いなんだ」
「だから嫌いって訳じゃ」

 玄武において嫌いは完全な否定、好きは全てを受け止めるものらしい。呼吸が絡む距離で、わたし達は交わらない価値観のやりとりを始める。

「わたしに耳や自転車を与えた見返りとして、その、あの、えっと」

 直接的な単語は言い難い。頬が熱くなってきた。

「僕はマユユに役に立つカラクリをあげた、その対価としてマユユを貰うんだ」
「ちなみにカラクリをお返ししますって言ったら?」
「え? こんなに似合うのに?」

 キツネ耳に触れられる。何回かに一回、前髪も一緒に撫でられ、くすぐったい。

「この耳は役に立つものだよ。不要だとは言わせない!」

 製作者としての意地が響く。

「現にマユユにこんなにも馴染んでる」
「朱雀様や白虎様には大笑いされましたけど、これ」
「そう? でも僕がマユユに似合うと分かっていれば問題ないし」

 自分も耳へ手を伸ばすと、玄武が繋いでくる。照れが涙を乾かし、視線を玄武から外させた。

「好きでも嫌いでもないって、どういう意味? もしかして――普通って事?」
「あ、は、はい! そう、そうなんです、普通です。あ、普通ってあやかしの世界にもある基準ですよね?」
「あるよ」

 わたし達の関係に適切なピースをはめられたと安堵したのも一瞬、玄武は普通と位置付けられるのを拒む。繋いだ指に力を込め、理由を伝えられる。

「僕は普通じゃない。政にろくに参加せずカラクリを作り、玄武の才を疑われる時だって、僕が普通じゃないからって事で納得されるんだ。だから好きでも嫌いでもなく、普通ってなると困る」
「普通じゃないって……」

 高らかに明言しなくとも、玄武が変わっている認識はある。

「お願い、マユユ。僕を困らせないで」

 もちろん、玄武を困らせるつもりなど全く無いし、逆に困っているのはこちらじゃないか。しかも、玄武が本気で困っている様にも思えない。
 どうせ大した感情を込めず言っているに違いない。こっそり確かめてみる。

「僕は普通であってはならないんだ」

 目が合った途端、玄武はわたしを胸へ押し込み鼓動を聞かせる。旋毛に降る声が文句を言えなくさせ、互いの価値観に変化をもたらすのが分かる。
 こうしてくっ付いていたら、ひとつの答えになれるかもしれないって。

「もしかして、玄武様は頑張って普通じゃないように振る舞ってるとか?」
「頑張ってはいない、ただ偽ってる部分はあるよ」

 袂から雪の華を一輪取り出す、玄武。そう言えば華をキレイだと言った際、彼は複雑な態度を取ったっけ。

「この華は本来、鴉避けに使われるものじゃなかった。幼馴染みの誕生日に贈ったカラクリだったんだ」

 玄武は人の耳に訴えたいと示す。髪を耳にかけられ、もう赤さを隠せない。玄武は勝手に茹で上がるわたしを見て、少し笑った。
 笑って、唇を噛む。

「僕だって鴉は憎い。けど、カラクリで鴉を退治するのは好かないんだ。カラクリが誰かを傷付けるものにならないよう願うのが普通じゃないのなら、僕は普通じゃなくていい」

 わたしには至極真っ当な発言と受け取れる。だから、そんな罪を告白するみたいにしなくてもいいのに。
 握り締めていた刀を手放し、目の前に露呈される苦悩を撫でる。すると玄武が回された手に見開く。

「どうして、撫でるの?」
「さっき撫でてくれたお返しです」
「対価?」
「うーん、対価とはちょっと違います。わたしがしたいだけですから、この分のお返しはいりません」
「それって与えるだけになるけど?」
「はい、いいんです」

 ふぅ、息を抜きながら玄武が体を預けてきた。

「わたし、そういう普通じゃないなら良いと思いました」
「……なんかマユユに言われると、本当に非常識をしている気分になる」
「な、なんですか! それ」
「だって対価を求めないのも、普通じゃないよ?」
「人間は見返りを求めないで行動する事もあるんです!」

 玄武の顔が肩に乗せられ、かなりの密着度で下手に動けない。

「あの、聞いてます? 寝てませんよね?」
「うん、大丈夫。夢心地だけど……」
「玄武様!」
「マユユは与えた分だけ返してくれるって葛の葉が言ったから、僕ごとあげようとしたけど止めた」
「……僕ごとって」
「全部あげちゃうのも、貰うのも勿体無い気がしてきたんだ。じゃ、おやすみ」

 玄武はさっそく寝息をたて出す。幼馴染みに贈ったと言う華を携え、彼はどんな夢を見るんだろう。とりあえず足が痺れるまでは、この体勢を保っていようと決めた。
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