マユツバ
2
わたしが生まれる前に比べ、半妖達の扱いが向上しているのは、お祖母ちゃんのお陰だとイズナが教えてくれた。
お祖母ちゃんはわたしが半妖と蔑まれるのが許せない。九尾のキツネの影響力は他の妖怪にも及ぶから、鶴の一声ならぬキツネの一声で、半妖を無暗に傷付ければ罰が与えられるようになったそうだ。
ただ、何千年、何万年との間、異形な者と忌み嫌ってきた半妖をいきなり仲間と受け入れるのは難しい。ママやわたしを想うあまり作ってしまった新ルールは賛否両論。
とは言え、表立ってお祖母ちゃんに異論を唱える者は一部で、九尾のキツネの資質が問われているのも確かだ。
きっとキツネの里に誘うのも、九尾のキツネの責務を果たす為に違いない。17才の儀式をわたしにさせたいんだろう。ママがこっそり明かしてくれたのは、キツネは17才で嫁入りする相手を選ぶんだってしきたりだ。
「お、落ち着いて下さい! 姫様」
「離せ! マユを愚弄する輩など生かしては置けぬ!」
椅子を蹴ってお祖母ちゃんは出て行こうとする。手に負えない怒りを帯びたお祖母ちゃんは銀色に輝く。いつ見ても美しい狐火に心を奪われていたら、そのドアは外側から開けられる。
お祖母ちゃんは訪問者の胸板に弾かれ、尻餅をついてしまった。イズナが慌てて駆け寄るが、見下ろす声は辛辣だ。
「おいおい、世代交代前の九尾のキツネは足腰も弱いのかよ」
「……白虎」
差し出された手を振り払い、お祖母ちゃんは立ち上がる。
白虎、彼はわたしみたいな末端まで認識される白いキツネ。わたしがこうして遊びに来ている時、何度か一緒になっているんだけど、白虎がわたしを認識する事は無かった。
「孫が遊びに来てるんでね、さっさとお帰り」
ノブを取ろうとする仕草を、白虎が尾で叩く。すぐさまイズナが白虎を諌める。
「白虎様、御前達の前ですよ?」
「――達?」
顎まで伸びた髪を掻き上げ、切れ長に睨まれる。白虎は男性のくせ、この距離からでも羨める艶やかな肌を持つ。
確かに目が合ったはずなのに、白虎はイズナへ肩を竦める。ちゃらちゃら、とバカにするみたいに装飾品を鳴らして。
そして、原色の装飾品等が良く映える容姿は場を凍り付かす事を言い出す。
「九尾のキツネ、後継者の件は俺で決まりでだろ? あんたには娘も孫も居ないんだ」
「白虎! 口を慎め!」
イズナの青い狐火を白虎はふ、と吹き消す。お祖母ちゃんはその様子を無表情で見上げていた。
「青キツネくん、勘違いして貰っちゃ困る。俺は真実を姫様に申し上げているだけ。な? そうだろ?」
「マユ様を侮辱するつもりか!」
また、白虎と目が合う。視界に入ってはいるけど見えない振りをされる。
「ああ! そうだ。誰かから夢物語を聞かされた事があったなぁ。九尾のキツネの血を引く半妖が居て、一族の長にさせたいんだって」
「貴様!」
イズナが牙を剥いた瞬間、お祖母ちゃんが銀色の光りに包まれた。その場の全員が目映さに目を伏せ、同じタイミングで顔を上げる。
そこには世界中の男を虜に出来ると豪語する――九尾のキツネが居た。
「玄関先で揉めているのも何だ。白虎、イズナ、それにマユもテーブルにおつき」
女性の姿のお祖母ちゃんには抗えない色香がある。香りに引き寄せられ、わたし達は言われた通り席に着く。
「隠していても仕方無い。ワシが幼女の姿でいるのは、この姿だと妖力の消耗が激しいからじゃ」
「やっぱりな。娘や孫を見守るって理由だけじゃ、人間界で暮らす動機としちゃ薄いと思ったぜ!」
「あ、あの!」
白虎に飲み掛けのグラスを取られ、それは自分の物だと主張するも――無視される。
それを見たイズナが新しい物を用意しようとし、お祖母ちゃんが止めた。
「白虎の言った通り、九尾のキツネも世代交代が近い」
「姫様!」
中腰の姿勢でお祖母ちゃんと向き合うイズナ。イズナはゆっくりかぶりを振る。
「認めろよ、青キツネ」
わたしの隣で足をテーブルに上げる白虎。振動でグラスは引っくり返って、スカートを濡らした。
「マユ様!」
イズナがすぐ水滴を拭いてくれる。腰掛けたまま拭われるので、イズナは膝まずく格好だ。白虎はそんなイズナへ心底軽蔑した眼差しを送り、わたしは軽蔑の対象すらなれない。
「一族の安泰を願うなら、早めに後継者を指名して還りなよ。簡単だろ? 俺を選べばいい」
「……お祖母ちゃん、長を辞めなきゃいけないくらい体調が良くないの?」
イズナに聞いたつもりだった。けれど、わたしの声は6つのキツネ耳が拾う。
「マユ、今すぐに逝くって話じゃないんだよ。九尾のキツネは何万年と生きたキツネであると同時に、永く生き過ぎたキツネでもあるんだ。時期が来たら休息が必要なんじゃよ」
「それって死んじゃうって事なんでしょう? わたし、お祖母ちゃんが居なくなるなんて嫌!」
お祖母ちゃんの静かに組まれた指先に訴える。
「嫌! 世代交代したら、お祖母ちゃんは死んじゃうって事なんでしょ? そんなの絶対嫌!」
「マユ様!」
お祖母ちゃんは優しくわたしの手を剥がし、イズナに席へ戻された。
「うむ、ちょうど良い機会なのかもしれぬ。マユ、お前に話がある」
お祖母ちゃんはわたしが半妖と蔑まれるのが許せない。九尾のキツネの影響力は他の妖怪にも及ぶから、鶴の一声ならぬキツネの一声で、半妖を無暗に傷付ければ罰が与えられるようになったそうだ。
ただ、何千年、何万年との間、異形な者と忌み嫌ってきた半妖をいきなり仲間と受け入れるのは難しい。ママやわたしを想うあまり作ってしまった新ルールは賛否両論。
とは言え、表立ってお祖母ちゃんに異論を唱える者は一部で、九尾のキツネの資質が問われているのも確かだ。
きっとキツネの里に誘うのも、九尾のキツネの責務を果たす為に違いない。17才の儀式をわたしにさせたいんだろう。ママがこっそり明かしてくれたのは、キツネは17才で嫁入りする相手を選ぶんだってしきたりだ。
「お、落ち着いて下さい! 姫様」
「離せ! マユを愚弄する輩など生かしては置けぬ!」
椅子を蹴ってお祖母ちゃんは出て行こうとする。手に負えない怒りを帯びたお祖母ちゃんは銀色に輝く。いつ見ても美しい狐火に心を奪われていたら、そのドアは外側から開けられる。
お祖母ちゃんは訪問者の胸板に弾かれ、尻餅をついてしまった。イズナが慌てて駆け寄るが、見下ろす声は辛辣だ。
「おいおい、世代交代前の九尾のキツネは足腰も弱いのかよ」
「……白虎」
差し出された手を振り払い、お祖母ちゃんは立ち上がる。
白虎、彼はわたしみたいな末端まで認識される白いキツネ。わたしがこうして遊びに来ている時、何度か一緒になっているんだけど、白虎がわたしを認識する事は無かった。
「孫が遊びに来てるんでね、さっさとお帰り」
ノブを取ろうとする仕草を、白虎が尾で叩く。すぐさまイズナが白虎を諌める。
「白虎様、御前達の前ですよ?」
「――達?」
顎まで伸びた髪を掻き上げ、切れ長に睨まれる。白虎は男性のくせ、この距離からでも羨める艶やかな肌を持つ。
確かに目が合ったはずなのに、白虎はイズナへ肩を竦める。ちゃらちゃら、とバカにするみたいに装飾品を鳴らして。
そして、原色の装飾品等が良く映える容姿は場を凍り付かす事を言い出す。
「九尾のキツネ、後継者の件は俺で決まりでだろ? あんたには娘も孫も居ないんだ」
「白虎! 口を慎め!」
イズナの青い狐火を白虎はふ、と吹き消す。お祖母ちゃんはその様子を無表情で見上げていた。
「青キツネくん、勘違いして貰っちゃ困る。俺は真実を姫様に申し上げているだけ。な? そうだろ?」
「マユ様を侮辱するつもりか!」
また、白虎と目が合う。視界に入ってはいるけど見えない振りをされる。
「ああ! そうだ。誰かから夢物語を聞かされた事があったなぁ。九尾のキツネの血を引く半妖が居て、一族の長にさせたいんだって」
「貴様!」
イズナが牙を剥いた瞬間、お祖母ちゃんが銀色の光りに包まれた。その場の全員が目映さに目を伏せ、同じタイミングで顔を上げる。
そこには世界中の男を虜に出来ると豪語する――九尾のキツネが居た。
「玄関先で揉めているのも何だ。白虎、イズナ、それにマユもテーブルにおつき」
女性の姿のお祖母ちゃんには抗えない色香がある。香りに引き寄せられ、わたし達は言われた通り席に着く。
「隠していても仕方無い。ワシが幼女の姿でいるのは、この姿だと妖力の消耗が激しいからじゃ」
「やっぱりな。娘や孫を見守るって理由だけじゃ、人間界で暮らす動機としちゃ薄いと思ったぜ!」
「あ、あの!」
白虎に飲み掛けのグラスを取られ、それは自分の物だと主張するも――無視される。
それを見たイズナが新しい物を用意しようとし、お祖母ちゃんが止めた。
「白虎の言った通り、九尾のキツネも世代交代が近い」
「姫様!」
中腰の姿勢でお祖母ちゃんと向き合うイズナ。イズナはゆっくりかぶりを振る。
「認めろよ、青キツネ」
わたしの隣で足をテーブルに上げる白虎。振動でグラスは引っくり返って、スカートを濡らした。
「マユ様!」
イズナがすぐ水滴を拭いてくれる。腰掛けたまま拭われるので、イズナは膝まずく格好だ。白虎はそんなイズナへ心底軽蔑した眼差しを送り、わたしは軽蔑の対象すらなれない。
「一族の安泰を願うなら、早めに後継者を指名して還りなよ。簡単だろ? 俺を選べばいい」
「……お祖母ちゃん、長を辞めなきゃいけないくらい体調が良くないの?」
イズナに聞いたつもりだった。けれど、わたしの声は6つのキツネ耳が拾う。
「マユ、今すぐに逝くって話じゃないんだよ。九尾のキツネは何万年と生きたキツネであると同時に、永く生き過ぎたキツネでもあるんだ。時期が来たら休息が必要なんじゃよ」
「それって死んじゃうって事なんでしょう? わたし、お祖母ちゃんが居なくなるなんて嫌!」
お祖母ちゃんの静かに組まれた指先に訴える。
「嫌! 世代交代したら、お祖母ちゃんは死んじゃうって事なんでしょ? そんなの絶対嫌!」
「マユ様!」
お祖母ちゃんは優しくわたしの手を剥がし、イズナに席へ戻された。
「うむ、ちょうど良い機会なのかもしれぬ。マユ、お前に話がある」