マユツバ
帰り道、青い花
1
さっそく明日からキツネの里に行く事が決まった、帰り道。いつもなら一気に坂道を下るんだけど、今は自転車を押したい心境。
気付けば夕方でオレンジ色が広がる。結局、おいなりさんを残してしまい、申し訳無さでますます足取りは重い。挙げ句、里の案内をしてくれるのが、あの白虎なのだ。
もちろん、白虎は嫌がった。でもお祖母ちゃんがお願いから命令に切り替えた事で、最終的には従うしかなくなったみたい。
イズナも付き添ってくれるらしいが、明日は学校に用事があり遅れて来るそうだ。
ひょっとして、イズナは教師という人を育てる職業に目覚めてしまったんだろうか。あやかしで校内に紛れているうち、自分の本当にやりたかったものと出会う――。
なんて。隣を無言で歩く青いキツネに限って、そんな事態は起きないか。
「何ですか? 私の顔に何か付いてますか?」
「イズナ先生! 先生は意地悪な顔が板に付いてます」
「マユ様は面白い事を仰いますね……時々ですが」
「滅多にない機会なら、尚更笑いなさいよ」
言い放ち、前を向く。その笑わない唇は白虎によって切られている。
イズナは一族の中で特殊な立場であると聞かされてたから、白虎のような高位のキツネと同等と勝手に思っていた。実際は白虎の方が上らしい。
白虎は去り際、イズナを殴り付けた。しかも殴ると宣言してから。避ける技術や防御する知恵だってあるはずのイズナは黙って目を瞑るだけで、お祖母ちゃんも白虎を咎めなかった。
ああ、キツネの世界はややこしい。
わたしは立ち止まり、枝を伸ばす木々を見上げる。それそれ自由に伸びているようで、本当は伸ばせる方向も花を付ける位置も決まってるんだよね。
「あれが欲しいんですか?」
す、手が出され、白い小さな花が摘まれる。別に花が欲しくて見上げていたんじゃないと言う前に、イズナは花をわたしの髪へ飾った。
「キツネの里では今頃、青い花が咲いているでしょう」
「へー、なんて花?」
「――さぁ、どうでしたか。忘れてしまいました。こちらでは見掛けない花なので」
「イズナも暫く里に帰ってないの?」
髪を撫でていた指が止まる。
「あ! もしかして、わたしの監視をしなきゃいけないから、帰れてないとか?」
そうだったら悪い事をした。戸惑いから左右に振る頬をイズナは固定し、頬を両手で覆われる。夕日を背にしたイズナは不思議な色をしている。優しいお日様のようで、冷たい海みたい。指先も優しいのか冷たいのか、感じ取れない温度。
ただ、ひとつ。わたしはこの手に何度も救われてきた。
「里には逢いたい者も、私の帰りを待っている者もおりませんから大丈夫です」
「……それって全然大丈夫じゃないじゃん。かなり寂しい事よ」
今度はイズナがかぶりを振って、わたしが覆う番だ。触れようとし――。
「マユさん」
ふいに下から呼ばれた。慌ててイズナを突き飛ばそうとする手が空振り、バランスを崩す。イズナはいち早く察知し、わたしの影へ入り込んだ様だ。
「た、高田くん。こ、こ、こんばんはー」
影から冷やかな視線を感じ、踏みつけてやる。高田くんはわたしの妙な姿勢と不可解な仕草に傾く。
「僕は塾の帰りなんだけど、マユさんはお姫様ごっこ?」
「え?」
お姫様の言葉にドキッとしたが、高田くんはわたしの頭の上をつついている。
「あ、あぁ! これは」
「似合ってるよ。でもマユさんはアップにした方がもっといいかも。昨日、浴衣姿見て思った」
高田くんは自然とわたしから自転車を取り、二人乗りを目線で提案してきた。
「いやあの、わたし重いから」
「え? 何言ってるの? マユさんは華奢過ぎる位だよ。さ、座って」
「……う、うん」
ムダな抵抗だって知りつつ、浅く腰掛けてみる。高田くんがサドルに跨がると、足が窮屈そうだ。わたし達はその少し汚れたスニーカーを見合い、微笑む。
「良かった」
「え?」
「マユさんに嫌われちゃったと思ってた」
「な、なんで?」
足をずり、ブレーキを掛けつつ、ゆっくり自転車は坂道を下る。わたしは高田くんに触れないよう意識し、それを急に振り向いた高田くんに見破られてしまう。
「あれ、やっぱり怒ってる? 僕に触れたくなくて、そんな体勢とか?」
「いや、あのそうじゃなくて。逆にわたしに触られたら迷惑じゃない?」
いっそ降りてしまおうとすると、高田くんが思い切りブレーキを握った。つんのめった拍子にわたしは高田くんへ抱き付いてしまう。
目の前が高田くんの着たTシャツになる。そして柔軟剤の匂いにも包まれる。
「課題を一緒にやろうって言われて、本当は嬉しかったんだ」
「え?」
顔を上げると、高田くんが照れくさそうに続ける。
「でも、二人っきりになったら勉強どころじゃなくなっちゃう気がしてさ。うん。なんて言うか、クラスの奴等も言ってたけど、マユさんってふとした瞬間がやばいんだよ」
「やばい?」
「――うん、例えば今とか」
高田くんの顔が近付いてきた。くっきり二重が意味深に伏せられ、あ、高田って睫毛が長いんだ。
「いって!」
「へ?」
突然、高田くんは痛みを訴え、自転車を降りていく。
気付けば夕方でオレンジ色が広がる。結局、おいなりさんを残してしまい、申し訳無さでますます足取りは重い。挙げ句、里の案内をしてくれるのが、あの白虎なのだ。
もちろん、白虎は嫌がった。でもお祖母ちゃんがお願いから命令に切り替えた事で、最終的には従うしかなくなったみたい。
イズナも付き添ってくれるらしいが、明日は学校に用事があり遅れて来るそうだ。
ひょっとして、イズナは教師という人を育てる職業に目覚めてしまったんだろうか。あやかしで校内に紛れているうち、自分の本当にやりたかったものと出会う――。
なんて。隣を無言で歩く青いキツネに限って、そんな事態は起きないか。
「何ですか? 私の顔に何か付いてますか?」
「イズナ先生! 先生は意地悪な顔が板に付いてます」
「マユ様は面白い事を仰いますね……時々ですが」
「滅多にない機会なら、尚更笑いなさいよ」
言い放ち、前を向く。その笑わない唇は白虎によって切られている。
イズナは一族の中で特殊な立場であると聞かされてたから、白虎のような高位のキツネと同等と勝手に思っていた。実際は白虎の方が上らしい。
白虎は去り際、イズナを殴り付けた。しかも殴ると宣言してから。避ける技術や防御する知恵だってあるはずのイズナは黙って目を瞑るだけで、お祖母ちゃんも白虎を咎めなかった。
ああ、キツネの世界はややこしい。
わたしは立ち止まり、枝を伸ばす木々を見上げる。それそれ自由に伸びているようで、本当は伸ばせる方向も花を付ける位置も決まってるんだよね。
「あれが欲しいんですか?」
す、手が出され、白い小さな花が摘まれる。別に花が欲しくて見上げていたんじゃないと言う前に、イズナは花をわたしの髪へ飾った。
「キツネの里では今頃、青い花が咲いているでしょう」
「へー、なんて花?」
「――さぁ、どうでしたか。忘れてしまいました。こちらでは見掛けない花なので」
「イズナも暫く里に帰ってないの?」
髪を撫でていた指が止まる。
「あ! もしかして、わたしの監視をしなきゃいけないから、帰れてないとか?」
そうだったら悪い事をした。戸惑いから左右に振る頬をイズナは固定し、頬を両手で覆われる。夕日を背にしたイズナは不思議な色をしている。優しいお日様のようで、冷たい海みたい。指先も優しいのか冷たいのか、感じ取れない温度。
ただ、ひとつ。わたしはこの手に何度も救われてきた。
「里には逢いたい者も、私の帰りを待っている者もおりませんから大丈夫です」
「……それって全然大丈夫じゃないじゃん。かなり寂しい事よ」
今度はイズナがかぶりを振って、わたしが覆う番だ。触れようとし――。
「マユさん」
ふいに下から呼ばれた。慌ててイズナを突き飛ばそうとする手が空振り、バランスを崩す。イズナはいち早く察知し、わたしの影へ入り込んだ様だ。
「た、高田くん。こ、こ、こんばんはー」
影から冷やかな視線を感じ、踏みつけてやる。高田くんはわたしの妙な姿勢と不可解な仕草に傾く。
「僕は塾の帰りなんだけど、マユさんはお姫様ごっこ?」
「え?」
お姫様の言葉にドキッとしたが、高田くんはわたしの頭の上をつついている。
「あ、あぁ! これは」
「似合ってるよ。でもマユさんはアップにした方がもっといいかも。昨日、浴衣姿見て思った」
高田くんは自然とわたしから自転車を取り、二人乗りを目線で提案してきた。
「いやあの、わたし重いから」
「え? 何言ってるの? マユさんは華奢過ぎる位だよ。さ、座って」
「……う、うん」
ムダな抵抗だって知りつつ、浅く腰掛けてみる。高田くんがサドルに跨がると、足が窮屈そうだ。わたし達はその少し汚れたスニーカーを見合い、微笑む。
「良かった」
「え?」
「マユさんに嫌われちゃったと思ってた」
「な、なんで?」
足をずり、ブレーキを掛けつつ、ゆっくり自転車は坂道を下る。わたしは高田くんに触れないよう意識し、それを急に振り向いた高田くんに見破られてしまう。
「あれ、やっぱり怒ってる? 僕に触れたくなくて、そんな体勢とか?」
「いや、あのそうじゃなくて。逆にわたしに触られたら迷惑じゃない?」
いっそ降りてしまおうとすると、高田くんが思い切りブレーキを握った。つんのめった拍子にわたしは高田くんへ抱き付いてしまう。
目の前が高田くんの着たTシャツになる。そして柔軟剤の匂いにも包まれる。
「課題を一緒にやろうって言われて、本当は嬉しかったんだ」
「え?」
顔を上げると、高田くんが照れくさそうに続ける。
「でも、二人っきりになったら勉強どころじゃなくなっちゃう気がしてさ。うん。なんて言うか、クラスの奴等も言ってたけど、マユさんってふとした瞬間がやばいんだよ」
「やばい?」
「――うん、例えば今とか」
高田くんの顔が近付いてきた。くっきり二重が意味深に伏せられ、あ、高田って睫毛が長いんだ。
「いって!」
「へ?」
突然、高田くんは痛みを訴え、自転車を降りていく。