マユツバ
四方のキツネ

 キツネの里に来るはずが、鴉の街とやらに辿り着いてしまった。
 あれから男はわたしを拘束し、主の屋敷へ向かうと言う。道中、好奇の視線が方々から浴びせられ、黒装束に「マユツバ、マユツバ」と騒がれた。

「ねぇ、マユツバって、わたしに唾を吐きたいって事?」

 半妖であるわたしでさえ、こんなにも鴉への嫌悪が有り余る。未だ何かされた訳ではないのに、鴉を見ると許せない気持ちが込み上げてきた。
 街並みが人の世界と大差ない雰囲気でも受け付けない。一秒でも早く、ここから去りたい。質感は柔らかいが、手錠はびくともしなかった。

「は?」

 質問から少しして、反応を見せる。

「まさか、マユツバをご存知無いんですか? キツネの姫は噂以上に愚かなんですね」

 わたしが鴉を拒否するのと同じく、鴉だってわたしの中に流れるキツネを認めない様子。

 お祖母ちゃんはキツネや鴉、蛇も狸も互いに手を取り合うべきと論じ、わたしもこれまでは賛成だった。当然、争いなど無い方がいいに決まってるから。
 でも、そう頭では理解出来ても、それを身体で納得するのは簡単な事じゃない。言うならばわたしの血、血が鴉に反発する。この気持ちを鎮めるのは大変。余程の理性を伴っていなければ牙を剥いてしまう。

 まぁ、わたしに牙は無いんだけど。あるのは八重歯くらい。

「マユツバとは悪い女キツネに惑わされない為のおまじないです」

 男はフードを取り額を上げ、ぺろっと舐めた指で眉をなぞり始める。きりりと上がった眉尻まで来ると、わたしの分に手を伸ばしてきた。
 わたしはすかさず避ける。が、引き寄せられて訝しげな眉をなぞられる。

「ほらマユツバ、マユツバって、ね? あぁ、でも自分は唾を吐く方がいいかもしれません。あなたの様なキツネの姫に惑わされるなど、有り得ませんから」
「それはわたしが半妖だから?」

 どんな醜い素顔かと思えば、それ程でも無かった。ううん、むしろ容姿は整っている。黒髪に黒い目、表情には何処か引き摺られる暗さがあるけど、それが逆に覗きたくさせるんだ。
 誘われる感じ。何を考え、わたしをどう映してるのか。知りたいだろうって、挑発的。

「半妖だから? いいえ、キツネの姫が色気を持っていないからですよ。色香の無い九尾など、翼の無い鴉同然」


 叩き付ける音がしたかと思ったら、それは羽ばたきだった。目の前に翼が広げられる。翼は向こう側を一切透かさない。

「……飛べるの?」

 無意識でわたしの口が動く。男は問い掛けに飽きれた顔を浮かべる。

「鴉は合理主義です。飛べない翼を背負う程、愚かではありませんよ。その点、キツネは無駄が大好きですよね?」
「は?」
「――例えば、一匹の為にわざわざ長がやってくるとか」

 翼が閉じられると同時に、銀色の炎が掠めていった。男はわたしの肩を抱き、炎が放たれた方向へ付き出す。

「マユ!」

 そこには赤い着物のお祖母ちゃん、白虎、それから知らないキツネが立っている。

「無事かい? 酷い目に遭わされなかったかい?」
「お祖母ちゃん!」

 駆け寄ろうとし、髪を捕まれた。

「痛い! 痛い! 離して!」
「離しません。あなたは主の花嫁になるべく、自分が招いたのですから。それにしても九尾のキツネ様、四方のキツネを連れてやって来るなど仰々しいですね? もしかして、これがキツネの嫁入りってやつですか?」

 容赦ない手付きに顎が上がり、男は耳元で囁く。

「良い子にしていなさい」

 低い声に身の毛がよだつ。

「嫌、離して!」
「鴉! マユを離せ!」

 お祖母ちゃんの言葉に、白虎が乱暴に近寄ってきた。白虎は男の手を何も言わず払い除け、わたしを自分の後ろに隠す。

「痛いですね」
「……命令なんでね」

 面倒な声を出す白虎。わたしは構わず、お祖母ちゃんの側へ。両手を広げて迎え入れてくれる、その胸がわたしの居場所だと思った。


「マユ、ごめんよ? 怖かっただろう?」
「ううん、助けに来てくれてありがとう! わたし、イズナとはぐれちゃったみたいで」
「……イズナ?」

 お祖母ちゃんと抱き合う様を冷ややかに見ているキツネ。

「あなたは?」

 お礼を言いたくて、名前を訊ねてみる。すると赤色の髪が不機嫌な揺れ方をした。

「残念だけど、君に名乗るような安っぽい名前は持ち合わせていないんだ」
「朱雀!」

 お祖母ちゃんが声を張り上げる。でも、そう言われるのが分かっていた朱雀の耳は明後日を向いていた。

「九尾、ボク達は九尾の命令だから、この半妖を助けるのに手を貸しただけだよ。じゃなきゃ、鴉の街になど近寄りたくもない」
「この際さ、半妖なんて鴉にくれてやればいいんじゃねぇの? あちらから、わざわざ貰ってくれるって言ってるんだしさ。九尾の名は俺が継いでやるって」

 朱雀と呼ばれたキツネに便乗し、白虎が言う。

「おやおや、どうやら一枚岩ではない様で」

 男は叩かれた手を大袈裟に撫でつつ、わたしを見据えた。

「それとも求心力の衰えをご披露下さったんですか? では永い間、あやかしを牽引されてきたキツネの一族も御役御免って事で宜しいでしょうか?」

 この発言にはわたし以外、殺気立つ。

「言わせておけば、この鴉! 大体、お前等は陰気でケチ臭い! そんな奴等に世界を仕切らせたら、それこそお先真っ暗じゃねぇか」
「あはは、確かに。鴉には華がない。九尾を始め、ボク達は他者を惹き付ける魅力があるし」

 言う通り、キツネは華美だ。纏う衣装、装飾品。それから振舞いも尊大で、鴉と対峙すれば光と影みたい。

「はー、もうよい。マユさえ取り戻せればワシは事を荒げるつもりはない。鴉の棟梁に花嫁が必要なら、ワシからも探してやろう」

 お祖母ちゃんの顔色が悪い。

「お祖母ちゃん?」
「大丈夫じゃ、鴉の街の空気はキツネには合わないだけ。マユが心配する事は何もないよ」

 わたしの手を取り、裾を翻すお祖母ちゃん。白虎と朱雀も未だ言い足らなそうだけど、後に続く。

「本当に心配事は何も無いんでしょうか?」

 男は意味深に投げ掛ける。

「主の花嫁候補はその姫だけではありません。九尾の血をもっと濃く継いだ姫もいらっしゃいますよ」

 ぴたり、お祖母ちゃんが足を止めた。

「我々は一族に九尾の血さえ入ればいいのです。時代に寵愛されてきた血が鴉と交わる、それが新しい時代の始まりであると主は考えているんです」

 周囲から鴉の鳴き声が響く。

「――まさか、お前等は」
「そちらの姫のお母様は、すでに主がお相手をしております」
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