マユツバ
2
「鴉、場合によっては生きて帰せなくなるぞ」
お祖母ちゃんの銀髪が怒りでざわつく。鼻先へ触れるお祖母ちゃんの髪からは懐かしい香りがした。ママと同じ匂い。
「――マユ、危ないから離れていなさい」
「嫌! お祖母ちゃん、そんな体調で……」
言われて、もっと抱き付く。すると、お祖母ちゃんは優しく髪を撫でてくれる。
「あの子と同じ、本当に柔らかくて素直な髪じゃ。ワシはお前達になぁんにもしてやれなかった。すまなかったな」
「嫌、嫌だよ。そんなお別れみたいな言い方は止めて?」
お祖母ちゃんが手錠に触れると、それは弾けた。
「まぁまぁ、そんな御老体に鞭を打ったりせず、交渉の席につかれたらどうですか?」
男がわたし達の前に降り立つ。白虎と朱雀はお祖母ちゃんを庇い、男と対峙した。
「四方の皆さん、情に絆された主に仕えるのは大変でしょう」
「お前に同情されたくねぇよ!」
「でも、ここでやりあうのは分が悪いね」
朱雀が見上げ、空に張り付いた大勢を指差す。と、お祖母ちゃんは小さく呻いて膝を折る。
「お祖母ちゃん!」
「……マユ、ワシは鴉と話をしてくる。あの子は必ずお前の元に帰すから」
「九尾! もしかして身代わりをする気とか?」
朱雀はわたしを押し退け、お祖母ちゃんの肩を上下に振る。
「やめて!」
「うるさいよ! これは半妖が口を出す問題じゃない! 下がっていて!」
今度は大きく突き飛ばされ、鴉の足下で倒れてしまう。白虎が無様なわたしを鼻で笑う。
「朱雀、許せ。どうせ、ワシは永くはない。贄にされても惜しくはないだろ。それにワシがこちらに居る間は少なくとも、鴉は里に手を出さまい」
「冗談じゃない! 九尾は一族の象徴! それが鴉にくだるなんて恥曝しもいいとこだ! 鴉が里に攻めてくるなら、返り討ちにしてやるまでだ」
「同感」
お祖母ちゃんの進路を塞ぐ白虎。
「だから俺が跡目を継いだら、先代の血は絶やしてやるって言ってるんだ。そんなに死にたいなら、さっさと後継を俺にしな」
「白虎、九尾の名はマユにと何度言えば――」
ついにお祖母ちゃんは蹲り、幼女の姿になる。
「お祖母ちゃ―― 痛い!」
駆け寄ろうとする行動を男は握り潰す。肩に男の手が食い込む。
「キツネは本当に愚かだ。着飾るだけで、中身が何も無い。あなたも見ていてそう思うでしょう? うんざりしませんか?」
「離して!」
身を捩ろうとしても敵わない。男は自分の目を見ろ、と顔を近付けてきた。
「主はあなたが半妖であっても差別などしない、あなた自身と接し――その上で愛さないでしょう」
伝えながら、笑いを噛み殺せない男。
「お祖母様を助けたいでしょう? お母様も助けたいのでしょう? なら、あなたがするべき事はひとつ。付いて来なさい」
あえて手錠はかけられない。わたしに選択肢は無いからだ。
「朱雀、白虎、マユを!」
弱々しい狐火が追尾してくると、男の翼がそれを叩き落とす。
「――動かない事です。お忘れですか? 頭上では鴉達があなた方を狙っていますよ。高位なキツネと言えど、あの数では無傷とはいかないでしょう」
勝敗は最初から決まっている、無表情で宣言した。
「あーあ、だから言ったんだよ。策も無しに飛び込んでも、しょうがないって」
朱雀は降参のポーズなのか、両手を上げた。小気味良く関節を鳴らすので緊張感は感じられない。
「それがいいでしょう。さっさと御老体を里へ連れて帰り、跡目争いでもなさったらいい」
「ん、そうだな。そうさせて貰うよ」
白虎はわたしに背を向け、さよならと尾を降る。そして、座り込むお祖母ちゃんを軽々と肩に乗せた。
「何をしている? マユを!」
「ここまで付き合ったんだ。文句は無いだろう?」
お祖母ちゃんの小さな手が、わたしを求めている。
「お祖母ちゃん! ママはわたしが助けるから!」
わたしの決意はお祖母ちゃんに届いただろうか。 白虎が白い光を帯び始めると、朱雀も光の中に入っていった。足下には光の六旁星が描かれており、イズナの時よりはっきりしている。
ポケットから簪を取り出し、握る。
イズナ、お願いイズナ。お祖母ちゃんを助けて。
「鴉撃ち落としカラクリ――出動!」
その時だった。頭上の鴉達が慌て出す。空では勢いよく水飛沫が上がり、次々と鴉が撃ち落とされる。
「ち、玄武か。厄介な奴が来たな。さぁ、キツネの姫、こちらへ。」
鴉はわたしと男の側にも落下してくる。男は仲間を助けるでなく、わたしの手を掴んで進み始めた。
「待って! 仲間はいいの?」
「死んではいないでしょう、構いません」
引き摺られる形で何とか振り返る。白虎と朱雀はきちんとお祖母ちゃんを守っていた。白い狐火がドーム上に広がり落ちてきた鴉を弾き、赤い狐火は空を援護している。
「お祖母ちゃん!」
お祖母ちゃんは白虎の肩の上でぐったりしたまま。
「行きますよ、キツネの姫」
「わたしが大人しく主に会えば、お祖母ちゃん達を里に帰してくれる?」
「……まぁ、今の所は招いたつもりもないし、逆にお帰り頂きたいくらいですよ」
男は乱れる街並みを見回し、ため息をつく。鴉の街は道路や信号機があったり、自販機も設置されていたりと、わたしの住む世界に似ている。ただ家の窓やお店のドアは全て閉まっており、生活感が感じられない。
「車に乗りましょう」
「あなた、車を運転出来るの?」
「なんなら、トランクに詰め込みますか?」
「いや、あの、翼があるのにと思って」
道脇に停まった一台に男は乗り込む。
「主は合理的です。使えると思われれば、人の知恵であっても採用します」
助手席のドアが開かれ、促される。乗り込もうと身を屈めた所で、フロントガラスに何かがぶつかった。
「あんたがマユユ?」
「え?」
イズナとは違う、蒼い狐火がわたしを照らす。
お祖母ちゃんの銀髪が怒りでざわつく。鼻先へ触れるお祖母ちゃんの髪からは懐かしい香りがした。ママと同じ匂い。
「――マユ、危ないから離れていなさい」
「嫌! お祖母ちゃん、そんな体調で……」
言われて、もっと抱き付く。すると、お祖母ちゃんは優しく髪を撫でてくれる。
「あの子と同じ、本当に柔らかくて素直な髪じゃ。ワシはお前達になぁんにもしてやれなかった。すまなかったな」
「嫌、嫌だよ。そんなお別れみたいな言い方は止めて?」
お祖母ちゃんが手錠に触れると、それは弾けた。
「まぁまぁ、そんな御老体に鞭を打ったりせず、交渉の席につかれたらどうですか?」
男がわたし達の前に降り立つ。白虎と朱雀はお祖母ちゃんを庇い、男と対峙した。
「四方の皆さん、情に絆された主に仕えるのは大変でしょう」
「お前に同情されたくねぇよ!」
「でも、ここでやりあうのは分が悪いね」
朱雀が見上げ、空に張り付いた大勢を指差す。と、お祖母ちゃんは小さく呻いて膝を折る。
「お祖母ちゃん!」
「……マユ、ワシは鴉と話をしてくる。あの子は必ずお前の元に帰すから」
「九尾! もしかして身代わりをする気とか?」
朱雀はわたしを押し退け、お祖母ちゃんの肩を上下に振る。
「やめて!」
「うるさいよ! これは半妖が口を出す問題じゃない! 下がっていて!」
今度は大きく突き飛ばされ、鴉の足下で倒れてしまう。白虎が無様なわたしを鼻で笑う。
「朱雀、許せ。どうせ、ワシは永くはない。贄にされても惜しくはないだろ。それにワシがこちらに居る間は少なくとも、鴉は里に手を出さまい」
「冗談じゃない! 九尾は一族の象徴! それが鴉にくだるなんて恥曝しもいいとこだ! 鴉が里に攻めてくるなら、返り討ちにしてやるまでだ」
「同感」
お祖母ちゃんの進路を塞ぐ白虎。
「だから俺が跡目を継いだら、先代の血は絶やしてやるって言ってるんだ。そんなに死にたいなら、さっさと後継を俺にしな」
「白虎、九尾の名はマユにと何度言えば――」
ついにお祖母ちゃんは蹲り、幼女の姿になる。
「お祖母ちゃ―― 痛い!」
駆け寄ろうとする行動を男は握り潰す。肩に男の手が食い込む。
「キツネは本当に愚かだ。着飾るだけで、中身が何も無い。あなたも見ていてそう思うでしょう? うんざりしませんか?」
「離して!」
身を捩ろうとしても敵わない。男は自分の目を見ろ、と顔を近付けてきた。
「主はあなたが半妖であっても差別などしない、あなた自身と接し――その上で愛さないでしょう」
伝えながら、笑いを噛み殺せない男。
「お祖母様を助けたいでしょう? お母様も助けたいのでしょう? なら、あなたがするべき事はひとつ。付いて来なさい」
あえて手錠はかけられない。わたしに選択肢は無いからだ。
「朱雀、白虎、マユを!」
弱々しい狐火が追尾してくると、男の翼がそれを叩き落とす。
「――動かない事です。お忘れですか? 頭上では鴉達があなた方を狙っていますよ。高位なキツネと言えど、あの数では無傷とはいかないでしょう」
勝敗は最初から決まっている、無表情で宣言した。
「あーあ、だから言ったんだよ。策も無しに飛び込んでも、しょうがないって」
朱雀は降参のポーズなのか、両手を上げた。小気味良く関節を鳴らすので緊張感は感じられない。
「それがいいでしょう。さっさと御老体を里へ連れて帰り、跡目争いでもなさったらいい」
「ん、そうだな。そうさせて貰うよ」
白虎はわたしに背を向け、さよならと尾を降る。そして、座り込むお祖母ちゃんを軽々と肩に乗せた。
「何をしている? マユを!」
「ここまで付き合ったんだ。文句は無いだろう?」
お祖母ちゃんの小さな手が、わたしを求めている。
「お祖母ちゃん! ママはわたしが助けるから!」
わたしの決意はお祖母ちゃんに届いただろうか。 白虎が白い光を帯び始めると、朱雀も光の中に入っていった。足下には光の六旁星が描かれており、イズナの時よりはっきりしている。
ポケットから簪を取り出し、握る。
イズナ、お願いイズナ。お祖母ちゃんを助けて。
「鴉撃ち落としカラクリ――出動!」
その時だった。頭上の鴉達が慌て出す。空では勢いよく水飛沫が上がり、次々と鴉が撃ち落とされる。
「ち、玄武か。厄介な奴が来たな。さぁ、キツネの姫、こちらへ。」
鴉はわたしと男の側にも落下してくる。男は仲間を助けるでなく、わたしの手を掴んで進み始めた。
「待って! 仲間はいいの?」
「死んではいないでしょう、構いません」
引き摺られる形で何とか振り返る。白虎と朱雀はきちんとお祖母ちゃんを守っていた。白い狐火がドーム上に広がり落ちてきた鴉を弾き、赤い狐火は空を援護している。
「お祖母ちゃん!」
お祖母ちゃんは白虎の肩の上でぐったりしたまま。
「行きますよ、キツネの姫」
「わたしが大人しく主に会えば、お祖母ちゃん達を里に帰してくれる?」
「……まぁ、今の所は招いたつもりもないし、逆にお帰り頂きたいくらいですよ」
男は乱れる街並みを見回し、ため息をつく。鴉の街は道路や信号機があったり、自販機も設置されていたりと、わたしの住む世界に似ている。ただ家の窓やお店のドアは全て閉まっており、生活感が感じられない。
「車に乗りましょう」
「あなた、車を運転出来るの?」
「なんなら、トランクに詰め込みますか?」
「いや、あの、翼があるのにと思って」
道脇に停まった一台に男は乗り込む。
「主は合理的です。使えると思われれば、人の知恵であっても採用します」
助手席のドアが開かれ、促される。乗り込もうと身を屈めた所で、フロントガラスに何かがぶつかった。
「あんたがマユユ?」
「え?」
イズナとは違う、蒼い狐火がわたしを照らす。