桜縁
第一章
昼間はしんと静まり返り、夜になると男女の営みの場となり、賑やかになる花街。
そんな花街のとある店に、【月】(ツキ)という名の見習い遊女がいた。
彼女は上の姐様達に付きながら、物心がついた時から、芸妓となる修練を積んでいた。
だからか、彼女は自分の両親の顔を知らないし、故郷と呼べる地もない。
普通の女なら悲しいとか、寂しいとか思ったりするのだろうが、月はそんなこと一度も思ったことはなかった。
ここにいて、立派な芸妓となり、今まで助けてくれた【大久保】様にお仕え出来れば良いと考えていたのだ。
この日も、上の姐様【綾子】に付いて、大久保のいる座敷へと向かっていた。
「大久保様、綾子どす。入ってもよろしゅうございましょうか?」
「ああ、入って来い。」
障子が開けられ、綾子に続いて部屋に入る月。
「ふん、連れて来たか。元気だったか【月】?」
「はい。大久保様もお元気そうで何よりです。」
「気づかいの言葉は出ても、くるわ言葉はまだ出てこないみたいだな?」
「……!」
「まあ、その方がお前らしくていい。【史朗】は元気にしてるのか?」
史朗というのは、月の義理の兄のことである。
月と一緒に武芸を大久保から、習ったことがあり、今はこの店の護衛をしていた。
「はい、元気にしております。」
「ならいい。お前達兄弟には、私がいなくてはならんからな。拾った子供達が元気に育つとは悪いものではない。」
「ありがとうございます。」
「大久保様、せっかくいらしたのですから、他の芸妓も呼び、くつろいで行かれてはいかかですか?」
「いや、いい。私は忙しいからな。そんなことをしている暇はない。」
立ち上がり、部屋を出て行こうとする大久保。
「……綾子。」
ふと、大久保が足を止める。
「月は、月はいくつになった?」
「十六になりますが……。」
「そうか……、引き続き、月を頼むぞ。」
それだけを言って大久保は出て行った。
それから、月は仕事へと戻り、慣れた手つきで、賑やかになっている座敷を行ったり来たりしていた。
「………どうぞ、おくつろぎ下さいませ。」
中へお辞儀をして襖を閉め、次の座敷へと向かう。
「……史朗兄さん!!」
廊下を歩いて行く史朗を見つけ、駆け寄る月。
「月か…。どうした?」
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