桜縁
第四章
長い暗闇に閉ざされた廊下を走って行く。
たどり着いた先は、庭先にある井戸であった。
月は水を汲み上げ、さっきあったことを打ち消すように、何度も冷たい水で顔を洗う。
いったい自分は何にそんなに混乱しているのか分からない……。
水面に自分の顔が映しだされる。髪にささっている簪が、月明かりで光っていた。
「月ちゃん?」
「!」
声がして振り返ると、貴族の格好をした沖田が立っていた。不思議そうにこちらを見ている。
しまった…、こんなところ沖田だけには、見られなくなかった。
「こんな所でなにしてるの?」
「な、なんでもありません。」
顔を沖田から逸らす月。そんな月を見て、沖田は肩を竦める。
月の髪に飾られている髪飾りに、目敏く気づいていた。
「私、先を急ぎますので……。」
月は沖田から逃げるように、その場から立ち去ろうとする。
「なるほど、逢引ってわけか。」
「!」
その言葉に月の足が止まる。ゆっくりと振り返ると、月光に照らされた沖田が、にこりと笑っているのが見えた。
ーーー怖い。
なぜだか、そう思えた。沖田と月は仲間であって、そういう関係ではない。むしろ、互いの穴への埋め合わせだけってだけで、確かな言葉や行動をとりあっていたわけではないのだ。
沖田は月に近寄り、そっと月の髪にささっている飾りに触れる。
「綺麗だね…。いっそうのこと、桂さんのお嫁さんになった方がいいんじゃない?」
「!」
「向こうは気があるんだから、そっちの方が幸せかもよ?」
そんなことない……。
だが、どうしても口には出せない。ギュッと唇を噛み締める。
「だんまりなんだね。何か言うことはないの?」
「……沖田さんは、私が桂さんのお嫁さんになった方がいいと、本気で思ってるんですか?」
「そういう関係なったんなら、別に良いんじゃない?桂さん 上手そうだからな~。」
全然良くない。いつも言われている意地悪な言葉も、無性に腹が立ってくる。
「月ちゃん……?」
名前を呼ばれるが、顔が上げられない。今上げたら泣いてしまいそうだ。
涙をぐっとこらえる。
「私、部屋に戻ります。何かあったら呼んで下さい。」
絞りだすように、それだけを言うと、沖田と顔を合わすことなく、その場から去って行った。