【B】星のない夜 ~戻らない恋~
「元浦、忙しいのに突然ごめんなさい。
赤坂の羽山までお願いできる?」
「かしこまりました。
咲空良様」
促されるままに開けられた後部座席に座り込むと、
花楓さんが手に持っていたハンドバックを私へと手渡す。
「いってらっしゃいませ」
知可子さんを筆頭に声をあわせる
使用人たちに微笑み返すとドアがゆっくりと閉じられる。
運転席に乗り込んだ元浦は静かに車を発進させる。
シートに体をゆったりと預けながら、
私はこれから自分がやろうとしてることに
ドキドキしてた。
一時間半の移動時間を経て到着した怜皇さんの会食会場。
元浦には「後は怜皇さんの車があるから」と告げて車を帰らせる。
羽山の料亭の門が見える喫茶店の窓際。
一人、ティータイムを過ごしながら視線だけは門付近へと集中させる。
何杯目かの紅茶を注文した時、
料亭の奥から見慣れたスーツ姿の怜皇さんが姿を見せる。
怜皇さんの隣には取引先の関係者らしい年輩のスーツ姿の男性。
そしてその傍には、怜皇さんの腕に自分の腕を絡めながら
何か耳打ちをするように話しかける女性の姿。
動揺した私は、ガチャリとカップをソーサーの上に
音をたてて落としてしまう。
フロアースタッフが慌てて駆け寄ってきて、
床やテーブルを拭いてくれる中、そのシーンから視線が話せなかった。
あの女の人は誰?
取引先との会食じゃなかったの?
私って言う婚約者がいるのに。
居てもたっても溜まらなくなって、椅子から立ち上がると、
バッグを掴んで、レジへと走る。
会計を済ませて、料亭の門の方まで駆けつけた時には、
あの女の人の姿はなかった。
「怜皇様、あちらに咲空良様が」
私の存在に真っ先に気がついたらしい
秘書の東堂が、怜皇さんに告げる。
本当は怜皇さんの傍に女の人が居ることすら
不安で溜まらなくなる。
本当に誰かを大好きになることが愛することが、
こんなにも醜い嫉妬と紙一重だなんて想いもしなかった。
葵桜秋が私を怜皇さんにあわせまいと
必死になるのが、憎らしいと思ってた。
だけど……ようやく気が付いた私の中の醜い気持ち。
これが恋をしてる副産物なの?
恋ってもっと……楽しくて胸がキュンとときめくような
そんな甘い時間だと思ってた。
「咲空良……」
立ち尽くす怜皇さんが驚いたように
視線を向けて、名前を紡ぐ。
無言でツカツカと近寄った私は、
一呼吸して怜皇さんの頬をバチーンっと叩いた。
あまりの光景に東堂さんが息を飲むのがわかる。