【B】星のない夜 ~戻らない恋~


怜皇さんの頬を打ち付けた手のひらが、
ジーンと痺れるように痛い。



その痛みは……怜皇さんに、
私の一方的な感情をぶつけただけだと理解させた。




「ごっ……ごめんなさい」



打ち付けた右手が震える。


震え続ける右腕を左手で掴みながら
肩を震わせることしか出来なかった。



「東堂、後のことは頼む。

 咲空良、こっちに来なさい」



怜皇さんに腕を強引に掴まれたまま、
私は押し込められるように、
怜皇さんの車に放り込まれる。


怜皇さんは、運転手をその場でおろして
何かをすると、自らリムジンの運転席へと
乗り込んで、車を走らせ始める。



閉じ込められた車内。
沈黙が重いだけの空間。



息が詰まりそうになりながらも
私は今のこの時間に身を委ねるように
体を小さくして居座り続ける。



連れていかれたのは、
隠れ家的場所にある小さなバー。



【priere de l'ange】

ブリエール ド ランジュ?



何?

何とか読むことが
出来た店の名前を訳すと
天使の祈り。



怜皇さんは、私の手を引き連れて
その店の中へと入っていく。




「いらっしゃいませ」




そう言って、
私たちを招き入れてくれたのは
上品な雰囲気を持つ、
年輩の婦人。



婦人の傍、グラスを磨きながら
笑みを携える、ベストを着こなした紳士。




「ご無沙汰してます」

「えぇ、どうぞ今宵はお寛ぎください」



怜皇さんが短く告げたその言葉に、
紳士は相変わらず笑みを携え、
婦人はゆっくりと
カウンター席へと誘導しながら告げた。



「いつもの」



そう告げた怜皇さんの言葉に、
紳士の方がゆっくりと動作を始める。



グラスの中に入れられた氷を
専用の何かで流れるように優しく混ぜる。

混ぜた後に、
液体だけをグラスから捨てた大きなグラス。

そして氷がなくなったカクテルグラス。



大きなグラスに、計量しながら注がれる液体。

それを入れ終わると、
また流れるように優しく混ぜるグラス。

冷蔵庫から手渡された瓶の中身を
また入れると、ゆっくりと混ぜる。

そして大きなグラスに何かで蓋をして
カクテルグラスへと流し込んだ。


カクテルグラスには、
一粒何かの実が沈められていた。

グラスの中身を入れきった後、
何かを上から降らせて、
カクテルグラスは
怜皇さんの前へとゆっくりと出される。



「お待たせ致しました。
 エクストラ・ドライ・マティーニです」

「彼女にも何かを」


怜皇さんがそう言うと、
紳士はまた作業を始めた。


「桜舞です」


暫くして、私の前に姿を見せた
カクテルグラスには、赤っぽい液体と
桜の花びらが浮かん一品。


隣でマティーニーに口をつける
怜皇さんを見つめながら、
私も桜舞に口を付けた。




口の中に広がっていく、
桜の香り。



そんな香りに浸りたくて
口にするペースが速くなる。



咲空良の名前の韻を踏んだ
クランベリーの甘酸っぱさと
桜の香りが広がるカクテル。


アルコールに強くないらしい体は、
それだけで体の内側から火照るように
肌を染めていく。


すすめられるままに、
怜皇さんとこうやって過ごす時間も初めてだった。


お酒の力を借りて、
泣き上戸になってしまった私は……
泣き崩れながら、心の中の想いを吐き出していく。


「ねぇ、どうして私じゃダメなの?
 
 さっきもアナタが会社と交流のある女性と
 一緒に居るのを見ただけで、
 妬いて自分が制御できなかった……。

 バカだよね……」




そう、バカなのは私。




本当に大切なものを
自分で届かないところにしてしまったのは私。




失うかも知れないことがわかって
今、必死に繋ぎとめようとしている
滑稽な私。






そんな私を気遣うように、
優しく髪を撫でながら
甘い言葉を囁く怜皇さん。




そして……その日、
私は生まれて初めて愛する彼と繋がった。




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