【B】星のない夜 ~戻らない恋~
式の時間が近づくと、そんな優しい時間に背中を押されて
もう一度その場所に行くことが出来た。
私を小さな手でギュっと握りしめる小さな騎士【ナイト】。
葵桜秋としての知り合いに囲まれた時も、
葵桜秋の会社の関係者が話しかけてきた時も、
小さな騎士【ナイト】がムードメーカーになってくれて
その場を切り抜けることが出来た。
葵桜秋の妊娠を知ってるその人は、後ろで微笑んでる睦樹さんを見て、
いいように勘違いしてくれたみたいだった。
時間になって挙式が始まる。
私じゃない私が独り歩きして大勢の人に祝福されていく。
私だと信じて祝福をくれる友人代表をつとめてくれるのは
生徒会メンバーで片腕して副会長をしてくれた友達。
だけど本当に祝福してコメントが欲しかったのは心【しずか】だよ。
だけど心【しずか】が傍に居たら、
こんな秘め事は許さなかった。
心【しずか】は私と葵桜秋を唯一見抜ける親友だから。
長い一日。
それは私にとっては咲空良との決別の時間。
葵桜秋として生きる覚悟の時間。
引き戻すことが出来ない秘め事の重圧をひしひしと感じながら
その場に居続けた。
逃げ出したい気持ちを必死に押し殺して。
そんな私の膝の上。
指定席のように紀天が近寄ってよじ登った。
紀天が笑う笑顔だけが私を落ち着かせてくれた。
家族席の近くに睦樹さんが座るテーブルを隣接させてくれたのは
怜皇さんの配慮かもしれない。
全ての儀式が終わって紀天とも別れて会場を後にする。
その夜、一大行事を終えた父親はリビングのソファーにだらしなく
もたれ掛りながら告げた。
「咲空良、君はもう自由だ。
怜皇くんとの婚約が決まる前、
咲空良にはやりたいことが沢山あっただろう。
だけど今は咲空良ではない。
咲空良では出来ないことも、
葵桜秋としてなら自由にすることが出来る。
葵桜秋としてするのならば、
お父さんも心置きなく応援してやれる。
葵桜秋として、今後はお前がやりたいように
お前の道を歩いて行きなさい」
そんな風に言い切るお父さん。
その問いに答えることも出来ずに、
私はドレスを脱ぎ捨ててルームウェアに着替えると
ベッドへと倒れ込んだ。
葵桜秋として生きる。
その運命は、もう変わることのない現実。
葵桜秋と呼ばれることに、
まだ実感すら得られない。
何時かは……本当の意味で葵桜秋の名前にも
馴染める日が来るのだろうか?
名前が変わった日、私は本当に意味で
失ったモノの大きさを実感せずにはいられなかった。