【B】星のない夜 ~戻らない恋~
「あっ、ごめんごめん。
お腹の子は順調?
今日は一人なの?」
親しげに話しかけてくるその人を思い出そうと必死に駆け巡らせる脳裏。
その人が着ている服装は、OLさんが着てそうないでたち。
この場所は瑠璃垣のビルの前。
僅かに鞄から覗かせた封筒には瑠璃垣の社名。
だったとしたら結婚式場であってる。
名前は佐光奈都【さこうなつ】さん。
「お久しぶり。さっ……奈都」
思わず名字で言いそうになった私は慌てて名前読みにかえる。
そういう時、葵桜秋は名字では決して呼ばない。
こんな時まで……葵桜秋としての行動がすぐに
脳裏に浮かんでしまう長年の入り代わりゲームの代償。
すぐにボロが出て、入れ替わってることがばれてしまえばいいのに。
それでもサラリと出来てしまうお互いの癖は真実を隠すのに力を尽くす。
「葵桜秋、どうかしたの?
顔色、悪いわよ」
そう言いだした奈都さんは、すぐに喫茶店のスタッフに耳打ちする。
微かに聞こえてくるのは妊娠しているの……。
少し体調を崩してしまってるみたいだから。
気遣うように駆けつけて来てくれたスタッフ。
『救急車を呼びましょうか?』なんて声をかけてくれるけど、
それに手を振ってタクシーを一台お願いした。
一階にタクシーが到着した時には、
私の傍には奈都さんと喫茶店のスタッフさんが一人。
「葵桜秋、私着いてくよ」
タクシーに乗り込んだ後、一緒に車内に入ってこようとする奈都さんを
やんわりと断ってドアを閉めて貰った。
「お客さん、どちらまで?」
問いかけられた運転手さんに、
私は近所の内科まで連れて行ってほしいとお願いした。
本当に妊娠してるのは葵桜秋。
今の葵桜秋は私だけど私は妊娠していない。
多分……今日体調が悪いのもストレス。
風邪ひいたのかもしれない。
タクシーはすぐに動きだして、
運転手さんの知り合いらしい街の中の個人病院に到着した。
親切な運転手さんは医院の中まで入って、
お医者さんに何かを話してくれる。
年輩のおじいちゃん先生は黙って立ち尽くす私を手招きした。