【B】星のない夜 ~戻らない恋~
本来、瑠璃垣怜皇としてこの名を名乗るはずだった存在は、
父と養母である本妻の実子となる存在だった。
妊娠中のトラブルで、正妻との間に設けた怜皇の名を継ぐはずだった存在が
水子として流れ、妾である母との間に生まれた子供に、怜皇の名を与え、
瑠璃垣家に養子で迎え入れられたのが俺。
養母にとっての怜皇は、生まれてくることが叶わなかった水子である実子であり、
妾との間に生まれた俺は、亡き怜皇の身代わりとしての存在。
そんな複雑なに背景を抱いたまま、
今日まで瑠璃垣で生き続けてきた俺自身。
「怜皇様、血が……」
藤堂が驚いたように名を呼んで、
すぐさま、ハンカチを手渡す。
受け取ったハンカチが、唇が切れて流れ出した血を吸い取って
シミをつけた。
「悪い。
ハンカチ、汚してしまったな」
「いえ、洗えば大丈夫です。
それより、奥さまは?」
「お前に都城咲空良を今から迎えに行かせろと連絡が来た」
「私がですか?」
電話の用件を知った途端、藤堂の表情が一気に変わる。
少し怒ったような表情を一瞬見せた後、
すぐに表情が消えるとティータイムの食器を片付けて、
一礼して藤堂は俺の前から消える。
後半の会議が始まり、プレゼンの結果
プロジェクトは進められる運びとなったものの、
俺自身の心の中はすっきりしない。
夕方、退社時間が過ぎた後、まっすぐに邸に戻るのをやめて
睦樹のいる廣瀬電子工業へと足を向ける。
小さな町工場の廣瀬電子工業。
その社屋から、作業着姿の睦樹が、年輩の男性と会話をしながら
こちらのほうに歩いてくる。
「怜皇、何でいるんだよ」
突然、現れた俺に、声をかける睦樹。
俺自身も、廣瀬電子工業の社長であるその人に深くお辞儀をしてから
二人の方へと歩いていく。
「先日、打ち合わせさせて頂いたプロジェクトが今日承認されました。
どうぞ、今後とも瑠璃垣とのお付き合い宜しくお願いします。
改めまして、後日資料と共にお邪魔させて頂く予定ですが、
大東に一言伝えたくて、お邪魔させて頂きました」
「あぁ、そうだったね。
睦樹とは、学院時代からの友人だったんだね。
睦樹、今日の仕事はもう上がりなさい。
帰りに少しだけ、家に寄って心【しずか】にあってやってくれ。
夜ご飯の弁当が出来ているはずだからね」
「有難うございます」
「男同士で少し話したいこともあるだろう。
睦樹、私と一緒に行った居酒屋で飲みなさい。
個室もあるし、口も堅い。
怜皇君だったかな。
少しお疲れのようだからね」
廣瀬の社長はそう言って、俺たちの前から工場の中へと入っていく。