音匣マリア
菜月には着拒否されたけど、仕事用の携帯から毎日欠かさず電話を入れた。


最初はそれすら拒否されるのを覚悟して電話したが、菜月は拒否しなかった。


だけど「もうかけて来ないで」なんて言われると、さすがに落ち込む。


それでもめげずに俺は毎日の定期連絡は止めなかった。


最後に逢った時、菜月が面窶れしていたのを今更ながらに思い出す。


泣くのを必死で堪えて、今にも壊れそうな儚い笑みを浮かべたあの姿は痛々しくて見ていられなかった。


菜月が泣いて叫んで俺を責めてくれれば、どれだけ楽になれただろう。


でも菜月は泣くことをしなかった。


泣かれるより儚く笑う姿の方が、見る者の胸を締め付けるなんて知らなくて。


こんなに、胸が痛い。



……だけど一つ気になる点がある。



どうして菜月は、俺があの女…瀬名さんの娘とデキてるとか付き合ってるとか勘違いしてるんだ?


……それが解せない。





菜月の事で頭がいっぱいの俺でも、仕事には行かなきゃいけなくて、その日も憂鬱な気分で店に入った。


今日は週末だから、山寺達だけじゃ客を回せない。俺自身もカウンターに立って、オーダーを捌いていた。


その忙しい最中、やって来たのは瀬名さんだ。

後ろにあの女もくっついて来た。

瀬名さんには悪いが、その女を見ただけでも虫酸が走る。


できれば二度と見たくもない顔だ。



「……蓮、ジンフィズ」


瀬名さんがいつものように、従業員が仕事に手を抜いてないかを偵察しに来たんだと暗に告げる。


ジンフィズは簡単なカクテルに見えて、実は結構作り方が難しい奥深いカクテルだ。


シェイクの具合、炭酸を飛ばさないようにステアするという技術もだが、ジンとレモン、砂糖やガムシロの割合、氷の大きさ、ソーダの分量、そして注ぎ方に至るまで上手く作るようになれるまでには、俺も時間を必要とした。

瀬名さんから注文を受けた俺は、レーフィーターのジン、フレッシュレモンジュース、それにフランス製の高級な糖液とソーダを用意した。


ジンとレモンと糖液のバランスに気を付けて、それらが分離しないよう細心の注意を払ってシェイクする。


ソーダを注ぐ際氷には当てないで、氷とグラスの隙間から静かにに注ぐ。

ステアは炭酸を飛ばさないように混ぜた。




出来たジンフィズをコトリと瀬名さんの前に出す。


「……上手いな。腕がまた上がったな」


瀬名さんに褒められても嬉しくないのは、隣であの女がにたりと笑っているからだろうな。






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