音匣マリア
12月に入ってからは、営業課が総出で区境のエリアを回り始めた。


あの土地には吉田さんご夫妻の他にも婚礼対象のカップルや適齢期の子供さんを持つ親御さんが結構いて、中には将来的には挙式しそうないい感じのカップルもいたらしい。


それで、肝心の吉田さんご夫妻だけど、旦那さんからの反応も良い感じではあったのに、今になって旦那さんの方が「他の式場も見て、他にも見積りを出させてから決めたい」と、慎重論を唱え出したんだ。



でも奥さんは、どうしてもうちが良いみたい。だからこの先は高度な取り引きになるから、営業課の先輩達の手腕にまかせるしかないのが歯痒いところ。





でも、24日のナイトフェアには、夫婦揃って来てくれるって確約は取り付けた。


実はあの後、課長に怒られたんだよね。


「何で一番最初のアプローチでナイトフェアの事を話して、フェアに来てもらえるよう確約を取らなかったんだ!?」って、怒鳴られた。


……だって、舞い上がってたんだもん。説明だけでもいっぱいいっぱいだったし。



ナイトフェアに吉田さんご夫妻を誘う時に、チケットと一緒に手紙を同封した。


手書きの手紙で、吉田さん達の体を心配する内容と、お二人の絆の強さを尊敬する旨の手紙だ。


吉田さん達お二人は、お互い仕事の時間がズレてて睦まじい一時なんて滅多にないのに、どちらもお互いの事を悪く言ったりしない。


吉田さんの奥さん…早苗さんは言う。


「うちらは震災で何もかも無くしたけど、旦那と私は生き残った。今生きてる二人だからさ、お互いを大事にしてるし信じてるんだ」……って。


更に、「普通だったら嫁がキャバで働いてるなんて旦那にしてみりゃムカつくでしょ?でも、うちの旦那は言わないの。面白くないだろうけど、文句は言わない。それだけあたしを信じてくれてるからだし、あたしも間違った事はしないの」


……強い絆。


羨ましいぐらいに。


早苗さんは、女の私から見ても魅力的な人だと思う。


それは、綺麗に笑えるから、なんだと知った。


あの震災に遇ったことや、知らない土地での生活は、想像すらできない苦労だったに違いない。


それなのに、早苗さんの笑顔には屈託がなくて、太陽みたいに明るく笑う。


辛い事を経験しているからこそ笑うんだよ、という早苗さんの言葉は、私にとっての教訓になったんだよ。





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