産まれる。

悪魔の囁き



昔から、彼の腕が大好きだった。


とても長くてたくましい腕。


その腕で、私を何度も抱きしめてくれたの。


私だけを、抱きしめていて欲しかったの。







玄関には旦那の靴が雑に転がっていた。


狭いリビングに行くと、テレビをつけたまま
寝転がり新聞を読んでいる彼の姿があった。


私の帰宅など、気がついていないかのような態度で

気にせず、新聞を読んでいた彼。




「ねぇ、アナタ」



「・・・・・・」



完全に無視されていることくらい
わかっていたけれど


最後の、チャンスを与えたつもりだった。



このまま私を抱きしめて

「俺、心を入れ替えて働くよ

だからもう一度やり直そう」って言葉を


ずっと、待っていたけれど



そんなの、今の彼には無理だった。




頭の中で、なんども繰り返す会話。


「あの女は殺したわ」

「チャンスをあげる」

「働くの?私を抱きしめてくれるの?」

「この子の父親として、ちゃんとしてくれるの?」


何度も、何度も言葉が私の頭の中をよぎる。

言ったらどうなるかな?怖がる?逃げる?

私が殺される?



そんなことを考えながら

私が発した言葉は



「ただいま」



ただ、それだけ。




今さっき、人を殺したばかりの私。


旦那もこのまま殺すつもりだった。




でも、どうして



体が、うまく動かないの。








まるで、誰かに「やめて」って


言われているかのように。






「殺しちゃだめ」


声が聞こえた気がして


私は静かに、寝室へ向かった。







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