陥落KISS
陥落キス
「じゃあねえ」
エレベーターに陽気に乗りこむ長い髪の女に手をひらひらと振る姿を見て、思わず眉根を寄せたくなった。
このマンションは隣同士の壁が、とにもかくにも薄い。
テレビの音などの生活音は、筒抜け状態だ。
昨夜、壁伝いに聞こえたあえぎ声。
何をしているか、考えるまもなくわかりきっていたけど。
まさか、女の朝帰りと遭遇するはめになるとは。
ため息をつきたくなる。
今帰っていった女の髪の毛の色は、ライトオレンジ。
確か、おとといはセミロングで、ミルクティー色だったはず。
同じ女を部屋に連れこんでいるのなんて、いまだかつて見たことがない。
とっ替え引っ替え、毎回毎回、違う女。
大修羅場になっても何もおかしくないのに、いまだにそういう光景に出くわさない。
対処がよっぽどうまいんだろう。
こちらをくるりと振り返った隣人の顔から、瞬時に笑みが消える。
「おはようございます」
なるべく事務的に聞こえるように挨拶して、男のすぐ脇を足早に通りすぎる。
ゴミ出しに行くところだ。
ゴミを捨てて、洗濯をして、掃除をして。
休日の午前中は、何かと忙しい。
エレベーターのボタンを押すも、つい今しがた下降していったエレベーターは、なかなか上がってこない。
早くしてほしいのに。
苛つく。
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